2021年5月日記Z

5月31号(월요일)today:4h // 今月 中国語:24.5h / 韓国語:59.5h / ゴルフ: 13.5h / 読書:15h

한국어:4h

過去問題(第50回)
単語、文法



5月30号(일요일)today:6h // 今月 中国語:24.5h / 韓国語:55.5h / ゴルフ: 13.5h / 読書:15h

한국어:6h

単語、文法


5月29号(토요일)today:5.5h // 今月 中国語:24.5h / 韓国語:49.5h / ゴルフ: 13.5h / 読書:15h

한국어:2h
・過去問題3回目
  ・小テスト 71点(合格)
 問題に多少慣れたのか?点数は上がってきたけど、手応えなし。特に듣기が全然だめ。
 簡単なワンフレーズでも単語の意味がすぐにわからないと答えられない。
 とにかく単語かな....


汉语:3.5h
レッスン:1.5h
 ・中国語検定3級対策の打ち合わせ。
 →「听力」単独でも合格点に乗らねばならないので、その対策。
  「阅读」「书写」はHSK4級よりも簡単。問題をこなせばたぶん大丈夫。

テスト勉強:2h



5月28号(금요일)today:4h // 今月 中国語:21h / 韓国語:47.5h / ゴルフ: 13.5h / 読書:15h

한국어:2h
・オンラインレッスン
  ・小テスト 16/30点
  ・ハングル検定4級対策(連体形など)
・単語



5月27号(목요일)today:2h // 今月 中国語:21h / 韓国語:43.5h / ゴルフ: 13.5h / 読書:15h

한국어:2h
・単語



5月26号(수요일)today:2h // 今月 中国語:21h / 韓国語:41.5h / ゴルフ: 13.5h / 読書:15h

한국어:2h
・単語



5月25号(화요일)today:2h // 今月 中国語:21h / 韓国語:39.5h / ゴルフ: 13.5h / 読書:15h

한국어:2h
・単語



5月24号(월요일)today:2h // 今月 中国語:21h / 韓国語:37.5h / ゴルフ: 13.5h / 読書:15h

한국어:2h
・単語



5月23号(일요일)today:6h // 今月 中国語:21h / 韓国語:35.5h / ゴルフ: 13.5h / 読書:15h

ゴルフ:2h
健康のために軽く


한국어:4h
・ハングル検定4級過去問題 2回目。
・単語

採点したら合格点にギリギリ乗ったけど、まったく手応えなし。とくに듣기は最悪、正直ぜんぜんわからなった。쓰기はそこそこできたけど、発音やら変則活用やら細かいところを問われるので大苦戦。TOPIKは総合力を問うてくるが、ハングル検定はほとんど単語テストという感じ。とにかく時間が許すかぎり、覚えて、演習をこなすしかない。




5月22号(토요일)today:7.5h // 今月 中国語:21h / 韓国語:31.5h / ゴルフ: 11.5h / 読書:15h

読書:4h

熊野純彦本居宣長』(作品社)、まだ外篇しか読んでいないが大変刺激的な書である。

まず、われわれ素人は先生のように数多くの文献をあたって論を構えるということができない(時間的にも、能力的にも)。

プロの研究とはなにか。

その姿勢を示してくださっている熊野先生に敬意を表します。

さて、この書の読みどころはたくさんあり、小林秀雄のくだりも興味深く、思うところが多々あるけれど、今は、あえて言わずに心のなかに留める。それよりもやはり相良亨のくだりであろう。

本書を手に取った経緯は、夏目漱石草枕における有名なシーンから。

茶色のはげた中折帽の下から、髯だらけな野武士が名残り惜気に首を出した。そのとき、那美さんと野武士は思わず顔を見合せた。鉄車はごとりごとりと運転する。野武士の顔はすぐ消えた。那美さんは茫然として、行く汽車を見送る。その茫然のうちには不思議にも今までかつて見た事のない「憐れ」が一面に浮いている。
「それだ! それだ! それが出れば画になりますよ」
と余は那美さんの肩を叩きながら小声に云った。余が胸中の画面はこの咄嗟の際に成就したのである。

