日記Z 2017年4月




4月30日(日)

サイバーエージェント・レディスゴルフトーナメント






女子ゴルフ・サイバーエージェント・レディスゴルフトーナメント@グランフィールズカントリークラブ(静岡県三島市)の最終ラウンドを観戦してきました。



注目の大和笑莉奈プロは11位タイでフィニッシュ。大和プロ、お疲れ様でした。残念ながらレギュラーツアー初優勝はなりませんでしたが、収穫の多い、実りのある試合でした。



スタート前、大和プロを練習場で見たときは、ちゃんとボールを捕まえていたし、挨拶をしたら表情もやわらかくてリラックスしていたので大丈夫かなと感じました。



スタートして1,2番のティーショットはややプッシュアウト気味でフェアウェイを外したのですが、よく飛んでいたし全然悪くないと思いました。案の定、3番で会心ティーショットを放って以降、ドライバーはノーミス。12番でやや左にいってフェアウェイを外しましたが、それ以外はすべてフェアウェイをキープ。飛距離も同じ組で回った鈴木愛プロ・キム ハヌルプロとほぼ一緒。というか、3選手のなかでドライバーは一番安定していました。



問題はアイアン。1,2番でややダフリ気味ではいってしまってピンを捉えきれず。3番は振り抜いてグリーンに乗ったのですがピンから右にそれてしまってボギー。「ああ、きょうはアイアン合ってないな」とはっきりと感じました。対して鈴木愛プロが2,3,4番と三連続バーディでスコアを伸ばしたので、「これはもう独走かな」と思いました。



がしかし、5番で鈴木プロがまさかの... ティーショットを大きく左に曲げて、このホールダブルボギー。一方、大和プロはティーショットが抜群、ロングホールなのでアイアンを使わずに、FW、UTでつないで、このホールバーディーで再び1打差。まだまだいける!



前半はアイアンを極力使わず、なんとかパープレーにまとめて後半戦へ。



後半戦はじめの10番ロングホール。大和プロ、きょうは本当にドライバーが好調でここもフェアウェイをキープ、セカンドをグリーン手前に落として、サードショットがピンを捉えてバーディーチャンス。「よし、いける!」と思ったのですが...



しっかし、残念ながら、バーディーが来なかった。鈴木愛プロもキム ハヌルプロもランキングの上位選手なので、ドライバーもさることながら、アイアンもうまいのでバーディーチャンスが何度もくる。大和プロはここまでプレッシャーをじわじわと受け続けていたので、この10番のバーディーは取りたかった...



ここが勝負の分かれ目でした。



次の11番ショート,12番ミドル。やはりアイアンを使わざるを得ないシチュエーション。しかし、今日はもうアイアンがダメだとわかっているし、信頼もできないので、ピンを捉えられない。パターも微妙な距離を残してしまってパーをセーブできなかった。そして、ここから大きく崩してしまった。アイアンが打てないので今まで保ってきたリズムがズタズタになり、最後16,17,18番はもうパターも打てないという負のスパイラルになってしまった。



試合は、同じ組で回ったキム ハヌルプロと鈴木愛プロがプレーオフを戦って、キム ハヌルプロが見事優勝



キム ハヌルプロ おめでとうございます!!






試合後、大和プロに聞いたら、観戦していて思っていたとおりのことを言われました。「きのうまでは寒かったので大丈夫だったのですが、きょうは練習のときからヤバイなって感じてたんです。きょうは気温が上がってきたので、アイアンがやわらか過ぎてもう振れませんでした」。



彼女は戦いきったという充実した表情を浮かべつつも、やはり悔しいという気持ちが抑えきれず涙目で語っていました。



我々技術サポートチームもわかっていたのかと問われれば、わかっていた。手を打てていたのかと問われれば、打てていた。



我々にとって反省の多い、悔しい試合でした。



大和プロと普段からもっともっと話し合っていかねばなりませんし、技術チームのスタッフ間でも、もっともっとコミュニケーションを取っていかねばならなりません。裏返せば、コミュニケーションをもっと密に取れば、結果はどんどん良くなっていくということです。



きょうは悔しかったけど、いい試合でした。正直、最終日に最終組について回るというのは初体験でした(笑)。あの独特の緊張感をずっと感じてプレーを見守るという貴重な経験をさせてもらいました。



大和笑莉奈プロ、ありがとうございました!!



次回もみんなでがんばりましょう!!




4月29日(土)

Fight ! ERINA !!




