2022年9月日記

9月25号(일요일)

家が遠い / 韓国ドラマ『私の解放日誌』



先日、韓国映画『パラサイト 半地下の家族』について話していたのだけど、その人はこの映画の“暴力性”“残忍さ” について、あのように易々と描いてしまうことに抵抗があると話していた。



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確かにそういう一面もあるかもしれないけれど、僕は例のあのシーンを観たときに、古典の悲劇や神話を想起した。神話に出てくる “神々” というのは想像を絶するくらい滅茶苦茶であり残忍でもある。ふつう “神” という言葉でイメージする “神聖さ” とはかけ離れているというか、なんとも理解し難い。『パラサイト』のあのシーンも同様なものとして受容した。


映画『パラサイト』には、「本物の貧困」は描かれていない。

だから「娯楽」として楽しめるし、そこに登場するチャパグリが食べたくなったり、モデルとなった街に行きたくもなる。さらに貧困とは対極にあるサムスン系財閥一族のプロデューサーが、ポン・ジュノ監督や俳優ソン・ガンホとともにレッドカーペットを歩くのも、「韓国映画の成功」として喜ぶことができた。きらびやかなアカデミー賞の授賞式が、あの血に塗られた誕生パーティの続編となることも、違和感なく受け入れられたのである。映画の中の貧者は本当の貧者ではなかったから。

とはいえ『パラサイト』がテーマにした「家」が、韓国の格差のシンボルであることは紛れもない事実である。先に紹介したように学歴や社会的地位とは別に、韓国には独特の「不動産カースト」が存在する。重要なのは、その上位にある者たちが豊かさを享受するだけでなく、その下位にある者たちを支配していること。つまり、それは単なる序列はなく支配構造だという点だ。

(伊東順子『韓国カルチャー』集英社新書 p238.)


僕はこの伊東さんの記述に2つの点で同意する。1つは『パラサイト』が現代韓国における貧困や差別を “リアル” に描いたものではないということ(伊東さんはこの点を皮肉で言っているけれども、僕は単にそう思う)。もう1つは『パラサイト』で描かれているのは “構造” であるということ。



『パラサイト』誕生パーティのシーン


件の誕生パーティのシーン、上の写真のあとの展開だけれども、あのシーンを観て想起したのは プッサンの絵画” であり、 『パラサイト』がどのように描かれているかといえば、それは “構造” に忠実に描かれているのである。



ニコラ・プッサンサビニの女たちの掠奪』




話はちょっとそれるけど、ここ数年内の映画でプッサンというか、歴史画というか、古典的な描き方をしていると思ったのはラ・ラ・ランドで、この映画のオープンニングシーンは有名で「このシーン好き!」という人がたくさんいて、とても “美しい” 描き方だと僕も思うのだけど、このシーンもメトロポリタン美術館で絵画鑑賞をしているような、 “プッサンの絵画” を観ているような気がした。



ニコラ・プッサン『黄金の子牛の礼拝』



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ラ・ラ・ランド』の監督であるデイミアン・チャゼルハーバード大学出身で、映画監督はUSC(南カルフォルニア大学)やスタンフォード大学といった西海岸の名門校出身の人が多いというイメージがあったのだけど、「へぇー、東海岸の名門校からも映画監督って出るんだ」と関心を持った。


ただ『ラ・ラ・ランド』の描き方はすごく古典的というか、ストーリーもジャズだったかな?芸術を志向する彼と大衆的な有名女優になろうとする彼女とのすれ違い、価値観の違いを問うていたと思うのだけど、二項対立というか、やはりすごく“構造” に忠実に描く映画監督だと思った。その後の作品はまだフォローできていないのだけど.....