この「憐れ」とは何かを遡るために本居宣長を手に取った。さらに言えば、『草枕』にかぎらず、

夏目漱石は一生を通じて、なぜあれほどまでに苦悩したのか。

それが分からなかったからということもあった。そういう想いをもって、熊野純彦本居宣長を読み進めていたので、相良亨のくだりにはかなり反応した。


吉川、小林の両著が刊行された翌昭和五十三(一九七八)年、相良亨『本居宣長』が世に問われる。二著とならんで、宣長思想にかんする総体的な理解を提起する一書であった。(中略)ここでは二、三の点をめぐってのみ、言いおよんでおくことにしたい。

一点は、丸山眞男の本居解釈に対する一定の修正についてである。丸山が、宣長は「一切の規範性を掃蕩した内面的心情をそのまま道として積極化した」(『日本政治思想史研究』一七八頁)と解していたしだいにかんしては、すでに見ておいた。相良は、これに対して、宣長が「真心だけを求めていたのではなく、「古の道」が実現されることを切に願望していた」消息をあらためて強調する。相良によれば、本居が説いたのは「内の真心と外の「古の道」」なのであった。そのかぎりでは、宣長学の「政治性」を問題とするならば、それは日本政治思想史研究者とは、べつの場所、べつのしかたで問われなければならないのではないか、とするのが相良の認識である(『本居宣長』一九九頁以下)。

(中略)

相良の宣長像は、本居のもちいる「せむかたなし」という語に着目するところに成立するものであるけれども、相良によれば「「せむかたなし」は、あくまで「古の道」を一方に志向するが故」に語りだされることばなのである。相良亨はおそらくここで、宣長が志という一句につよく反応している。相良の学は、日本倫理思想史学として、生と思考の姿勢そのものを、過ぎ去ったもののうちになお問いつづけるものであったからである。

それでは「せむかたなし」とは、それ自体どのような生と思考のかまえのことだろうか。この件が、とり上げておきたい第二の論点にかかわる。

相良によれば「「せむかたなく」というのは、何事かを思い願いつつも、やむなく他の生き方をする、やむなくある生き方をしつつも、なお何事かを思い願うという心のうごきを表現した言葉」である。そこにあらわれているものは一方では祈願であり、他方では断念である。ひとはつよく願い、希みつつ、しかしあきらめ、あきらめながらなお祈り、望む。相良が見るところでは、この「せむかたなく」こそ宣長の生と思考を理解するための鍵のひとつであり、断念と祈願とがない交ぜとなったその「心のうごき」が「終生宣長の心の底辺に流れ、様々な形をとってこれが現われていた」のだ(二〇九頁)。

(中略)

相良は、ここにも緊張をみる。こころざしというかたちで張りつめたかまえをも見ようとする。ここでも「「せむかたなし」というのは、「其時の神道」にしたがいつつも、善神への、上古への強い志向を内面にもつことを示している」。あらわになっているのはただの断念ではない。祈願だけでもない。相良亨の視界から見て、みとめられるのは、「善神への、上古への強い志向をもちつつもなお「其時の神道」にしたがうという精神の緊張」にほかならない(相良前掲書、二四〇頁以下)。

熊野純彦本居宣長』pp.336-339.抜粋して引用


そして、本書のすごいところはこの先。こういう切り込み方もあるのかと。ただし、論の本筋から外れるわけではない。なぜなら本居宣長をめぐるキーマンである丸山眞男や相良亨、六八年世代の研究者も数多く出てくるのだから。本書十九章の冒頭から引用する。


一九六八年を頂点として、先進資本制国家のいたるところで、学生叛乱の嵐が吹きすさぶ。極東のこの国も例外ではなく、日本大学を先頭に、全国各大学ではつぎつぎと全共闘(全学共闘会議)が結成されて、学生たちは、あるいは大学本部を、あるいは校舎、学生会館を占拠し、さまざまな要求を突きつけた。東京大学では、医学部の研修医問題に端を発し、紛争はやがて全学におよんで、助手共闘や全共闘の内部では、たんに学内問題が問われたばかりではなく、批判の武器が向けられる対象は、ほどなく学の理念と体制、近代合理主義の原罪と限界、戦後民主主義の欺瞞性にまでひろがってゆくことになる。