先週の日曜日にクロムモリブデンの公演を観劇しようと思っていたのだけど、じいちゃんの法事でいけなくなったので、チケットを取り直して明日行く予定だったのだけど...



いやー、まー、あのー、そのー、セブンドリーマーズの契約プロである大和笑莉奈プロが、今週開催されているサイバーエージェント・レディスゴルフトーナメント首位タイ、明日の最終日を最終組でラウンドすることになりまして、そりゃ、ま、応援に行くでしょ!



きょうもインターネットTVで観てましたけど、よく飛んでました。圧巻だったのは18番で同じ組の鈴木愛プロが会心ティーショットを放ってフェアウェイをキープ。見るからに飛ばしそうな鈴木プロのショットを解説陣もベタ褒めしていたのですが、その後に、小柄な大和プロが軽く振り抜いたショットが鈴木プロの飛距離を抜いたんですよ! そしたら、解説陣は「えっ!?」という感じで黙りこんでしまって、コメントができませんでした(笑)。



ぼくが設計したゴルフシャフトをあれだけ使いこなしてくれたら、やっぱりうれしいです。技術者冥利に尽きます!



大和笑莉奈プロは、今週の月曜日に試合の合間を縫って、芝公園ラボにきて、お客様にレッスンをしてくれて、その足で試合会場に向かったのですが、それでこの好成績ですから、ほんと頭が下がります。明日は精一杯応援してきます!



Fight ! ERINA !!




4月23日(日)

「縁」あればこそ








じいちゃんの25回忌で京都は法然院に行って参りました。法然院は街の喧騒から離れた京都・鹿ヶ谷にひっそりと佇んでいます。僕もとても好きなお寺さんで、東京に出てからもお盆と大晦日に必ずお参りにきています。お墓の前で手を合わせながら心を鎮め、煩雑な日常を一旦リセットし、そしてまた日常に戻るということを何年も続けています。



きょうは法然院貫主(かんす)梶田真章さんにお経をあげてもらいました。梶田さんのお経は声の品がよく、心に響いてくるので、聴いていると身が清らかになります。法然上人のお経もこんなふうだったろうと感ぜられます。



そんな梶田さんの説話のなかでも「ご縁」のはなしがとても好きで、僕が文章を書くときにもよく引用するのですが、きょうもその話が少しありました。それを受けて、僕も集まった皆様のまえで「ご縁」にちなんだお話をさせて頂きました。



そういう日でもありますし、せっかくなので、今日はここでも梶田真章さんの「ご縁」のお話を紹介させていただきましょう。






「縁」あればこそ



ご縁がある、ご縁がない。



ふだんの暮らしの中で、よく使っている言葉ですね。人にしろものにしろ、「縁があった/なかった」としか考えられないような関わり合いを、誰しも経験しているのではないでしょうか。この言葉が佛教から来ていることはご存じかもしれませんが、この「縁」、正確には「縁起」こそが、佛教のもっとも大切な教えなのです。



「縁起」とは、すべてのものが関わり合っているありようのことです。人も動物も植物も、すべての存在は原因と条件という「因縁」が整うことによってあり、何ものも他のいのちと関係なく、それだけで存在することはできません。個々のいのちは、お互いに支え合い、あるいは傷つけ合いながらも、他のいのちがあってこそ、初めて「自分」となるのです。



まず第一に、私たちは、ひとりで生まれてくるのではないですね。因縁によって、生まれるべくして生まれてくるので、両親の存在もひとつの縁にすぎませんが、両親がいなければ自分もこの世にはいないわけです。



大人になって社会に出て、自立して生きているつもりでも、まったく他のいのちと関わらないということはあり得ません。いつも通る道に気持ちのいい木があったり、朝晩行き会う犬や猫はいませんか。あるいは、はからずも鉢植えの花を枯らしてしまったことはないですか。さまざまな関わり合いのなかで、個々のいのちはあるのです。



もうひとつ、何かを「見る」ということについて考えてみましょう。わたしたちは目でものを見るわけですが、そもそもそこに、見る対象があるから見えるのですね。目があるだけでは「見る」ことはできない。すべてのものは「現象」なのです。単にその時々のものごととしてあるのであって、変わらずあり続ける絶対的な「実体」などありません。「こと」は「もの」によって起こり、「もの」は「こと」によってつくられます。