インテリな映画監督と言えば、例えば先日亡くなったジャン=リュック・ゴダールのように謎めいているというか、「なんかよくわかんねーな」というような描き方だったり、



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ジャン=リュック・ゴダール気狂いピエロ


あるいはデイヴィッド・リンチのような不条理ものというか、「えっ、何これ!?」というような描き方をしばしばする。



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デイヴィッド・リンチマルホランド・ドライブ


このような、構造を読み解けない描き方を志向する映画監督や作家が多いと思っていたのだけど、「トレンドが変わったのかな?」とデイミアン・チャゼルの『ラ・ラ・ランド』を観たころから感じている。




とは言え、『パラサイト』を描いたポン・ジュノ監督がこういうトレンドに乗ったというふうには捉えていない。韓国の作家の演劇や映画を数本観たことがあるのだけど、韓国の作家はもともと真面目で、すごくよく勉強していて、突き詰めて作品を創るという印象。全般的に重いというか、観ていてしんどくなる作品が多いので、「もうちょっと肩の力を抜いて、テキトーに描けばいいのに」としばしば思う。


ま、『パラサイト』は力を抜くところはうまいこと抜いているので、観ていてもさほど疲れない。そして “構造” は変質的というか、多くの人が謎解きもやっているようだけど、緻密に描かれている。


まず「高台の高級住宅」と「半地下の家、あるいは地下室」。要するに “上部構造”“下部構造” の対比が明確に描かれている。そして、この対比から連想される属性が並んでいく訳だけど、ざっと書き上げてみると、


上部構造:金持ち / ブルジョワ/ 支配者階級

下部構造:貧乏 / プロレタリア / 被支配者(労働者階級)


ここまではありきたりの区別なのだけど、ただ1点ねじれがあって、あのお金持ちで美人の奥様が象徴的だけど、彼女らはおそらく学歴社会においても勝ち組であり、手厚い教育も受けているはずなのだけど、「どうやら、何にもわかっていないらしい」。パーティも豪勢にやっているけれど、見せかけだけで中身が何にもない。ひとことで言えば “白痴“ である。


対して、半地下の家に住んでいる家族は、ペテンなのだけど、何かとよく知っているし、機転が利く。


一般的な理解では、支配者階級が世界を動かしている、経済を回しているという認識だけど、『パラサイト』で描かれている支配者階級は祭りあげられているだけの “裸の王様“ であって、世界を動かしている、経済を回しているのは半地下の家族のほうである。


上部構造:金持ち / ブルジョワ/ 支配者階級 / 白痴(からっぽ)

下部構造:貧乏 / プロレタリア / 被支配者階級 / 世界を動かす主体


この映画の韓国でのタイトルが寄生虫になっているのだけど、見かけ上の寄生虫は、高級住宅に住みついた半地下の家族なのだけど、"家" の歴史で考えると寄生していたのは お金持ちの夫婦のほうだとも言える。




さてさて、今日話したいのは、 『パラサイト』ではなくタイトルにある韓国ドラマ『私の解放日誌』なのだけど、これがとにかく美しくて、『ラ・ラ・ランド』のように誰もがパッと見てすぐにわかる美しさではなく、情緒的というのか、アンビバレントというのか、絶妙なタッチとバランスで "美" を表現している。



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このテイストを、2時間の尺の映画やあるいは小説で描くならまだ分かるけど、全16回もあるテレビドラマでやるというのはすごいことだと思う。後半でハードボイルドの要素を入れていたけれど、ま、あれはどうでもいいっちゃどうでもよくて、それを差し引いてもやっぱりすごい。


韓国ドラマはクリエイターの層が厚いよね。


このドラマは “家が遠い“ ということがモチーフになっていて、“家が遠い“ ということが、この物語を動かす、世界を動かす “動力“ になっている。たかだか “家が遠い“ ってことだけで、「これだけ物語が動いて、これだけ世界が動くのか!」という驚きが率直な感想。


主人公の家族はサンポ市というソウルの郊外の田舎町に住んでいる。サンポ市というのとその最寄駅のタンミ駅というのは架空のようだけど、ロケ地が水原市(スウォン市)のちょっと南くらい。水原市KTX(韓国の新幹線)でソウルから30分。ドラマのなかの話でもソウルまで地下鉄/郊外電車を利用して通勤時間が片道1時間半くらいのところのようだ。


「通勤時間が片道1時間半なら全然遠くないじゃん!」


って日本人の感覚では思ってしまうのだけど、日本で言えばどこくらいの設定だろうか?


僕が東京にいた頃の知り合いで家が遠いと思ったのは....