そうした動向のなか、ことに処する丸山眞男の姿勢とその言動が、学生たちにとってひとつの標的となったのが正当であったか、丸山への批判は不当な攻撃であったのかについては、なお判断がわかれるだろう。さきにしるしたとおり、ともあれ丸山は健康上の問題もあり、停年まえに東大を退職していった。  丸山は昭和五十五(一九八〇)年、日本思想大系中の闇斎学派の巻に解説を寄せている。眞男にとって最後の学術論文である。闇齋の学風の容赦なさと、学派内部で不断に生起した内紛にふれた一節を引く。

(中略)

闇斎学派にあってのいわば“内ゲバ”の凄まじさをめぐってしるされた一文で、丸山眞男が、昭和四十五(一九七〇)年前後から顕在化して、やがて連合赤軍事件を引きおこし、七〇年代に党派間の殲滅戦まで帰結した新左翼勢力の情勢をあわせて想いうかべていたことはまずまちがいない。丸山もまたそれなりに持続的なかたちで、みずからが糾弾の対象となって巻きこまれた「六八年革命」の後史をめぐって思索を重ねていたのである。  親しい友であった埴谷雄高が「いま思想家の多くはこの非情な内部ゲヴァルトをすでに見捨てているが、内部ゲヴァルトの側もまた思想家を見捨てている」と書いた情況のなか、これはそれなりに、思想史研究者のひとつの佇まいであったように思われる。

相良亨(一九二一〜二〇〇〇年)は、東大紛争が提起した問題と全共闘に結集した学生たちの思いを、丸山とはことなったかたちで受けとめた。いまふれておきたいのは、相良の場合についてである。

相良は旧制水戸高校教授であった厳父の膝下で小時から漢籍にしたしみ、和辻哲郎のもとで学んだ、その学問的な出発点もまた近世儒学の研究であった。(中略)相良にとって、儒教と武士道をむすぶものはまことの精神であり、誠実の倫理であった。(中略)相良にとって課題となったのは、つまり「「誠実であればよいのか」という問題」であった。思考の転回にかかわるいくつかの動機のうちで、まちがいなく大きな部分を占めていたのは、赴任後まもない助教授として際会した、東大紛争の経験である。昭和五十五(一九八〇)年にあらわれた一書、『誠実と日本人』の「まえがき」から引く。


「誠実」について私の思いを語ろうとする時、ふれないではすまされないと思いつづけたのは、否定される対象であった教官として体験した東大紛争である。私は、学生たちが「誠実」であることを認めた。少なくとも「誠実」たろうとしたことを認めた。だが、まさにその「誠実」が問題であると痛感した。「誠実」をいかにこえるかということが、研究者としても人間としてもきわめて大きな課題であるとはっきりと私に考えさせることになった、この紛争体験の私にとっての意義は大きい。しかし、紛争における学生の意識は様々であり複雑であり、慎重な検討を経た上でなければ、軽々に言及することがはばかられる。そのため、ついに正面からとりあげえなかった。

ただ一言すれば、彼らの一部には、「論理に対する誠実」とでもいうべきものがあったように思われる。それは伝統的な「誠実」といささか質が異なる。だがまた、私なりに捉えれば、「論理を信ずる自己に対する誠実」、あるいはまた「言行一致であること自体の誠実」など、ほとんど、あるいはまったく伝統的な「誠実」がそのまま、「論理に対する誠実」から剥離して働いていたのではないかと思われる(同書、一三頁)


