日記Z 2018年10月




10月28日(日)

みなさん、愛してます。







10月20日(土)

国や組織に、なぜ多様性が必要なのか




今日は休むことにした。本当は明日に予定があったので休みたかったのだけど、チームの足並みを揃えるということで、予定をキャンセルして、今日休むことにした。日頃の疲れがたまっているので朝早く起きることはできず、ゴルフの朝練はあきらめて、ゆっくりとした1日のスタート。近所の喫茶店で朝刊を読みながらモーニングを食す。リラックスしたひととき。



ああ〜 男のやすらぎ ♪






そういえば、以前、日曜日の朝だけは新聞を読んでいた。別に投資をやっているわけではないので、新聞なんて読まなくてもなんの支障もないのだけど、日経新聞の日曜日の文化欄は内容が充実していて良かったので、日曜の朝だけは読んでいた。



ところが昨年だったか一昨年だったか? 日経新聞の日曜版がリニューアルされて、なんだか機内誌のようなスカスカの内容になってしまって、読むに値しなくなったのでやめた。



「日経も終わったな」と思ったのだけど、どうやら今までの日曜版が土曜日にスライドされていたようで、日曜日は実質的に休刊になるということだった。とはいえ、出さないわけにはいかないので、たぶん外注かなんかに書かせているのだろう。



これは、記者の負担を軽減させるホワイト化の一環だろう。新聞社の労働環境もおそらくブラックだろうから。このあたりは読者への背信行為にもなりかねないので難しい判断だけど、良い判断だと思う。ま、日曜日の朝なんて誰も新聞読まないし、読むのはせいぜいアメリカの暇なじいさん連中だけだろうから、日本でわざわざ無理して出す必要なんてないよ。これまでが頑張りすぎなんだよ!



企業のコンプラを推し進める上でいい事例だと思う。






という訳で、日曜日はやめて、土曜日の朝だけ新聞を読むようになったのだけど、今朝は浅田彰氏がいい文章を書いていた。



支持される「露悪」に抗するには現実的な「再分配の政治」を



去る8月、アレサ・フランクリンの訃報を伝えるアメリカのTVは、2015年のケネディ・センター名誉賞授賞式でアレサが受賞者キャロル・キングのつくった「ナチュラル・ウーマン」を歌い、貴賓席のオバマ大統領(当時)が思わず涙を拭うシーンを競って再放送した。


黒人解放運動の同伴者としてアンジェラ・デイヴィス(ブラック・パンサー党)の保釈金支払いを申し出る一方、男が女に敬意を求める歌「リスペクト」を女が男に敬意を求める歌に変えたフェミニストでもあったアレサ。この「ソウルの女王」が史上初の黒人大統領の前で「あなたのおかげでありのままの女と感じられる」と熱唱し、礼装の聴衆が総立ちで喝采する光景は、黒人や女性の解放運動の結果、すべてのマイノリティーの存在と権利の承認が求められるところまで来た、輝かしい勝利の証だったのかもしれない。翌年の大統領選でヒラリー・クリントンビヨンセやJAY Zを集会に招いて再現しようとしたこの光景こそ、ドナルド・トランプとその支持者が何よりも憎むものだったのではないか。





アメリカのN.フレイザーとドイツのA.ホネットが『再分配か承認か?』(加藤泰史監訳、法政大学出版局)で議論するように、政治経済的な所得の再分配のみならず、マイノリティーの存在と権利を認める社会文化的な承認が重要性を増している。むろん富裕層や大企業の減税を求める共和党と富裕層から貧困層への再分配を求める民主党は明確に対立するが、たとえばウォール街との距離ではいまや五十歩百歩に見えてしまう。


その分、民主党はマイノリティーの承認とその成果としての多分化主義を強調し、共和党、とくにトランプが時代遅れの醜く愚かな人種差別や女性差別を匂わせてそれと対決するという「承認の政治」の前景化が生じたのだ。そこでは明らかに民主党が進歩派、共和党が反動派なのだが、だからこそトランプが醜く愚かであればあるほど支持者たちが彼の下に集結するという困った状況になっている。


しかし、民主党側にも問題はある。オバマクリントンが社会文化面でマイノリティーの承認を強調しながら政治経済面ではウォール街べったりに見えるとき、彼らの姿勢は「偽善」と映り、対するトランプの「露悪」が逆に多文化主義の波に乗り遅れた大衆を惹きつけてしまうのだ。この「露悪」の大波に抗するには、リベラル派は多文化主義自画自賛を超え、現実的な「再分配の政治」を再構築する必要がある。


(批評家・浅田彰



日経新聞2018年10月20日(土)朝刊より

浅田氏が言うように、誰が見ても大統領にふさわしくない人物が大統領でいるという現実は、熟考に値する問題だ。再分配政策が、よのなかを停滞に陥らせず、活力を生み出せるか否かは疑問だけれども、昨今のアップル、アマゾン、グーグルといった、国家の枠組みの再編を目論むソフト・インペリアリズムの企業統治を野放しにしていて果たして良いものか? 進歩派か反動派かという対立ではなく、世界の動的メカニズムを形成してゆく上で、なんらかのルール作りが必要ではないかという問題も踏まえて、今後議論が必要であろう。