当時、栃木県の小山から通学している子がいて、それは「とおっ!」って思った。あと小田原から通っている人もいて、やはり「とおっ!」って思った。中央線なら八王子はいくらでもいるから、山梨県までいって大月くらいなら「とおっ!」って思うかな。常磐線なら柏はいくらでもいるから、茨城県取手や土浦くらいまでいけば「とおっ!」って思うかな。


日本で言えばそのあたりかな....




主人公の家族は「父・母・姉・兄・妹」の五人家族。姉が40歳近くで、妹はまだ20代かな? でももう30歳に近いと思われ、みんなまだ独身。退屈な田舎町に辟易としていて、「結婚したい!」「車が欲しい!」「こんな田舎町にはもう希望がない!」という感じで、わざわざ長い時間をかけて毎日毎日ソウルまで通勤している。やっぱり気持ちはソウルに向いている。


でもいざソウルに行ったらどうかといえば、一番下の妹が顕著で、彼女はソウルの綺麗なビルにオフィスを構える広告デザインの会社に勤めていて、いわゆる “勝ち組“ の職場なのだけど、そこでは “家が遠い“ ということで "下" に見られている。


演じている女優さんが沢尻エリカ似の美人だからイマイチ説得力がないのだけど、服も地味で 田舎臭いというか、流行に乗り遅れている、あるいは流行を知らないとレッテルを貼られているようで仲間に入れてもらえないという様子。


姉は姉でソウルで働いているからといって結婚相手が都合よくみつかる訳ではなく鬱屈とした毎日を過ごしている。兄は上昇志向が強く、思いやりもありいい仕事をするのだけど、職場に恵まれずパッとしない毎日を過ごしている。


“家が遠い“


という現状から、彼彼女らはどうすれば "解放" されるのか?"幸せ" になれるのか?


“家が近い“


ふつうに考えれば、そうなれば幸せになれるはずである。


つまり「ソウルに住むこと」 、ソウルの一員になってしまえば幸せになれると思うのだけど、どうもそう簡単ではないようだ。


妹がやはり一番わかりやすいのだけど、彼女はソウルのコミュニティーに入っていこうとしない。例えば、彼女の会社では福利厚生というか、社員同士でサークル活動をすることを支援していて、「みんなでボーリングに行ったり、カラオケに行って楽しもう!」ということを推奨するのだけど、彼女はそういう雰囲気に馴染めない。あるいは同じ部署の女性スタッフが「みんなでグアムに遊びに行こう!」って盛り上がっているのに、誘われないし、誘われたいとも思っていない。


大企業に勤めたり、都会に住めば誰もが感じていることかもしれないけれど、「みんなが海外旅行に行っているなら、自分も1回や2回は行ってないとダメ」「みんながこれくらいの所に住んでいるなら、自分も相応のエリアに住まないとダメ」「みんなが子供をこれくらいの学校に通わせているなら、自分の子供もそのレベルの学校に通わせないとダメ」。


「くだんねーな」


と思うけれども、この種の"同調圧力"は根強くある。




このドラマには、もう一人キーになる人物が出てきて、主人公の家族が住む田舎町に住んでいるのだけど、出自が分からないし、過去に何をしていた人なのかもわからない。


なんというか、すごくニヒルな男性で、人生に意味はない、生き甲斐がないという空気をぷんぷん醸し出している。例えるならば、奥田民生陰キャ バージョンといったところか。



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僕らは自由を ♪

僕らの青春を ♪

大げさに言うのならば ♪

きっとそういう事なんだろう ♪


しかし彼はニヒルだけど、仕事はできる。しかも奥田民生ではなく、浅野忠信ふうのイケメン俳優が演じていて、これがハマり役でニクい!


沢尻エリカ似の美女と浅野忠信ふうのイケメンが恋に落ちるというのだから、これはこれで 悔しいけれど、やっぱり “美しい“ のである。




まぁ、こんな感じで、なんとも “美しく“ なんとも “ミステリアス“ なドラマなのだけど、知り合いの韓国人留学生に聞いたら、このドラマは


ソウル中心主義に対するカウンター(抵抗)


を描いているとのことだった。


なるほど!


