2019年3月日記Z

3月31日(日)

仕事帰りの落語






昨日は仕事帰りに落語に行きました。


仕事帰りにふらっと映画を観たり、落語を聴いたりというのをずうっとやりたいと思っていたのですが、これがなかなか叶わぬ夢でありまして、それが昨日ようやっと叶ったのであります。


仕事のほうはちょっとトラブルがあって予定よりも早く切り上げたのですが、それはよいとして、会社を出て新宿にふらりと寄って落語を聴いたのであります。


落語というても末広亭のほうではのうて、夏葉亭一門会っていうほうで、普段は演劇の舞台に立っている俳優さんや女優さんが落語をするという会であります。


これがなかなかようて、毎回ではないですけれど、ちょいちょい行ってます。




昨日はやっぱりあれですな、マクラは元号にちなんだ噺なんかから入るんですな。「新元号はなんでしょう?」なんて話題はどこの職場でもされていて、みんな好き勝手に予想しているわけですけど、インターネットなんかみても、それがなんだか大喜利みたいなノリになってますなと。たしかに、たしかに…


例えば、面白そうなものをあげますと、「石の上にも」なんてのがありますなー。「石の上にも三年」、ま、三年まではええですけど、それ以上はなかなかつらいものがありますなー。ほかには「余命」なんてのもありますなー。「余命一年、余命二年、余命三年」、余命がどんどん延びていってめでたいやないですかーって、ま、そりゃめでたいわな。


それから渋谷の女子高生にアンケートを取ったらしいですわ。そしたら、なんと11位に「タピオカ」ってのが入ってましてな、ま、「高輪ゲートウェイ」って国電の駅名にも横文字が入る時代ですから、元号が横文字でもええんちゃいますか。「タピオカ元年」とか、もう何がなんだかわからないカオスな感じが、いまの時代を象徴していてええやないですか!


ってな感じで、うまいこと話をすすめながら、元号ってのは江戸時代なんかはしょっちゅう変えてたらしいですよって、なんでも元号が変わると運気が変わる」っていうんで、なにか嫌なことがあると、元号を変えたらしいんですよ。いやいや、これは風水の先生もおっしゃっていたんで本当らしいですよ。


なんて「運気が変わる」という話を振っといて、本題の『死神』の噺へと入っていくんですな。なかなかうまいもんですわ。



https://www.youtube.com/watch?v=S3e8ffD1Swo
【死神】 立川談志



落語の面白いところは、マクラから本題に入るところ、これは聴いとるほうも頭を働かしていて、「どっからどの本題に入るかな?」って思いながら聴いていて、本題に入った瞬間に「おっ、入った、気づかなかったよ、やるじゃないか!」なんて感心して、噺に乗りながら、笑いどころは笑うだけ笑ろうて、あとはサゲというか、どうやって落とすかなと。そろそろかなって思いつつ、こちらもどう落とそうかなんて考えながら、「ええっ!」ってな感じで落とされる。


これはなんというか、一種のボケ防止としていいんじゃないかって思いますな。頭が本能的に反応するといういいますかね。ゴルフをボケ防止のためにやっているという人はよくいますけど、あれと同じですな。


なんでもきっかけがないとはじまらないもので、人と会うにしても、運動するにしても、きっかけがないとやらない。人と会うなんて飲みに行くか冠婚葬祭くらいしかないわけだから、さらに体を動かすなんてプラスαもあれば、そりゃもう、ゴルフは年配の方々にとってはいいコミュニケーションツールな訳ですよ。


それにゴルフってのは自分のなかの炎といいますか、ルーティーで成り立っているスポーツで、そのルーティーンが消えてしまうと打てなくなってしまうんですな。逆に言えば、ルーティンが息づいている間はプレーができて、「今日はドライバーがよかった」やら、「ロングパットが入った」やらで、「やったー!」なんてはしゃぎながらボケ防止をしとる訳ですわ。なんとも健康でよろしいやないですかー