この記事の影響からか、昼過ぎにふらっと立ちよった本屋で、この本を買った。





《本の紹介文》



ハーバード大学客員教授として1年間、ライシャワー日本研究所に滞在した著者が、アメリカ社会を中心近くの崖っぷちから観察した記録。非日常が日常化した異様な政権下、この国の抱える深い暗部とそれに対抗する人々の動きをリアルタイムで追う。黄昏の「アメリカの世紀」の現実とその未来について考察する。






吉見俊哉先生には、以前書店員をしていた頃にお世話になった。日本がアメリカ文化から受けた影響、六本木や原宿を発祥とするトレンドがいかにして形成され、日本のカルチャーシーンに内面化していったのか、このあたりの吉見先生の分析は秀逸で、非常に勉強になった。


田仲康博×吉見俊哉トークセッション



 『今、沖縄問題で問われていること





午後は、のんびり読書。



ここ数ヶ月間の激務のためか、すっかり本が読めない体質になってしまった。例えば、まえまえから好んで読んでいた保坂和志さんや柴崎友香さんの小説も、以前のようには入り込めなくなってしまった。仕事しかしていないので、現代小説の世界との距離がうまく測れなくなってしまったのだ。ならば、「古典だ!」というわけで、ドストエフスキー漱石を手にとってみたのだけど、読むには読めるのだけど、読むか寝るかの選択を迫られれば、寝るほうを選んでしまう。



一方、書店員時代担当してた哲学・思想の本はどうかといえば、これまた距離感がうまくつかめない。今、ぼくが現実で直面している問題と書物のなかで問うている問題との距離がひらきすぎていて、頭が働かない。こちらは迷わず寝てしまう。



そんななか、意外にも読めたのが、これまでほとんど読んでいなかった歴史本だ。よく言われることだけど、歴史上の問題はビジネスの問題と直結している。単なる知識として摂取するのではなく、歴史上の人物がどのような状況に立たされて、どのような判断を行ったのかが非常に勉強になる。歴史上の人物も大概判断ミスをしているのだけれども、過去に起こったことがことごとく、21世紀の昨今のあらゆる場面においても同様のミスとして繰り返されているという、決して笑えない問題ばかりなのだ。



昭和史-1945 (平凡社ライブラリー)

昭和史-1945 (平凡社ライブラリー)


昭和史戦後篇 (平凡社ライブラリー)

昭和史戦後篇 (平凡社ライブラリー)




今日読んでいた半藤一利氏の『昭和史』で、もっとも印象深かったのは、日本が第二次世界大戦に突入する以前、泥沼化させて足を抜け出せなくなった日中戦争、そしてノモンハンの悲劇のくだりだ。


戦争は意志の強い方が勝つ?(※ ?は拙者加筆)



昭和14年(1939)に入ると、国家総動員法も強化され、英米としばしば衝突する時代がやってきます。一方、ヨーロッパでは、ヒトラーが新秩序をつくるという大方針のもと、東にあるチェコスロバキアポーランドなどいわゆる東欧諸国へと勢力を広げつつありました。こういう世界変動の急速にして激しい状況下で起きたのが、ノモンハン事件です。昭和14年5月中旬から8月末、満州西北部のノモンハンを中心とする広大なホロンバイル草原で、関東軍プラス満州国軍と、極東ソ連軍プラス蒙古(モンゴル)軍とが大激戦をやったのです。


(中略)


戦闘は日増しに大きくなっていきました。陸軍中央が止めるのも聞かずに関東軍は勝手に突っ込んで行きます。ソ連は戦車や大口径砲をつぎ込む。凄惨な戦いとなりました。結果的には日本側は58,925人が出動して戦死7,720人、戦傷8,664人、その他を含め計19,768人と、33%つまり1/3が死傷しました。ふつう軍隊は30%やられれば潰滅という感じです。それほどの大損害を受けたのです。ソ連軍も蒙古軍も含めるとたいへんな死傷者を出していて、24,992人といいますから日本よりも多いんです。それで近頃、うわついた評論家など「ノモンハンは日本が勝ったのだ」と言う人が少なくありません。そりゃ死傷者数だけみれば、日本の兵隊さんが本気になってよくぞ戦ったというところもありますが、結果として国境線は相手の言う通りになったのです。ハルハ川ではなくノモンハンまで出っぱったところ、ホロンバイル草原までが全部モンゴルの領土になったのですから、日本軍が勝ったなどとても言えません。ジューコフの指揮のもと、最新鋭の戦車、重砲、飛行機を次々に投入してくるソ連軍に対して、日本軍は剣銃と肉体をもって白兵攻撃でこれに応戦したわけで、まことに惨憺たる結果となりました。