日本でも東京の一極集中は顕著で、大阪や名古屋であっても仕事の規模が小さい、仕事のチャンスが少ないということで、活動の拠点を東京に移す、東京に本社機能を移すという企業が多かった。ただコロナの影響で東京の優位性はやや落ちたという気がする。僕じしん東京を離れて3年ほどになるけれども、東京に戻って仕事をしたいという気持ちはいまのところない。


しかし韓国においてはソウルの一人勝ち状態で、ソウルだけがどんどん豊かになっていくという感じらしい。ドラマの舞台の京畿道は日本でいえば関東エリアという感じで、東京に電車で行こうと思ったら行けるところ。他の地域よりは便利だし、都会だという優越感も持てそうな地域だけど、日本でいう関東エリアにあたる京畿道でさえ寂れている。よって、みんなソウルで働きたい、ソウルに住みたいと、ソウルを志向する。


そうやってソウルにますます人が集まり、ソウルの人々は経済的にますます裕福になっていくのだろうけど、


「それで本当に幸せになれるのだろうか?」


ソウルにいながらソウルに居場所がない人。ソウルのコミュニティーに入りたくない人もいるだろう。『私の解放日誌』にはそういう人がよく出てくる。





『私の解放日誌』は、圧倒的なパワーを持つソウルに対する "アンチ" ではない。また逆に、「田舎へ帰ろう。田舎っていいよね!」という "ノスタルジー" でもない。また日本で少し前に流行った田舎で優雅に暮らそうという "ロハス" でもない。


第一次世界大戦  「すべての戦争を終わらせるため戦争」  の直接の余波の中では、科学、医学、そして産業の勝利が、近代というプロジェクトのもつ解放の約束を果たしてくれるようにみえたのである。だが1930年代になると、新たに都市化された大衆、戦争が引き起こした社会変動、革命や経済不況によって、世界規模の政治的ならびに経済危機に直面することになり、どうしても心理的 社会的な安定性がすぐにでも求められるようになる。こうして歴史上初めて、独占企業と国家資本主義の両方にとっての利益が、文化的近代化の解放的方向性からそれていったのである。(ハル・フォスター編『反美学』所収、ケネス・フランプトン「批判的地域主義に向けて」pp.43-44.)


『私の解放日誌』を観ていて想起したのが、この『反美学』という本で、これはポストモダン芸術の宣言集で、当時建築や美術を学ぶ学生が「これを読んでなかったらもぐりだ!」と言われるから僕も読んだという程度で、有名な論文も所収されているけれども、小難しい感じがしてあまり熱心には読まなかった。


ただ何十年ぶりかに読んでみると、ケネス・フランプトンの「批判的地域主義に向けて」という文章などは、宣言集だから論の展開が粗いのだけど、言っていることはよく理解できた。確かに "テクトニック""自律性"といった難しいキーワードがちょこちょこっと出てきていて、「この後の理論展開はとても難しくなるよ」という暗示があるのだけど、それはひとまず無視して、彼の論文を参照しながら、『私の解放日誌』の考察に入る。


批判的地域主義


『私の解放日誌』のスタンスを言い当てるならば、まさに "批判的地域主義" になるのではないかと思う。


韓国ドラマのタイトルは時々「ギョッ」とする。例えば『キム秘書は一体なぜ』というドラマはタイトルを聞いても、「はっ? 何のドラマかさっぱりわからない」と言いたくなるし、このドラマの "解放" というワードはちょっと重いというか、これが中国だったら放送の許可が出ないだろうと思うし、言葉の持つイメージが強すぎて、「ドラマだったらふつう避けるよな」という言葉がストレートに使用されている。


ただ、こうやって考察すると、『私の解放日誌』の "解放" というワードには実際にかなり政治的な意図が含まれている訳で、このタイトルがふさわしいという気持ちになってくる。


そう言えば、ケネス・フランプトンの「批判的地域主義に向けて」という論文は建築について書かれた論文なのだけど、90年代当時は、オランダやスイス、スペイン、あるいは北欧といったヨーロッパ "周縁" の国々の建築家がメディアで積極的に紹介されていた。実際に彼らの活動が活発だったのかもしれないけれど、このムーブメントは明らかに政治的な企てであった。"ロンドン・パリ中心主義" に対するカウンターだったのだと今になって気がついた。この文脈に沿って安藤忠雄伊東豊雄妹島和世西沢立衛といった日本の建築家も好意的に世界の建築シーンで紹介されていた。


