2011年3月(その2)
(3月31日)猫すこやかに
今日はなんと保坂和志さんにご来店いただきました。
ありがとうございます!!!!!
保坂さんのえがく猫はあいかわらず元気そうでした。
よかった。よかった。
震災ですっかり気がめいってしまって、とても本を読む気になれないという人にも『猫の散歩道』をオススメします。
ゆっくり読んで
ゆっくり食べて
ゆっくり寝て
日常のリズムをとりもどして、ねばり強く。
たまたま居合わせた小説家のAさんと小説談話。Aさんと語らう保坂さんの表情がすっごくよかった。Aさんを見てると自然に笑みがこぼれてしまう。
ナタリー・サンバートン!
小説家の先輩後輩っていうのはいいものだ。小説家にしか分からない話をしていたけど、意思疎通というか以心伝心という感じで、小説が脈々とつづいてゆく。
希望をもって4月へ!
自慢の棚へ、ぜひお越しください。
そう言えば、保坂さんは本のなかで池部良の文章がいいって言っていた。そして、きょうは○○さんの文章がいいって言っていた。なるほど。
4月は、しばらく午前11時から午後7時までの営業となります。
(3月30日)文学のちから
働く小説家《イソケン》さんがサイン本をつくってくださいました!
当初は「会社の帰りに寄ってください」と軽い気持ちでお願いしたのですが、いまは店が午後6時で閉店してしまうので、寄ってもらえなくなりました。それであきらめていたのですが、なんと昼休みに会社を抜け出して来てくれました!
ありがとうございます!!!!!
震災後、僕自身の読書傾向も明らかに変わりました。読むのは時事的、政治的な本が大半を占めています。コスト削減のため長らく中止していた日経新聞の定期購読も再開しました。ほとんど無意識のうちに。
でも、だからこそ《小説》がなくてはならない、とも感じています。
平常心では読めませんが、これから『赤の他人の瓜二つ』に対峙したいと思います。
※ 柴崎友香さんのサイン本は完売しました。
※ 本日、中原昌也さんもサイン本をつくってくださいました!!!
3月中は、午前11時から午後6時まで営業します。
(3月25日)震災復興の財源案
震災復興の財源が議論になっているが、「企業の貯蓄(内部留保)」を震災復興事業に投資することはできないだろうか? 経団連会長でもいいが、ズバリ、トヨタの豊田章男社長が音頭をとって個々の企業に働きかけ、実現させることはできないだろうか?
● 日本は経常収支黒字を減らせ
アメリカが経常収支の赤字を減らすということは、その裏面として、経常収支黒字国はその黒字を減らさなければならないということになります。例えば、日本がそうです。経常収支黒字国がその黒字を減らすべく、内需を拡大しなければならないというのは、リーマン・ショックのような世界的金融危機が起きてしまった以上、アメリカのみならず、世界経済の再建のためにも必要なのです。
ところが、日本では「今でこそ経常収支が黒字で、貯蓄超過かもしれない。しかし、少子高齢化が進んでいるために、貯蓄率が低下しつつある。将来、これがもっと進めば、貯蓄は減少し、経常収支は赤字化する」と主張し、内需の拡大に否定的な論者がいます。
では、少子高齢化によって日本の貯蓄が減少しているのかどうか、データで確認してみましょう。
図5を見ると、2001年から2007年にかけて、確かに家計部門の貯蓄は急激に減少しています。しかし、これは少子高齢化よりはむしろ、超低金利政策による影響が大きいのではないでしょうか。金利が低ければ、銀行に預金する魅力が低下するので、家計部門の貯蓄率は当然低下します。近年の家計部門の貯蓄率の低下を少子高齢化だけのせいにする説明には、無理があります。
より重要なことは、確かに家計部門の貯蓄は減少し、政府の貯蓄も減少していますが、企業部門の貯蓄(すなわち内部留保)はむしろ増加しており、結果として、経常収支黒字・貯蓄超過は拡大しているということです。
企業部門の貯蓄が大きく増えているのは、デフレで資金需要が乏しい中で、金融緩和により資金が過剰に供給されているからです。デフレのせいで、資金は企業に潤沢に供給されているが、使い道がないという状態にあるので、企業は仕方なく資金をため込んでいるということです。言いかえれば、日本では、デフレ不況による資金需要の不足で、企業が貯蓄を増やしているがために、貯蓄過剰・投資不足になり、それで経常収支が黒字化し、結果として、グローバル・インバランスの構造に一役かっているということです。(※この記述は「グローバル・インバランス」というのは悪いことで、悪い意味で一役かってしまっているということ。)
中野剛志『TPP亡国論』pp.117-119.
