日記Z 2017年3月
3月26日(日)
5:54
ぼくは朝5:54の電車で出勤することが多いのだけど、その電車でよく乗り合わせる舞台女優さんがいて、プライベートだから気づかないふりをしているのだけど、いつもえらいなって思いつつ、陰ながら応援している。
その女優さんが出演する舞台があったので観てきた。村上春樹の小説に出てくる少女像そのもので、ふだんはオーラを完全に消しているのだけど、舞台に立つと一変して、存在感を存分に醸し出していた。そして声がよく通る。さすがやわー
早朝の仕事をして、夕方からの稽古をこなしつつ、俳優業を続けているという人を何人も知っている。彼、彼女らは別に有名人になりたいと思って演劇をやっている訳ではなく、演劇が身体に染み付いていて、表現する喜びを知っているからこそ続けているのだろう。
がんばれ!
あ、そういうオレもがんばれよ!
3月12日(日)
きょうは朝練とジムを休んで、家で作業。夜に観劇。
アウグスト・ストリンドベリ『令嬢ジュリー』。19世紀半ば、伯爵家に生まれた令嬢ジュリーが召使のジャンと恋に落ちる物語。と書けばありがちな話なのだけど、これは本当に恋なのか? どうなのかよくわからない。ジュリーには、身分の「上/下」、「男/女」という枠組みから自由であろうとする意志が伺えるのだけれど、その意志自体が自分の本心なのかがよくわからない。
『美女と野獣』のように身分や外見にとらわれない男女の絆を描いた物語もあるけれど、『令嬢ジュリー』はその種の美談とは程遠い。またゲーテの『親和力』のように男女が引き付け合う力によって刻一刻と事態が変化してゆくというのでもない。『令嬢ジュリー』においては、男女が引き付けあう力は二の次であり、形骸化した貴族社会のアイデンティティ・クライシスを描くことが主題だったのであろう。わざわざ劇場で演じるまでもなく、貴族社会そのものが演劇的舞台装置であるかのような印象を受けた。
今回は、元イキウメの伊勢佳世さんが出ていて、何度か作品を観たことがある小川絵梨子さんが演出をしているから観に行ったのだけど、もう10年近く前になるけど、イキウメの『煙の先』の公演を思い出した。自分が書いた感想文を久しぶりに読んだけれども、我ながら、意味なくすごいと思った。
3月4日(土)
ばかにはしていないよ。気の毒だと思ってる。
村上春樹『騎士団長殺し』を読了。この1週間、何を求めるというのではなく、物語世界にただただ身をまかそうと思って『騎士団長殺し』を読んでいた。最近読んでいた『1984』や『すばらしい新世界』は目的があって読んでいたのだけど、『騎士団長殺し』は目的もなく読んでいた。日々営んでいる現実の世界ともう一つ別の世界を生きる。映画のように2時間で完結するのではなく、日常の世界と並行して物語世界が開かれたままになっている。小説もいいと思った。
『騎士団長殺し』は、たしかに村上春樹っぽい作品ではあるが、村上春樹っぽいかわきというか、ゆらぎやブレがほとんど感ぜられない、良くも悪くも安定した筆致のように感ぜられる小説であった。
『騎士団長殺し』という絵画と、それを描いた雨田具彦という画家が、この小説を突き動かすモチーフになっている。藤田嗣治の「戦争画」ではないけれども、戦争を経験した画家の内面とその作風の変化については、常人の理解を超えている。作中で雨田具彦という画家じしんについてはあまり多くを語られてはいなかったけれども、藤田嗣治、岡本太郎、松本竣介、あるいは花森安治といった人物を想いながら読みすすめた。
岡本太郎『痛ましき腕』
さて。次は何を読もうか?
プラトン(洞窟の比喩)よりもフォーション(芸術意欲→芸術の自律)だな