ヨーロッパで言えば、ロンドンやパリが近代化の中心であり、近代が古典的な過去の社会と決別し、これまでの重苦しい暮らしから "解放" してくれると思ったらそうではなかった。近代化で生み出された都市や大衆によって、また新たな問題が巻き起こされたし、戦争も終わらなかった。その近代をさらに乗り超えようというのが "ポストモダン" になるのだけど、


「そりゃ、一筋縄にはいかないよね。難しいよね」


そして、中心主義でもなく、周縁主義、地域主義でもない "クリティカル・リージョナリズム(批判的地域主義)"というイズムが掲げ上げられた訳なのだけど、この対立の図式とその克服方法については、ソウル中心主義に対抗し、あるいは田舎、地域主義を克服しようという『私の解放日誌』の問題設定と合致する。


「構造学」とは単に物質的に必要な建造物を作り出す活動のことを言うのではない。それはむしろ、この建造物を芸術的な形態に引き上げる活動を指しているのである。機能的に適切な形態は、その機能に表現を与えるために採用されなければならない。ギリシアの円柱はエンタシスが与える、支え持つという意味は、こうした「構造学」の概念の基準となる。

今日でもあいかわらず、構造的なものとはわれわれにとって、材料、技術的作業、そして重力を相互に純化させあい、そのことによって、事実上全体的構造の凝縮的表現であるような構成要素を生み出すことのできる方法なのである。われわれはここで、ファサードによる再 現前(表象)ではなく、詩的なものの構造における現前(プレゼンテーション)について語ってもいいだろう。(同上 p.60.)


フランプトンは近代を超えるものとして、目に見える物質的なものではなく、触覚的というか目に見えない知覚的なものにその可能性を見い出そうとしている。ややこしくなるので前後を割愛するけれども、彼は最後にこのようなパワーワードを記している。


単なる見せかけを越え出ること




 見せかけじゃいけない


 見せかけなんてどうでもいい


 目に見えない大切なもの


『私の解放日誌』で言うのならば


 きっとそういう事なんだろう



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9月19号(월요일)

海底撈




久々のブログ更新。
中国語と韓国語の勉強は続けていて11月にテストも受けるのですが、ちょっと勉強方針を変更しようと思います。


6月に中国語検定2級とハングル検定準2級に落ちて、11月にリベンジするための計画を立てて、文法と単語の総復習、覚え直しをしようと暗記カードもちゃんと作ったのですが、いざ覚える段階になると作業が単調すぎてなかなかドライブがかからない、要するに時間をかける割に身につかないんですね。


また、世界情勢もかなり変わってきたので、中国や韓国といった東アジアに対する関心だけではなく、安全保障、米中関係、バイデンの政治、民主主義、資本主義など勉強したいテーマが出てきました。語学の勉強だけではなく、本を読む必要があります。


なので、検定試験対策という縛りをいったん解除して、実践というか、ニュース、ドラマ、映画、雑誌、書籍で中国や韓国の情報を接種するなかで中国語や韓国語に触れるという勉強スタイルにしようと思います。


語学の検定試験は今後も受験しますが、検定試験合格に向かって一直線に勉強するのではなく、中国語や韓国語に触れる時間を極力確保して、その経験値を積み重ねつつ、あるとき検定試験の問題をみたら、「あっ、けっこうできそう!」となるのが理想。


ま、そう理想どおりになるかはわからんけど、この勉強方法をしばらくやってみようと思います。




それで連休中に前々から読みたかった山下純さんの『海底撈 -知られざる中国巨大外食企業の素顔』を読みました。



この著者の山下さんは、僕の高校の1年後輩らしく、1学年200人くらいの高校なので1年下の人も大抵覚えているのですが、残念ながら山下さんは記憶にないです。ただなんとなく親近感を持って読むことができました。