ま、


ゴルフや落語じたいが、死ぬ前の予行演習みたいなもんですけどな


合掌




なかなかラウンドには行けないけれど、練習は続けるべし






3月24日(日)

イチローロス



先週帰国して日常を取り戻しつつあるのだが、まだちょっと体が重い。今日は運動する日と決めていたから、朝にランニングして、ジムの夕方のレッスンにも出る予定だったけど、朝のランニングで体の動きが悪かったので、夕方のレッスンはキャンセル。無理をせず、徐々に高めてゆこう。




時をかけ抜けたイチロー選手の引退が、同世代の僕にとって思った以上にショックだったようで、自分の中に何か大きな穴がぽっかり空いてしまったような気分だ。


イチローロス


ってやつか....


ま、それだけではないと思うのだけど、今年の春はいつにもまして寂しい気持ちになる。


春なのに



柏原芳恵 春なのに



作家の中森明夫さんが以前『春なのに』について語っていたことをふと思い出す。


柏原芳恵『春なのに』は中島みゆきの作詞作曲だが、中島が唄うのと微妙に違う。若き日の柏原にとって春は出会いの季節であり、ゆえに「春なのにお別れですか」の歌詞が響く。対して中島みゆきの歌声には既に別れの季節としての春を知った者の苦味がある。春は別れと出会いの相反する季節なのだ



目をつむって聴きくらべてみると、芳恵ちゃんのうたは “春” が余韻として残るのに対して、中島みゆきさんのうたは “なのに” が余韻として残る。




中島みゆき 春なのに



衰えを知らないと思われたイチロー選手であっても、衰えるときがくる。


どんなに努力をしても、報われないときがある。



たかが人生 されど人生



がんばろう






3月21日(祝)

春なのに



2001年、イチロー選手がメジャーに挑戦し、首位打者を獲得したシーズンは今でもよく覚えている。


so excited


あのシーズンをリアルタイムで見守ることができたのは、野球ファンの僕にとっても貴重な財産だ。



イチロー選手 お疲れ様でした!!








2001 イチローが語る162試合 1



2001 イチローが語る162試合 2



2001 イチローが語る162試合 3



2001 イチローが語る162試合 4






3月9日(土)

タナパー



本屋をぷらぷら歩いていたら、めずらしいタイプの本がオススメ本コーナーに並んでいた。





建築家のスケッチ集で、「よく描けてるなー」って思って著者をみたら、田中智之さんの本だった。



階段空間の解体新書

階段空間の解体新書



村上春樹は『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』の主人公の人物造形をリサーチ不足で失敗していたけど、本当は田中さんのような設計士をイメージしていたのだと思う。多崎つくると違って、田中智之が駅に行けばスケッチ描くよ。ほら、新宿駅のスケッチもちゃんと描いてる!





僕は早稲田の学生ではなかったけれど、僕が通っていた理科大から早稲田は近かったので、ちょいちょい遊びに行っていて、研究会"等"でお世話になった。田中さんは地味で、丹下健三隈研吾のようなスターダムの人ではなかったけれど、職人肌でいい仕事をする人という印象がある。


田中智之さんは、先に紹介したエーロ・サーリネンの弟子の穂積信夫先生の門下生で、僕よりも少し上の世代の建築家だ。穂積先生やプリンスホテルなどの仕事をされていた池原義郎先生が教えていた頃のワセダの学生というのは、とにかく図面を描く力が突出していた。


これはコンピュータ(CAD)が普及する以前の学生全般に言えることかもしれないが、この世代の人たちは図面を描く能力や空間を把握する能力が非常に高い。僕が師事した渡辺明先生の事務所の番頭さんも田中さんと同じ世代の方だったけど、手書きパースや矩計図をサクサク描いていた。




渡辺明『洛陽荘』



僕が学生だったころからCADが普及してきて、手書きで図面を描くことはなくなったし、図面を描かないでCGばかりやるような連中も出てきた。そのおかげで三次元曲面など新たな空間を創造できるようになったけど、逆に空間把握力は弱くなったように思う。