中野氏の説明のように、「デフレのせいで企業は仕方なく資金をため込んでいる」とも言えるが、「企業が資金をため込んでいることがデフレを深刻化させている」とも言えないだろうか?
ここ数日、経済関係の本を数冊読んだ。1つの現象に対して様々な説明が可能であり、一筋縄にはいかない難しい問題であると実感した。例えば、資源ナショナリズムの台頭や先物取引市場の誕生で、資源価格が高騰したため、企業はどれだけ合理化を押し進めても利益を上げられない。だから人件費を上げられないとの説明があった(※1)。なるほど、これは事実だろう。しかし、なぜ「企業部門の貯蓄が大きく増えている」のか? 資金があるならば、株価にそれほど神経を使う必要はなく、余剰分をうまく人件費に回すこともできるのではないか?
これは、要するに企業が安全を見過ぎているということではないのか? デフレ不況が大問題となっている時に、「国」と「個人」はお金を持っていないので仕方ないとしても、お金を持っているのに使わない「企業」というのは、一番罪が重いのではないか? 「企業の貯蓄(内部留保)を震災復興事業に投資することはできないだろうか?」という私の持論と同じようなことを考えている人はいないかと思ってグーグルで検索したら、野党の志位氏が引っ掛かった。経営者に対する敵対心という心情もあるだろうが、これは一国の経済財政政策として考えても正論だと思う。
TPPに日本が参加した場合の結末は確定しているようだ。アメリカの「穀物メジャー」が日本に乗り込んできて、日本の農業を破壊して占拠する。そしてアメリカは、日本が食料をアメリカに依存せざるを得ない状態にした上で、価格をつり上げて、日本の富を自由に吸いとっていく。
アメリカの経済が厳しい状況なのは分かるが、そのような形でアメリカを支援する必要はない。支援するとすれば、その前にやはりその根性をたたき直した方がいいんじゃないか。「富をどこから持ってきたらいいかを考えるのではなく、自ら手足を動かして働きなさい!」と。
それこそ、小泉純一郎と竹中平蔵がタッグを組んで「ウォール街をぶっ壊す!」といって乗り込んでいけばいい。
そんなことはどうでもよい。それよりも、財源の捻出が緊急の課題となっている被災地の復興については、国だけでなくトヨタを始めとする優良企業の協力が必須だろう。ただこれは企業にとってもただただ負担が募る話でもない。メリットもちゃんとある。
今回の被災地への投資は、アメリカがかつて第二次大戦後、戦争で荒廃した欧州諸国を救うために行ったマーシャル・プラン(欧州復興計画)で、自国の農産物や工業製品の購入に使うことでアメリカの国力向上にも貢献したことと同様に考えることができる(※2)。今回は、車や船、家、家電を津波に全部持っていかれたので必ず需要があり、被災地が復興することで投資する企業の力の向上にもなる。
また、それだけではない。トヨタという企業を考えた場合、車を売る企業だとも言えるが、一番の強みはその「生産システム」にある。そう考えれば、トヨタが売るべきものは、なにも車に限ったことではない。それは街づくりにも活用できるはずである。