本居宣長もまたまごころを説く。それはしかし、相良が分析していたように、「せむかたなし」という二重構造的な生と思考の姿勢と絡みあった、複雑な結構をはらむものだった。ひたぶるのまことまごころとのあいだには、古道そのものと「其時の神道」との間隙がひろがっている。思うに相良は、この距離のうちに誠実の倫理とその行き止まり(アポリア)を超える可能性のひとつを見てとりたかったように思われる。

(中略)

  相良亨はいわゆる「造反教官」ではなく、四十代後半の少壮助教授として、学生たちに相対したその姿勢は、むしろ非妥協的なものだったことが知られている。それにもかかわらず、相良のもとには、いわゆる六八年世代の若手研究者たちが数多くあつまった。

熊野純彦本居宣長』pp.341-345.抜粋して引用




汉语:3.5h
オンラインレッスン:1.5h
カード制作:2h



5月21号(금요일)today:2h // 今月 中国語:17.5h / 韓国語:31.5h / ゴルフ: 11.5h / 読書:11h

한국어:2h
オンラインレッスン
・テスト 8/30点
・ハングル検定4級対策


4月に受けたTOPIK1の結果がわかった。

140点以上が2級なので、あと3点足りず。自分としては思っていたよりも取れていたので、もうちょっと勉強しておけばよかったという気持ちもあるけれど、大学入試だったら泣いていたけれど、いまは実力チェックに試験を利用しているので、140点も137点も別に変わりない。

またテスト勉強をしていた時点で、問題集に歯が立たなくて、「こりゃ、もうちょっと勉強しないといけないな」って思っていたので、ま、いいや。10月にもう一度トライしよう。

それよりもびっくりしたのは平均点の高さ。TOPIK1はTOPIK2に比べたら、めちゃくちゃやさしいけれど、それでもある程度勉強していないと点数が取れない。初級のテキストを一通り終わらせて、そこそこ演習をこなして定着させていないと140点以上は取れない。にもかかわらず平均点が140点以上だから、受験者の半分以上が2級に合格している。要するにTOEICみたいにとりあえず受けてみるという冷やかし受験がほとんどいないってことだよな。

しかも僕が受験した教室で男は僕1人。ほとんどの受験生が女性で、リスニングの点数がみんな高いから、韓流ドラマやK-POPにハマって韓国語を熱心に勉強する人が多いってことか?

この親和力は何なんだ?



仕事...



5月19号(수요일)today:2h // 今月 中国語:17.5h / 韓国語:29.5h / ゴルフ: 11.5h / 読書:11h

한국어:2h
単語やフレーズ




仕事が忙しく... 時はながれ...





5月13号(목요일)today:3h // 今月 中国語:17.5h / 韓国語:27.5h / ゴルフ: 11.5h / 読書:11h

ゴルフ:1.5h
数は打たなかったけどよかった。つま先重心にして体重が正面に残っている状態で左肩を入れる。アイアンがだいぶん安定してきた。

한국어:1.5h
語尾


5月12号(수요일)

仕事を片付けねばならない時がある。



5月11号(화요일)today:4h // 今月 中国語:17.5h / 韓国語:26h / ゴルフ: 10h / 読書:11h

読書:2h

三人は、ようやく大陸に着いたといった安堵感でぐっすり眠る。なんという哀れな旅行感覚。植民地、あるいはそれに近い土地への帰省に、なんの不自然も感じていない三人の若者の安らかな寝顔は、それだけ不幸である。

列車は朝鮮を北上して、鴨緑江を越え、ようやく満州にはいっている。安東を過ぎ、鳳凰城に近づいている。外は暗い。しかし、窓からはいってくる、ひんやりと澄んで乾燥した空気を、胸いっぱいおいしそうに吸って、彼はこれこそ久しく忘れていた満州の匂いだと思う。

彼の嗅覚によれば、日本の空気は微かに湿っぽく、朝鮮の空気は微かに乾き気味であるが、どちらも植物的である。それらに対し、満州の空気はほんの少しばかり鉱物的である。石炭や鉄の匂いが、うっすらと漂っているようにさえ思われる。彼はそれが好きなのだ。もっとも、満州を北上して行くと、あるところに〈北限界〉という眼に見えないラインが横たわり、そこから先は植物の分布ががらっと変ってしまっている。ついでに言えば、そうした北方へ行けば、きっと氷が土の匂いが混っているような感じではないだろうかと、彼は想像している。夏でも、土の中には、冬の松花江黒竜江などの氷が、長方体に切られていくらか貯蔵されている。