まず感心したのは、この本がよく書けているということ。経営学の大学の先生やコンサルタントならわかりますが、現役のビジネスパーソンが、共同プロジェクトを行った相手方の企業について、ここまできっちりとレポートが書けるかといえば、なかなか難しいと思います。


しかも、自分が関わったプロジェクトのみならず、先方の企業の全体像を分析して的確に把握しているというのはすごいことだと、僕も見習いたいと思いました。




さて「海底撈」(ハイディラオ)という火鍋屋さんですが、日本にもけっこうお店があって、僕も何度か行ったことがあります。


kaiteirouhinabe.owst.jp


ただ日本で火鍋というのは食文化としてはまだ定着しておらず、どちらかと言えば、日本在住の中国人に好まれてお店が賑わっているという印象です。


飲食店という観点で言えば、マクドナルドやスターバックスは僕もふつうに行きたいと思って行きますし、韓国の焼肉、たとえばサムギョプサルなどは、「実際、牛肉より豚肉のほうが美味しんじゃね」とまで思って好んで行くのですが、火鍋に関しては食としてそこまで好むという感覚はまだないです。


ただ、この本にも書かれていましたが、中華料理というのは定番はあるものの標準化が難しい。料理人の熟練度による差別化がポイントで、チェーン展開や機械化と相性が悪い。対して火鍋というのは、スープは企業秘密というか、独自のノウハウがあるのでしょうが、スープは工場でまとめてつくれるし、あと具材はパターン化していて、それこそマクドナルドのハンバーガーがパンとハンバーグの組み合わせで何種類ものメニューが作れるのと同様に、チェーン展開との相性がいい中華料理だというのは、なるほどと思いました。


中国では人口10万人あたりで火鍋店が40店以上存在していることになる。
ところで、日本の国民食と言っても過言ではないのがラーメンだ。2021年の統計によると、日本でラーメン店の店舗数は約24,000店となっている。ファミリーレストランならば日本全国で7,000店だ。日本ではラーメン店の数は人口10万人あたり20店弱となっている。つまり中国では、日本で見かけるラーメン店の倍以上の火鍋店を街中で見かけるイメージだ。ちなみに日本のコンビニが人口10万人あたり約45店となっているので、中国の火鍋店は、ほぼ日本のコンビニと同じくらいの多さで全国にひしめき合っていると言える。(pp.21-22.)


中国で火鍋がなぜここまで受け入れられているのか? 日本人の味覚感覚ではわからないのですが、海底撈が取り組んでいる多店舗化や機械化というのは、日本でいえば、スシローやはま寿司といった回転寿司業界の競争や取り組みに近いと思われます。


この本には書かれていませんが、海底撈の接客サービスや店の雰囲気は僕も好きですが、スライスされて出てくる肉がすごく人工的なのはいい感じがしません。端的に言えば、回転寿司でお寿司を食べているような気分なのですが、海底撈の火鍋は回転寿司ほどリーズナブルではありません。一度東京駅でものすごく高い回転寿司屋に入ってしまったことがありますが、「えっ!回転寿司でこの値段?二度と来るか!」って思いました。そこそこのお金を取っておきながら、機械化前面推しの食材の提供ってどうなのだろう?という点は疑問に思います。


もしかしたら、中国は食の衛生環境があまりよくないので、人が実際に手を動かして作っているから良いという訳ではなく、むしろ機械によって食材の提供がなされているほうが衛生管理が行き届いていて安心であり、高級感があるという認識が中国人にはあるのかもしれません。



ただ、中国人に「火鍋を食べたい」とリクエストしたときに海底撈を勧めない人もいます。僕も中国人の知り合いと火鍋を何度か食べに行ったことがありますが、勧められたなかでは小肥羊というお店の方が好きです。海底撈と同様にチェーン店だから機械化もかなりされているとは思いますが、海底撈ほどマシンっぽい感じはしませんでした。


hinabe.net


おそらく、日本人が外国人に「お寿司を食べたい」とリクエストされたときに快く回転寿司を勧めるか否かと同様の感覚を、中国人も外国人に「火鍋が食べたい」とリクエストされたときに持っているのだと思います。




このようにいくつかの疑問があるものの海底撈は中国国内では圧倒的な優位性を誇っており、学べる点がとても多いです。もっとも興味深いのは、そのマーケティングというか、ターゲット層の設定とその取り込み方です。