そもそも「トヨタ生産システム」というのは「フォード生産システム」のオルタナティブシステムとして構築された。「フォード生産システム」が《量》を追求するシステムだとすれば、「トヨタ生産システム」は《質》を追求するシステムである。そう考えれば、《量》を前提とする現行の資本主義システムとはそもそも相性が悪い。だから「トヨタ生産システム」をグローバルスタンダードにするためには、資本主義システム自体のルールを変えねばならない。つまりGDPなど《量》の指標化を軸とする現行の資本主義システムではなく、《質》の指標化を軸とする資本主義システムを新たに構築せねばならない。しかし、それにはもう少し時間がかかる。
そこで現行の《量》を求められる車の販売ではなく、例えば街づくりや行政サービス。それも《量》を強みとした都市部ではなく、《質》が問われる地方。まさに今回の被災地。「トヨタ生産システム」のノウハウを活用することにより、震災前の街よりもパフォーマンスの高い新たな街を築けるか? パフォーマンスの高い新たな東北をつくれるか? チャレンジしてみる価値はあるのではないか。もし、そのノウハウによって東北を道州制にしても自律できるレベルまで持っていくという実績を築けば、今後「車」をムダに増産しなくてもトヨタという企業を存続させることができるかもしれない。
これは単なる思いつきで、実際にどのようにすれば実現できるかはなんとも言えない。また、もちろん被災者の方々とのディスカッションも必要だ。
だが、とにかく思いついてしまったので、参考までに記しておく。
(※1)水野和夫・萱野稔人『超マクロ展望 世界経済の真実』(集英社新書)の第一章「先進国の超えられない壁」などを参照した。
(3月24日)ご卒業おめでとうございます。
稲葉振一郎先生から
僕の場合、皮肉なことに本を読めるようになったのは大学を出てからなのです。大学の時は「お金(親の金)」と「時間」はたっぷりありましたが、本を読む「能力」が欠けていました。だから学生の時は本を読めませんでした。
それが働き始めると「時間」がなくなります。しかし、休日に日々の仕事から逃げるようにして本を読んだ時、「あっ、読めた!」と覚醒しました。本を読む「能力」を得たのです。しかし、いかんせん「時間」がありません。「お金」も厳しいです。そう言えば、店からチャールズ・テイラー『自我の源泉』(名古屋大学出版会)が盗まれたようです。返してください。あんな分厚い本、盗んだってどうせ読まないでしょ。9,975円という大金を払ってこそ、読んでやろうっていう意地が出てくるってものです。
さて。それであとはやっぱり「英語」と「数学」は使えるようにしておきたかったです。働き始めてから何度もトライしていますが、働き始めるとどんどんやることが増えてきますし(仕事は人と人との関係で動き出すので)、また本が読めるようになるとどんどん読む本が増えてきます。だから働き始めてから「英語」と「数学」をマスターしようと思っても、問題集1冊をやりきる「能力」はあっても、問題集1冊をやりきる「時間」が取れないのです。
だから結局数学はあきらめました。数学は自分ではできないので、円城塔さんの小説などを読んで妄想するばかりです。英語も相変わらずできませんが、幸いなことにこちらの方は大きな問題なくやれています。日本の学者陣が優秀で(菅原克也『英語と日本語のあいだ』講談社現代新書参照のこと)、海外の良書を沢山翻訳してくれています。翻訳された良書を読むだけでも十分満足しています。ただ語学は死ぬまで勉強するつもりですが。
あれ、これ卒業生に言っても無駄か? 新入生に言わなきゃ!
いやいや、卒業生も新入生もぜひ本を買いにきてください!