先程までは、列車が満員で、彼は二人の後輩とデッキに立っていた。吹きっさらしの所に立っているとやはり寒さが身にしみるので、残り少い煙草に火をつけて、まるでそれで暖がとれるかのように煙を風に散らせていた。ガラスの扉ごしに、どこかの労働者の首すじに虱が這っているのを眺めていた。満員なので、それを教えてやることもできず、その労働者の汚らしい後姿を、まるで鏡に映った自分の姿のように眺めていた。

駅弁があるわけではなく、昼食も夕食もしていなかったが、東京における猛烈な空腹の生活から学んだ哀れな知恵によって、前の夜から大便することを我慢していたので、それほどひもじくはない。とにかく、空襲の心配がなく、学生に憎悪の視線を投げつける日本の軍人に出くわすこともあまりないので、それだけ彼の心は暢気になっている。

列車は、大連駅のプラットフォームに滑り込んで行く。待ち焦がれていたなんという喜び。彼はそのとき、すれちがいざまに大連駅を出て行く列車を眺め、それに乗っているひとびとにふしぎな驚きを覚える。  旅の終りだ。

清岡卓行アカシヤの大連」より)


沢木耕太郎さんの『深夜特急』が好きで、学生時代にこういう旅ができたらよかったなと社会人になってから沢木さんの本をけっこう読んだのだけど、清岡さんの「アカシヤの大連」はそんな感じに似ている、なんてことはなく、全然ちがうのだけど、なんというか、鉄道で朝鮮半島を北上して遼東半島の先の大連まで旅をするというのは、わくわくするというのとは違うのだけど、やはりわくわくするというのに限りなく近い感触らしきものがあって、一度やってみたいと思うのであった。


한국어:1h
不規則活用など:1h



5月10号(월요일)today:4h // 今月 中国語:17.5h / 韓国語:25h / ゴルフ: 10h / 読書:9h

読書:2h

その頃、僕は、徴用のがれの卑怯な気持から、道庁の、ある職に就いていた。

その手前、右手にある煉瓦造りの建物が、京畿道の道庁であった。

梶山季之「族譜」より)


韓国では日本の都道府県にあたるものを「道」と呼んでいる。


京幾道 경기도 (キョンギド)
江原道 강원도 (カンウォンド)
忠清北道 충청복도 (チュンチョンプクト)
忠清南道 충청남도 (チュンチョンナムド)
慶尚北道 경상북도 (キョンサンプクト)
慶尚南道 경상남도 (キョンサンナムド)
全羅北道 전라북도 (チョルラプクト)
全羅南道 전라남도 (チョルラナムド)
済州道 제주도 (チェジュド)


そう言えば、北海道はなぜ「県」ではなく「道」なのだろう? 東京「都」や大阪「府」や京都「府」というのはなんとなく分かるが、なぜ北海「道」なのか? 島だからか? とびきり大きいからか? よく分からなかったし、高校の地理の先生も説明してくれなかったけれども、韓国では日本の「県」に相当する区分を「道」と呼んでいることから、「道」と呼ぶ慣わしも共時的に存在するということなのだ。

いま、「国」という基準で分けるならば「韓国」と「日本」という区別になるのかもしれないが、「道」という分類で分けるならば、「北海道」は「京幾道」や「慶尚道」や「全羅道」といったグループに仲間入りをすることになる。

この前、何かの本を読んでいてハッとしたのだが、日本の降伏が遅れていたら、ソ連が本州にまで侵攻してきていた恐れがあったという記述があった。

あんなバカな戦争なんてしなかったらよかったのにという批判はよく耳にするけれども、もし降伏が遅れていたら、日本の戦後はどうなっていたのかという議論はほとんど聞いたことがない。