(中略)


この戦いを指揮した関東軍の作戦参謀が、服部卓四郎中佐と辻政信少佐でした。服部曰く、


「失敗の根本原因は、中央と現地部隊との意見の不一致にあると思う。両者それぞれの立場に立って判断したものであり、いずれにも理由は存在する。要は意志不統一のままずるずると拡大につながった点に最大の誤謬がある」


また、辻は、


「戦争は指導者相互の意志と意志との戦いである。もう少し日本が頑張っていれば、おそらくソ連軍側から停戦の申し入れがあったであろう。とにかく戦争というものは、意志の強い方が勝つ」


二人とものほほんとしたことを言っていますが、そこからは責任のセの字も読み取れません。まことにひどい話です。


戦争が終わってから「ノモンハン事件研究委員会」が設置され、軍による反省が行われました。


「戦闘の実相は、わが軍の必勝の信念および旺盛なる攻撃精神と、ソ連軍の優勢なる飛行機、戦車、砲兵、機械化された各機関、補給の潤沢との白熱的衝突である。国軍伝統の精神威力を発揮せしめ、ソ連軍もまた近代火力戦の効果を発揮せり」


いいですか、こちら側は必勝の信念および旺盛なる攻撃精神でありまして、向こう側は戦車、砲兵、機械化された各機関、十分に潤沢な補給、それが白熱的に衝突したものである、というのが結論で、従って、


ノモンハン事件の最大の教訓は、国軍伝統の精神威力をますます拡充するとともに、低水準にある火力戦能力を速やかに向上せしむるにあり」


要するに、これからますます精神力を鍛える必要がある、ついてはもう一つ水準の低い火力戦の能力を向上させたほうがいいことがわかった、というわけです。


火力戦の能力向上については、これが勝利の戦いであったなら付け加えなかったでしょうね、言い訳めくから。


昭和14年8月にこの戦いが終わって2年半がたたないうちに、太平洋戦争がはじまります。低水準の火力戦能力がわずか2年半で向上するはずはありません。ノモンハン事件の本当の教訓がまったくかえりみられなかったと言っていいと思います。その影響はどこにもなかったのか。たった一つあるとすれば、服部卓四郎と辻政信の心の内にありました。


「これからは北に手を出すな。今度は南だ」


二人はそう確信したのです。そうとしか考えられない。


事件後、軍司令官や師団長は軍を去りますが、参謀たちは少し左遷されただけで罪は問われませんでした。服部卓四郎は昭和15年10月には参謀本部に戻って作戦班長に、翌16年7月には作戦課長となります。また辻政信昭和16年7月に作戦課に戻り、戦力班長になります。つまりノモンハン事件で膨大な被害を被らせたはずの二人が再び参謀本部の作戦課に戻って「今度は南だ」と南進政策    これはイギリス、アメリカとの正面衝突を意味します    を、「こんどこそ大丈夫」と言わんばかりに推進したのです。なお、参謀にはお咎めなし、というのは陸軍の伝統でもありました。


後の話になりますが、ご存じのように、太平洋戦争では日本は見る影もなく撃ち破られるのです。昭和19年(1944)7月にサイパン島が陥落し、もはや太平洋戦争に勝利はないと確定した時、作戦課長であった服部卓四郎はこう言ったといいます。


サイパンの戦闘でわが陸軍の装備の悪いことがほんとうによくわかったが、今からとりかかってももう間に合わない」


何たることか、ノモンハンの時にすでにわかっていたではないか、と言いたくなるのですが、いずれにしろ日本陸軍はこれだけの多くの人をホロンバイルの草原で犠牲にしながら何も学びませんでした。昭和史の流れのなかで、ノモンハン事件そのものは転換点的な、大きな何かがあるわけではないのですが、ただこの結果をもう少し本気になって考え反省していれば、対米英戦争という敗けるに決まっている、と後世のわれわれが批評するようなアホな戦争に突入するようなことはなかったんじゃないでしょうか。でも残念ながら、日本人は歴史に何も学ばなかった。いや、今も学ぼうとはしていない。



半藤一利『昭和史 1926-1945』(平凡社ライブラリー)pp.230-239. 部分的に省略して引用

国家総動員法を可決し、軍部、新聞メディアがこぞって戦争を煽り、国民を鼓舞する。この国は、のちにバブル経済の崩壊という過ちを繰り返し演じてみせるのだが、この歴史上の事実は、全体主義化させてしまった国や組織の欠陥を浮き彫りにしている。全体主義は、一つの目的を短期間で達成させるためには有効かもしれないが、盲目的で変化に弱く、苦境に立たされたとき、あるいは逆に好況に立ったときに歯止めがかけられない。明らかな敗北、失敗が事前にわかっていても止められない。



国や組織に多様性が求められる所以である。












 日記Z2018年9月












 阪根Jr.タイガース


 阪根タイガース