(3月22日)読書感想文
■ 中野剛志『TPP亡国論』(集英社新書)を読了。
《感想文:「震災復興」、「日本と世界、そしてグローバル企業の進むべき道」》
非常に刺激的な一冊。おそらく、政府関係者も含めて大半の人が、TPPをよく分かっていないのに賛成したり反対していると思われるので、TPPへの参加賛成派にも反対派にも広く読まれたい。
TPPの一番のポイントは次の図式を理解すること。
(1)アメリカと日本の利害は一致しない
(2)グローバル企業と日本の利害は一致しない
(1)はすぐに理解できる。「農業と金融」で経済の再建を計ろうとしているアメリカと、とにかく「デフレ不況」を脱却せねばならない日本とでは利害が一致しない。デフレ下で貿易の自由化をすれば、安い商品、安い労働力が国内にどんどん入ってきて、ますます物価は下落する。
問題は(2)。トヨタやパナソニックといったグローバル企業は日本を代表する企業であり、グローバル企業の躍進=国益と思っていたが、そうとは言えない傾向が強まってきている。
日本にとって、TPPに参加すること自体のメリットはほとんどなく、仮想敵はTPPに参加しない韓国らしい。特に欧州市場における韓国企業とのシェアの奪い合いが争点。韓米FTA、韓欧FTAを取り付けた韓国に対して、日米FTAも日欧FTAも交渉できずにいる日本が、まずTPPで実質的な日米FTAを結び、その流れでつぎに日欧FTAを実現させたいという(日欧FTAを実現できるかは不明)。
ただ、この場合も、グローバル化した世界においては、国際競争力には「関税」ではなく「通貨」の影響の方が大きいので、グローバル企業がTPPへの参加を促す本当の狙いとは言えない。
グローバル企業がTPPへの参加を促す本当の狙いとは何か?
TPP参加国の中には、日本と同じような利害や国内事情を有する国はなく、連携できそうな相手がまったく見当たらないのです。
まず、アメリカ以外の参加国は、日本とは違い、外需依存度が極めて高い「小国」ばかりです。しかも、次章で詳しく解説しますが、アメリカも輸出の拡大を望んでおり、これ以上、輸入を増やすつもりはありませんし、そうするための政策手段ももっています。つまり、TPP交渉参加国すべてが、今や、輸出依存国なのです。
また、特異な通商国家であるシンガポールを除くすべての国が、一次産品(鉱物資源や農産品)輸出国です。マレーシア、ベトナム、チリなど、低賃金の労働力を武器にできる発展途上国も少なくありません。
こうした中で、日本だけが一次産品輸出国ではなく、工業製品輸出国です。また、国内市場の大きい先進国として、他の参加国から労働力や農産品の輸入を期待されています。しかし、日本は深刻なデフレ不況にあるため、低賃金の外国人労働者を受け入れるメリットはありません。そんなことをしたら、賃金がさらに下落し、デフレが悪化し、失業者は増えてしまいます。そして農業については国際競争力が脆弱であるのは言うまでもありません。日本の置かれている経済状況だけが、TPP交渉に参加している国々とは際立って異なるのです。それどころか、むしろ利害は相反すると言ってもよいでしょう。
(中野剛志『TPP亡国論』集英社新書 PP.44-45.)
グローバル企業の本当の狙いは、TPPに参加して、「安い労働力を容易に確保できるようにする」ことでしょう。
グローバル企業がTPPへの参加を促すということは、日本の農業が壊滅的な被害を受けようが、国民が失業しようが、どうでもいいと声を大にして言っているようなもの。
どうも最近、グローバル企業が絡む政策がおかしい。「法人税の減税」、「高速道路料金の引下げ」(高速道路の建設費って回収できたの?)、「エコポイント」(テレビをガンガン増産してどこがエコ? CO2削減試算間違ってました!っておいおい)。
そして《TPP》
自由だな。やりたい放題、新自由主義!!
「競争が厳しくて、需要がないから仕方なくやっているんだよ」
「そうなのか、かわいそうに。 わかった、わかった。書店はもっと厳しいし、もっともっと安い給料で働いているんだよ」
政府がバカでカモられていると言えばそれまでだけど、国のお金をグローバル企業に持っていかれているようなもので、手段を選ばずという感じになってきている。アメリカがトヨタをカモにして、トヨタが日本政府をカモにして、そのツケは国民へ。それこそ検察庁が捕まえようと思えばいけるんじゃないか?