想像するに、栃木か群馬あたりでピシッと線が引かれて、日本も朝鮮と同じように南北が分断された状態で戦後を歩んだという可能性も十分にあった訳だ。

国境というのは必要かと言えば必要で、ボーダーレスだと経済が暴れた時などに収拾がつかなくなるから、そういうリスクを分散させるという意味で必要だけれども、どこで境界線が引かれていたかというのは歴史を振り返っても、それほど強い必然性があるわけではなく、むしろ偶然性が非常に強いので、まぁ、国境や国籍というのは、あまり気にしなくていいのではないかと思う。


한국어:2h
発音:2h



5月9号(일요일)today:7h // 今月 中国語:17.5h / 韓国語:23h / ゴルフ: 10h / 読書:7h

한국어:4h
オンラインレッスン: 2h
 ・小テスト 27/30点
 ・ハングル検定4級対策

カード制作:2h

今日の過去問演習は中止。先週からの上積みがないのと、4級対策の問題集で覚えないといけないところがけっこうあって、そこそこ大変。演習より覚える作業を先に進める。

汉语:3h
カード制作:3h



5月8号(토요일)today:9.5h // 今月 中国語:14.5h / 韓国語:19h / ゴルフ: 10h / 読書:7h

ゴルフ:2h

読書:1h

汉语:4.5h
単語:3h
オンラインレッスン:1.5h

한국어:2h
単語



5月7号(금요일)

タイタニック観てしまった。しかも、途中で終わりよった...



5月6号(목요일)today:3h // 今月 中国語:10h / 韓国語:20h / ゴルフ: 8h / 読書:6h

한국어:3h
単語



5月5号(수요일)today:8h // 今月 中国語:10h / 韓国語:17h / ゴルフ: 8h / 読書:6h

ゴルフ:2h
朝練。今日はPWくらいから早くも自分の思う球が行かなくなった。きのう1日家で過ごしたので体がなまってしまったようだ。ドライバーは1発だけ綺麗な球が出た。肩が入ったかどうか、肩が入るまで下半身が踏ん張れるかどうか。


読書:2h
モーニングを食べならが読書。優雅だな。オレ。

戦前の中国と朝鮮の様子を知りたいと思い2冊の小説をちょびちょび読む。

彼は、妻がこの世の中からいなくなって最初の虚脱を覚えたとき、ふしぎなことに、第二次世界大戦で日本が敗けたときに覚えた虚脱を、まざまざと実感において思いだし、それらの二つがどこかしら似ていることに、大いに驚いたものであった。世界はふやけ、日常の生活は無表情に、しかし確実に流れ、空の澄んだ青さを眺めていると、まるで凄惨な何ごとも起こらなかったかのようである。彼は、戦争が終わったとき、むしろほっとして喜んだ方であるから、それらの二つの虚脱の相似は、まことに奇妙なことに思われた。

彼は、妻の病気の終り頃は、その死を予感しながら、もし戦争にたとえるなら、敗戦を覚悟で最後まで徹底的にたたかう兵士のような気持ちで、彼女の看護にあたっていたと言っていいかもしれない。夏の暑い毎日、病院へ通う坂道を登りながら、彼はしばしば、なぜか、シジフォスが受けたあの刑罰を思い浮かべていた。山の頂きから、永久に繰返して転げ落ちてくる重たく大きな石を、山の頂きへ、永久に繰返して押し上げなければならない空しい苦役。しかも彼は、それを、終りのないものであるゆえに、羨しいと思い、また、幸福であるとさえ感じたものである。そうした、彼の救いようのない絶望には、戦争末期の日本の、あの苦しげな喘ぎと、どこかしら似通うものがあったと言っていいかもしれない。

しかしまた、それらの二つの虚脱には、決定的に異っているところもあった。日本が戦争に敗けたときには、彼には一種の解放感があったし、祖国は滅亡せずに再建されるだろうという、のんびりとした他人まかせの安堵感もあったが、妻が死んだとき、彼には、彼女はもう決して戻ってこないのだという喪失感、あるいは空白感しかなかったからである。