お客は中国の新世代「九〇后」

「九〇后」(ジウリンホウ)

これは中国の世代を端的に表現する言葉であると同時に、その世代を象徴するニュアンスを多分に含んでいる。

中国では六〇后、七〇后、八〇后、と生まれた年が10年きざみでグルーピングされている。それぞれの世代は、育った時代背景、価値観、嗜好、消費行動などが大きく異なっており、八〇后と九〇后を比べても、その差の大きさに驚かされる。

九〇后の特徴は、デジタルネイティブであり、物心がついたころから周りにはスマホタブレット型端末があり、スマホにアプリをダウンロードして自由に使いこなす。中国のソーシャルメディアの代表格である微信(中国版LINE)などSNSを使いこなすセンスも抜群で、メールなどはほとんど使わず、基本的にコミュニケーションはSNSを主流としている。また、中国は世界でも有数のキャッシュレス社会になってきているが、その消費行動やキャッシュレス機能をスマホで使いこなしている牽引役の世代が、この九〇后といっても過言ではない。いわゆる日本でZ世代と呼ばれる世代に近い。

九〇后は、典型的な一人っ子世代である。両親と、祖父母、あわせて6人から、たっぷり愛情を注がれて、ちやほやされることが当たり前として育ってきた世代である。両親は六〇后から七〇后で、それより上の世代よりも経済力をつけているので、子供の教育や衣食住にかけるお金も少なくない。その結果、九〇后の若者たちは、モノの消費に大きな魅力を感じないケースが多い。モノよりも友達とつながっていることや経験型のコト消費に大きな価値を見出すといわれる。腹を満たすために食事に行くというよりは、友人たちや気の合う仲間たちとの人間関係のメンテナンスや拡充に、その主な目的を置いているといえるだろう。

九〇后は、食にもうるさい。小さい頃から、頻繁に外食に連れて行ってもらっているので、さまざまな外食形態をよく知っている。物怖じもしない。九〇后によく響くのは、「あなただけへのカスタマイズされたサービス」というメッセージである。他の人と同じはイヤ。「あなたが最初ですよ」とか、「これはあなたの好みにあわせた仕様になっています」といった提案に反応する。海底撈に来る客の9割が九〇后、またはそれより若い世代と言われている。海底撈の商売はコアターゲットである九〇后を抜きには語れない。当然、海底撈も、九〇后をしっかりつかんで離さず、あの手この手で若者たちを惹きつけるためのサービスを提供している。

九〇后は価値観についても他の世代と異なる。九〇后は空気を読んで消費するのではなく、個性を大事にして、自分のフィーリングにあった消費をする傾向があると言われている。流れに従わず自分流を大事にする九〇后のスタイルは「非主流(フェイジュウリュウ)」という言葉で表現されることもある。(pp.46-48.)


なるほど!


我々も商品開発のミーティングでZ世代を意識することがあります。ただZ世代の特徴はなんといってもデジタルネイティブということですが、我々のイメージとはかなり違います。


僕が学生だったのは90年代後半で建築の学生だったのでよく覚えていますが、当時ちょうどマックが普及しだして、学生が個人でコンピュータを持てるようになりました。僕より10年くらい上の世代(60年代生まれ)までは設計製図の課題はすべて手描きだったのに対して、僕ら(70年代生まれ)くらいからはCADやイラストレータを使って課題を提出するのが主流になりました。


だから僕らが想像するデジタルネイティブというのは、小さい頃からCADやイラストレータをおもちゃやゲームのような感覚で使いこなし、またパイソンのようなプログラミング言語も小さい頃に覚えて使いこなせるようになっていて、大学生になった頃にすでにクリエイティブ感覚が完成しているような人材がどんどん出てくると思っていました。しかし、実際はそうでもないんですよね。


むしろ退化している面もあって、スマホタブレットが進化したことにより、パソコンを使えない、キーボードを操作できないという人が逆に増えてしまったり、何か新しいものを作ろうというクリエイティブ感覚を研ぎ澄ましたり、行ったことがないところに行ってみたいという冒険心をあまり強く感じません。