今の建築学生はどうなのだろう? CADもCGもやらないで、Pythonとか覚えて自動生成プログラムで空間をつくったりしているのだろうか。






僕は建築をやめて家電製品の開発をやっている。ソフト開発は建築よりも家電のほうが進んでいる。今の職場にも自動生成プログラムをつくって問題を解決するような面白いエンジニアがいる。けど、その辺は僕もついていけないのでひとまず置いといて、田中さんの本を読んで思ったのは、最近『メモの魔力』という本がはやっているように、「メモの取り方」(スケッチの描き方)というテーマについてだ。


メモの魔力 The Magic of Memos (NewsPicks Book)

メモの魔力 The Magic of Memos (NewsPicks Book)


この本は、本屋でパラパラっと立ち読みした程度だけど、メモ(スケッチ)のポイントって要するに「スケール感覚と、あとは、どこを観るか、どこを聴くか」だと思う。


田中さんのパースは有名で、コンペのたびに早稲田の研究室の作品にはフリーハンドの手描きのパースが出てきて、「ああ、これは田中さんが描いたんだなー」ってすぐにわかって、いまでは“タナパー”命名されるまでになったようだけど、彼はパースやスケッチだけではなく手帳も印象的で、手帳のマスに細かい文字が絶妙のプロポーションでピシッと埋められていたのをよく覚えている。


手帳のエピソードは田中さんのスケール感覚が優れている一例だけど、彼のパースをみてもわかるように、トレーニングされた建築家は空間を観たときにスケール(寸法)がスパッと入る。手すりの高さやパイプの径、階段の踏面や蹴上の寸法をさっと把握する。


これは建築業界だけの話ではなく、いま開発している家電製品のエンジニアも同様で、特にメカ(ハード系)の人はスケール感覚が優れている。家電製品って建築よりももっと細かいというかギリギリで納めているから、寸法感覚がないとモノづくりはできないよね。






あと、《どこを観るか》について


建築家が、空間を把握する際にどこを観ているかと言えば、《ジョイント》だ。例えば、部屋を観るならば、床・壁・天井の取り合い。つまり〈床と壁〉〈壁と天井〉のジョイント部分だ。




渡辺明『洛陽荘』



僕が担当した現場ではないけれど、今は雑誌しか手元に資料がないので悪しからず。これは床柱の納まりで、ここは様々な要素がぶつかっている。柱・框・畳・腰壁,etc. それらをどのように納めるか、そこにデザインが発生する(建築にもいろいろあっていわゆる現代建築では巾木も廻縁もカットしてドン付けとか平気でやるのでデザインの意識も人によって全然違う)。建築家というのはこういう所を原寸で起こしながら、しこしこデザインする地味な生業で、そしてそれらの積み重ね、結果として人々を魅了する空間を立ち上げてゆく。




渡辺明『洛陽荘』



田中さんのスケッチからもジョイントの意識がはっきりと読み取れるし、彼が新宿駅を面白いというのも様々な異なる要素がぶつかりあっているからだ。異なるものがぶつかればぶつかるほどデザインのポテンシャルが高まるという訳だ。



建築現場が大工・左官・金物職人・石工,etc. 色んな職種の職人が集うのと同様に家電製品の開発現場も面白くて、プロジェクトはメカチーム、電気チーム、ソフトチームが日々衝突しながら、お互いに切磋琢磨してひとつの製品を創りあげてゆく。





まだまだ道のりは長く、先のことはわからない



そして、なんと明日から上海だ!



さぁ、がんばろー






3月2日(土)

TWAターミナル




ニューヨーク・JFK国際空港のTWAターミナルが、ホテルとして開業するらしい。





泊まってみたい!



しっかし、遠いなー



自分がかつて建築をやっていたことを忘れつつある今日この頃なのだが、以前、村上春樹になりすまして、TWAターミナルについて語ったことがある。ちょっと意地悪な書きっぷりだけど、友だちには評判のいい文章だった。



チェケラ!


村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』






 

 

 


 

 

 

 

 2019年2月日記Z

 

 

 

 阪根Jr.タイガース

 

 

 

 阪根タイガース