そのような悲しみが、彼女が死んでから八箇月ほど経った現在でも、なお、彼の毎朝の眼覚めの心を、大きく支配しているのだ。彼は、そうした傷心を超えて、積極的に生きようとする努力を試みていないわけではない。いや、以前にもまして、彼は自分の仕事に熱心に打ち込んでさえいるほどであるのだが  。(清岡卓行「朝の悲しみ」より)


한국어:2h
単語カード制作。

汉语:2h
単語カード制作。



5月4号(화요일)today:9h // 今月 中国語:8h / 韓国語:15h / ゴルフ: 6h / 読書:4h

読書:2h
寝坊したのでゴルフの朝練はキャンセル。ゆっくり読書。

熊野純彦本居宣長の「外篇」を読み進める。

重要な話がけっこう出てくる。

道とは、徂徠においてひとえに「聖人の道」である。それでは、聖人の道とは何か。「先王の道は天下を安んずるの道なり。その道多端なりと雖も、要は天下を安んずるに帰す。其の本は天命を敬するに在り」と『辨道』は語る。聖人の道、いいかえれば先王の道とは、それ自体「なによりも治国平天下という政治性」を帯びている。荻生徂徠はかくていわゆる道徳と政治とを切断する。連続的思考は断たれる。そればかりではない。徂徠はさらにすすんで「個人道徳を政治の手段化しようとする」。徂徠学の理解では、「安民」という政治のためには「道理」からの逸脱すらも許容される。儒教道徳はここで決定的に「転換」する。丸山の助手論文は、そこにマキャヴェリ君主論』との併行関係さえ見てとっていた。道は主観的なもの、個人に内在する道徳ではなく、客観的で具体的な存在であるしだいに着目するなら、かつまた丸山の愛読するヘーゲルの表現を援用するとするならば、道は「礼楽刑政」こその内実とする点において、道徳性(Moralität)を超えた人倫(Sittlichkeit)であったといってもよい。

徂徠の思考の特質は、その政治性にあった。徂徠学における道の本質は、かくて「治国平天下という政治性」にある。それでは徂徠にあって「道をして道たらしめる根拠」はどこにあるか。聖人あるいは先王にある。道の根拠は、自然のうちに存するのではない。聖人の作為、もしくは制作のなかに存在するのだ。(p.259)


한국어:2h
単語カード制作。

汉语:5h
オンラインレッスン:1.5h
フレーズ:3.5h



5月3号(월요일)today:8h // 今月 中国語:3h / 韓国語:13h / ゴルフ: 6h / 読書:2h

ゴルフ:2h
朝練。けっこうよかった。5Iは飛ばなかったが...


한국어:5h

・ハングル検定4級過去問
・単語

過去問は予想以上にできなかった。ターゲットにするレベル的には4級で大丈夫だと思うけど、読んだり聞いたりする経験が不足している。単語や基本文法は勉強したけど、まだハングルをすらすらとは読めない。また韓国ドラマをけっこう観てるけど、じぶんが聞き取れるかどうかくらいのレベルの会話を聞く経験をほとんどしていない。

そういった意味でハングル検定4級の勉強はいいトレーニングになりそう。あと3級も申し込んだけど、こちらは知らない単語も新たに覚えないといけないし、試験まで1ヶ月しかないので捨て。試験勉強はせずに受けるだけにする。

勉強のスケジュールは以下のとおり。毎週これまでの復習を中心に勉強して週末に過去問を解いて、合格点に乗せて行くという調整。ただ1ヶ月しかないので単語集(Basic1400語)の復習は網羅できないと思うので、ハングル検定4級の問題集に載っている単語リストを復習の意味でやろう。