ただ彼彼女らが情報発信力やコミュニケーション力が優れているというのは確かだと思います。TikTokYouTubeで自らの日常や体験を積極的に発信しています。しかしながら、SNSでバズるような大きな注目を集めることがある反面、炎上など、メンタルをやられる人もしばしば見かけます。


九〇后(Z世代)は「友人たちや気の合う仲間たちとの人間関係のメンテナンスや拡充に、その主な目的を置いている」という山下さんの指摘は、僕も強く感じます。


また中国においては、日本のZ世代にあたる九〇后が消費活動の牽引役ということですが、日本においてZ世代の消費活動がそこまで強いかといえばなんとも言えません。いまだにバブル世代(80年代後半から90年代前半に学生時代を過ごした世代)が一番消費活動が活発だと感じます。


日本と中国のこういった違いも面白いですね。


また中国における世代間の違いというのも興味深いです。


前に『都挺好』という中国の現代ドラマを観たことがあり、苏大强(スー・ダーチャン)という年金暮らしをしている主人公のお父さんにあたる人物が出てくるのですが、この人がわがままだし、デリカシーがなくて、観ていて腹が立つんですよね。



苏大强



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日本でいう老人というのは仕事や子育てをやり終えて、老後を謳歌しようという人もいますが、どちらかと言えば、落ち着いていて、あまり欲深くないし、むしろ孫に何かを買ってあげることに喜びを感じたり、じぶんじぶんという厚かましさはなく、節度があるという感じなのですが、苏大强にはまったく品性を感じないんですよね。


でも、中国人の知り合いに聞いたら「彼は面白い!」という言うんです。中国人にとって苏大强は愛されキャラなんですよね。よくよく聞いてみたら、「彼らはかわいそうという思いがある。なぜなら彼らの時代は貧しかったから」と。


言われてみればそうかと。日本でも戦前と戦後では大きく異なり、戦争経験者や戦後復興に携わった人たちは経済的にも厳しかったし、大変だったであろうと思います。ただ、いま現在は特定の世代に対する思いやりはそこまでないですね。むしろ就職氷河期の我々の世代を思いやってほしいという気持ちがあるくらいです。


中国が経済的に急成長したのは2000年代になってからで、特に北京オリンピック(2008)、上海万博(2010)あたりから勢いがついたという印象があります。中国で働いたことのある日本人に聞いたら、「2010年以前は中国でものすごくいい生活ができたけれど、今はもう物価も上がってきたし、中国人の所得水準も上がっているから日本から行ってもあまりおいしい思いはできないよ」と言われました。裏返せば、中国で80年代、90年代に働いていた人というのはやっぱり大変だったんだろうなと思います。


日本と中国の世代感覚、時代感覚は異なりますし、あと韓国も異なります。同じ10年、20年でも捉え方や感じ方が全然違います。また50年、100年の捉え方、感じ方も異なります。


今、中国で起こっていることを日本人の感覚ではなかなか理解できませんが、中国の歴史、時代感覚に沿って考えれば、分からなくもないです。


中国では六〇后、七〇后、八〇后、と生まれた年が10年きざみでグルーピングされている。それぞれの世代は、育った時代背景、価値観、嗜好、消費行動などが大きく異なっており、八〇后と九〇后を比べても、その差の大きさに驚かされる。


習近平国家主席は、この類別だと五〇后にあたります。五〇后の世代はちょうど文化大革命のころに学生時代を送った人たちです。毛沢東文化大革命で、中学、高校、大学の教育を撤廃したので、この世代の人たちはいわゆる教育を受けていません。坐学より実学をすすめるという福沢諭吉程度ならばまだわかりますが、毛沢東はもっと極端ですよね。中学生から学校に行かさず農村の労働に従事させたのですから。


2022年現在、毛沢東の政治をリバイバルするというのは、我々日本人の感覚からはなかなか理解できないことですが、中国の歴史を遡っていけば、あり得なくはないですし、戦後日本で暮らしていると民主主義が世界中に定着しているように思ってしまいますが、実際に世界を見渡せば、全然そうではないということに気付かされます。






 2022年6月日記

 阪根Jr.タイガース

 阪根タイガース