ちょっと言い過ぎかもしれないけど、太平洋戦争に没入していく軍部の暴走に近いものを感じる。
今後、自動車や家電のグローバル競争はますます厳しくなるでしょう。商品の性質上、他社との差別化が難しく、誰でも作れてしまう。ライバルは韓国や中国だけでなく、その他の新興国の台頭も著しくなってくるし、新興国の成熟化や人口増の鈍化もはやいうちに訪れ、需要を掘り起こすのも大変になってくるでしょう。
このような状況下で、彼らが現行の経営方針で突っ走って、果たして生き残れるかどうか? もし見事に生き残れば、彼らに「おめでとう」と天国から言ってあげようと思うけど、そのときはすでに日本の国土はボロボロになっていることでしょう。
だから国際的な競争と国内の国土保全とは両輪としてどちらもやっていかないといけない。(谷口功一)
やはり2011年3月11日は転機じゃないか。冷静になって、「震災復興」、「日本と世界、そしてグローバル企業の進むべき道」について、みんなで議論しましょう。
(3月20日)読書を継続
■ 中野剛志編『成長なき時代の「国家」を構想する』(ナカニシヤ出版)
■ 寺脇研『格差時代を生きぬく教育』(ユビキタ・スタジオ)
■ 中野剛志『TPP亡国論』(集英社新書)
中野剛志『TPP亡国論』(集英社新書)
まだ読み始めたばかりだけど怖い。
TPPというのは要するに、「アメリカの経済をいかに回復させるかという問題を解決するために、デフレでカネ余り状態にある日本の資本をアメリカに流し込む仕組み」ということなのか?(中国と韓国はTPPに入っていない。)
震災復興を優先すべきだし、その上でアメリカの経済を支援できるのかどうか? よく議論した方がいいのではないか。
中野剛志編『成長なき時代の「国家」を構想する』
ものすごく良い。
書中で問われている、国民各人の福利(well-being)の総計を「国民福利」と呼び、その「国民福利」を軸にした経済政策を構築するのは難しい。でも、政策構築能力を備えた優秀な若者がたくさんいることを知って希望を持った。また最後の討論も面白い。韓国の分析は目から鱗。
柴山桂太 たとえばいま韓国が非常に成功しているのはなぜかというと、家電業界はサムソンに、自動車はヒュンダイにというかたちで、一社集中して、ナショナル・フラッグに強い競争力をもたせるわけですよね。そうすると世界で競争するには非常にやりやすくなりますから、政府もそれを後押しする。しかし、このやり方というのは、はたしてロバストな仕組みなんだろうか。一社しかないということは、そこがコケたら終わりですからね。サムソンはいまはいいですけど、そのうち中国のハイアールに全部食われてしまって、韓国の家電業界が全滅するということもありうるわけです。そういう意味で、一社に集中して世界で競争するというようなやり方は、ほんとうに望ましいのかどうか。いまいったような、いろいろなショックが起こったときに耐性のある仕組みをつくろうとすると、韓国のように産業の集中化の方向に行くのではなくて、むしろ、小さな企業がたくさん残っているほうがいいのではないか。よくいわれるように、日本は産業の裾野が広い。いろんな企業があって、それぞれが独自の技術をもっている。そのメリットをうまく活かすことができれば、環境が変化してこれまでのやり方がだめになったときに、次はこちらの小さな企業がもっていた技術がうまく活かされる。こういうふうな、一種の多様性を保障しておいたほうが、実はいい。中小企業であるとか、地域経済ネットワークであるとか、あるいは自営業とかというのは、一見するといまのメガ・コンペティションの時代には非効率極まりないようなものかもしれないけれども、実はそういうものがたくさん残っているほうが、むしろ環境変化には非常に柔軟に対応できる。少なくとも、そういう可能性がある。(pp.376-377.)
(中略)
谷口功一 先ほど韓国の話が出てきましたけれども、(中略)韓国にはEマートという国内資本のショッピングモールがあって、ウォルマートが来たときも打ち負かして追い出したんですよ。それくらいにものすごく巨大なネットワークをつくっている。この韓国の事例は、メガ・コンペティションを勝ち抜くために産業政策を強力に遂行してやっていくというモデルの、ある非常に極端なかたちだと思うんです。これはもう、ほとんど寡占状況です。そしてその裏にどういう状況があるかというと、一つは先ほど柴山さんがおっしゃったように、一つコケたらみんなコケるという非常に不安定な状況がある。それからもう一つの問題は、企業も一極集中、地域も一極集中ですから、成長しているのは首都圏だけなんですよ。実はいま韓国は、地域格差が凄まじいんです。ソウルとプサン以外の地域というのは、もう20年から30年くらい遅れているような状況で、格差もものすごく広がっている。これはちょっともうわれわれの想像を絶しています。要するに国内にグローバルなフロンティアをつくって恐るべき搾取もしているわけで、一面では競争に特化したかたちで成功しているわけですけれども、反面、国内ではもう国土がボロボロになっている。
これは、だから韓国は全然だめという話ではなくて、その事例から学んで経済政策をやっていくのであれば、あまり競争にばかりウェイトがかからないようにしないと、ちょっと極端なことになってしまうという意味です。だから国際的な競争と国内の国土保全とは両輪としてどちらもやっていかないといけない。(pp.380-381.)