読書:1h

熊野純彦本居宣長の「外篇」を読み進める。
やはり丸山眞男のくだりが一番面白い。例えば、本書の主旨からは外れるが、この丸山眞男についての描写はすごく好き。

丸山眞男の名を一挙に一般読書界に知らしめた論文「超国家主義の論理と心理」を取ってみよう。「ナチスの指導者は今次の戦争について、その起因はともあれ、開戦への決断に関する明白な意識を持つているにちがいない。然るに我が国の場合はこれだけの大戦争を起こしながら、我こそ戦争を起こしたという意識がこれまでの所、どこにも見当たらないのである」。そこには正確な意味で独裁の観念がなりたつ余地がない。「独裁観念にかわつて抑圧の移譲による精神的均衡の保持とでもいうべき現象が発生する。上からの圧迫感を下への恣意の発揮によって順次に移譲して行く事によつて全体のバランスが維持されている体系である。これこそが近代日本が封建社会から受け継いだ最も大きな「遺産」の一つということが出来よう」(『増補版 現代政治の思想と行動』二四頁以下)。あまりにも有名なこの分析にいま異を立てておく必要はない。問題は先行する箇所である。「だから戦犯裁判に於て、土屋(辰雄)は青ざめ、古島(長太郎)は泣き、そしてゲーリングは哄笑する」(同、二〇頁)。

この記念碑的論考は、あるいは最後に引いた一文のゆえに、ひろく世に知られたといってよい。右にみられる「独裁観念」対「抑圧の移譲」といった対立概念の設定にしても、丸山眞男は、迅くから一種独特なレトリック感覚を身につけ(当時の平均的理解の水準に照らしていえば、いわば)弁証法的論理に習熟していた。「自然」対「作為」、「であること」対「すること」等々、丸山が設定して、以後うけつがれていった対概念は、おそらく多数にのぼるものと思われる。そのように見てみるならば、丸山眞男にはたしかに学者として過剰な一面があり、思想家としてはおそらく過小な他面があったのである。(pp.251-252.)




5月2号(일요일)today:10h // 今月 中国語:3h / 韓国語:8h / ゴルフ: 4h / 読書:1h

ゴルフ:2h
朝練。ドライバーいまいち。5I,7I まずまず。


한국어:7h

オンラインレッスン:2h
・小テスト 17/30点
・「できる韓国語初級Ⅱ」L.25
単語:5h


読書:1h

月が改まったので、読書時間もカウントに入れることにした。読書を学習時間に入れるかどうかは議論が別れるところだが、そもそも語学やゴルフは仕事で活用できるという理由もあるが、じぶんの能力を試したり、成長させるためにやっているのであって、義務でやっているわけではないので、ま、読書も同じだということで。

熊野純彦本居宣長を読み進める。

本書は「外篇」と「内篇」の二部構成になっている。「外篇」では今日に到るまで本居宣長がどのように研究されてきたのかについて論じられており、「内篇」では本居宣長しんやじしんの著作について論じられるのだろう(「内篇」はまだ読んでいない)。

「外篇」を読みすすめる。津田左右吉小林秀雄丸山眞男くらいは出てくるのは予想できたが、和辻哲郎羽仁五郎時枝誠記なども出てくる。

ひとえに宣長といっても、いろいろな問題が絡んでくる。イデオロギーの問題、言語研究の方法論なども絡んでくる。マルクス主義も絡んでくるし、近代主義も絡んでくるし、戦前戦後で論調や評価も変わってくるし、その論文がかかれた当時の状況も絡んでくる。

美しき「口誦のエクリチュール」幻想を子安宣邦本居宣長』が問いかえすとき、問題の根底に存在しているのは、いうまでもなく「口誦態(パロール)」としての原・古事記と、「表記態(エクリチュール)」としての現・古事記との幻視された関係なのである。(p.222)

こんな記述も出てくる。問題の射程が広い…




5月1号(토요일) today:6h // 今月 中国語:3h / 韓国語:1h / ゴルフ: 2h

ゴルフ:2h
朝練。まずまず。アプローチの練習もスタート。


汉语:3h

フレーズカード

한국어:1h

単語

 



 


 

 

 

 

 2021年4月日記Z

 

 

 

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