ですから、「わたし」を存在させているのも「わたし」ではありません。無数のいのちの重なりが、「わたし」のいのちとして現れているのです。「わたし」の存在を決めていくのは、まわりとの関係でしかありません。「縁起」とは、この世をつかさどるものであり、「わたし」が生きているあいだ、また生まれる前も死んだ後も、変わらずあり続けている世界のありかたである。それを「真理」とも呼ぶのです。



「わたし」という実体はどこにもない。
これが二千数百年前にお釈迦さまが悟られた、佛教という宗教なのです。



他のいのちとの関わり合いの中で、まさに「わたし」は、生かされ、生きているのです。「わたし」の人生を送る中で、「わたし」の意志はほんの一部にすぎません。明日法然院に行こうと思っていても、朝起きたら雨で行きたくなくなった、ということもあるでしょう。「行きたい」という意志を成り立たせる条件が整って初めて、じっさいに「行く」となるわけです。条件が整うことは当たりまえではありません。



こう申し上げると、縁というのは偶然もたらされるものだと思われるかもしれません。しかし、縁は必然なのです。思いがけない出会いや別れも、悲しいできごとさえも。このことは、運命論などとはまったく違います。すべてあらかじめ決まっているのではなく、それぞれの、その時々の関係性において決まっていくものなのですから。



ふつうの人間の頭では、到底理解し得ないところに真理はある。
「理解できないものなど存在しない」と、片づけてしまうのは簡単です。しかし現実には、納得できない、あるいは予想もつかない不思議なことが起こります。どうしてあのタイミングであの人に会えたのか、どうしてあのときとっさにあんな行動がとれたのか。それをつきつめていくと、私たちの知恵の及ばない「何か」がある、と考えたほうがつじつまが合う。その「何か」こそを、縁起というのですね。



すべてを理解する必要などないし、またできるわけもないのです。まずはそこから出発したらどうでしょうか。



梶田真章『ありのまま』(リトルモア)pp.90-93.





4月16日(日)

2017年4月16日



そういえば、この前、同僚に「仕事が終わって家に帰るまえに喫茶店に寄る」と言ったらびっくりされた。もうずっとそうしている習慣だから自分としては何をそんなに驚かれないといけないのかわからなかったけれど、その同僚曰く、「飲みに行ったりしない限り、さっさと家に帰りたい」と思うものらしい。


ま、喫茶店で何をやっているかと言えば、本を読んでいるのだけど、最近は本を読まないでずっと日記を書いている。ちょうど年度末の締めと新年度のスタートの時期で、色々と整備せねばならないことがあるから、その構想をノートに書き連ねている。


年度末を目指して色々と整備してきたのだけど、ちょっと間に合わなかったことがあったり、あるいは、新年度をスタートするにあたって、どういったルールで、各自がどういった動き方をすれば、チームが機能するのか? なんかを考えてノートに綴っている。


「う〜ん」といつも腕組みして首を傾げているから、同僚だけではなく、喫茶店の店員さんにも変な人と思われているかもしれない。


ま、仕事はいろいろ問題あるけれど、いいところまで来てる。






きょうは朝練に行かなかった。ここんところ平日はノンストップで突っ走っているから、週末疲れがたまって日曜日の朝が起きられない。無理せず朝練を中止。きょうは仕事もやらないようにした。






久しぶりに観劇。チーズtheater『THE VOICE』@池袋・東京芸術劇場シアターウエスト。


3.11を題材とした作品。事前情報なしで観劇したからかもしれないけれど、舞台を直視できなかった。2時間のうちほとんどの時間、目をつむっていた。東日本大震災から6年が経つから、当時よりは冷静に見られるかと思ったけれども、逆に見られなかった。


当時、ぼくは東京にいて被災した訳ではなかったけれど、なんとかせねばならないと思って、何かとやろうとした。震災をテーマとした詩の朗読会に参加したり、何かしら発信していこうと思った。これは衝動的なもので長続きしないからやめたほうがいいと思ったけれど、自分の気持ちに従おうと思ってやっていた。そして案の定、しばらくしてフェードアウトした。


震災の半年後に転職して、なんとか生活できる目処がついたから震災についてどうこう言うという気持ちではなくなっていた。結局、震災どうこうではなく、自分は自分で生きていくので精一杯で、目の前の仕事は大変だし、色々問題は起こるし、仕事の環境も変わるので、それに対応するのでいっぱいいっぱいだった。要するに、震災から意識が離れてしまったのだ。


きょう観た作品は、それはそれで忘れないと思う。自分の意識の深層に、2017年4月16日、何かしらが刻まれたのだと思う。










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