寺脇研『格差時代を生きぬく教育』
『成長なき時代の「国家」を構想する』という本で問われている最大の難題は、GDP(国民総生産)に替わる指標をいかに構築するかということなんですね。
それで、ふと思い出したのは「ゆとり教育」の失敗。あれは「ゆとり」の指標づくりに失敗したんじゃないかって。「ゆとりを指標化するなんてナンセンス!」って完璧主義に走るのは分かるけど、ちょっと冷静になって、段階を踏んで考えましょう。
なぜ「ゆとり教育」が機能しなかったかと言えば、それは大人が「ゆとりを持っていなかった」、あるいは「ゆとりを理解できていなかった」ことと、入学試験(中学・高校・大学)を学力試験だけのままにしたからでしょう。ハーバードでも、大学院は全世界から学生を受け入れるという大義名分があるから違うけど、学部で入ろうと思ったら、学力+αが必要。例えばボランティア活動等の経験がないと入学できない。「ゆとり教育」もそのあたりの仕組みをもう少しうまく作ればよかったんじゃないかって思う。
「ゆとり教育」の詳細は知らないので、これから 寺脇研『格差時代を生きぬく教育』(ユビキタ・スタジオ)を読んで勉強します。
(3月18日)
こまばアゴラ劇場で観劇。
正直、今は観劇するような気分ではなかった。良い悪いではなく、気持ちがついてこなかった。ただこの時期にあえて公演することを決意した青年団の強い意志を感じたので行った。
演目の『バルカン動物園』は生命科学をテーマにしており、生命倫理上の判断を問う内容なので、「今回の震災後に、我々がいかに行動すべきか」の判断の困難と通じている。ただその内容を問うまでもなく、今公演をすべきなのか、今公演を観に行くべきなのかという問いを突きつけられる。一番つらいのは間違いなく俳優であり、青年団員はみなその困難を自覚している。上演中はプロなので平常心を貫いていたが、終演後、一瞬で凍り付くような表情に変わったのをはっきりと見届けた。
今回の震災をテレビや新聞を通じて、あるいは今後現地に出向いてボランティア活動をするなどを通じて、脳裏に焼きつけ、決して忘れてはならないが、気持ちが落ちて、自らの活動を止めてしまったら、被災者と共倒れになる。だから自らの活動は精を出して続けつつ、そして被災地の復興を忘れることのないようにせねばならない。
今後、被災地の復興と共に重要になってくるのは、失業者を極力出さないようにすること。しかし首都圏でも電力不足のため、小売業などが相当厳しい。私自身解雇を覚悟せねばならない。
読書はずっと続けている。
いま読んでいる本は、もちろん震災前に書かれたものだが、現況を乗り越える上で非常に示唆的である。冒頭部を引用する。
中野剛志編『成長なき時代の「国家」を構想する』(ナカニシヤ出版)
一般に、経済政策とは、経済成長の実現を主たる目的のひとつとするものと考えられている。(中略)しかし、もし、その経済成長が実現困難な状況となった場合には、経済政策は、一体、どうなってしまうのであろうか。成長なき経済政策など形容矛盾であり、成長しない社会では、経済政策はその存在意義を失うのであろうか。それとも、経済成長を目的としない経済政策というものがあり得るのだろうか。もし、そうであるなら、経済政策は、何を目的とし、そして、どのような理念の下に進められるべきなのであろうか。
2008年6月13日