日記Z 2016年1月




1月31日(

鑑賞デー




《総合芸術》を堪能!!






感想文をブログ化しました。


《総合芸術》ON-MYAKU 2016




感想文タイトル: 現代音楽に挑む!




1月30日(土)

ビッグ・リボウスキ




ついにTSUTAYAでゲット!!!!!





DVDで鑑賞!!



全く以てバカバカしいお話。ただ単に笑って、「あーくだらねー、時間の損したー!」ってDVDを叩き割るのが一番いいねー(笑)



でもさー、これさー、コーエン兄弟の作品のなかで『ノーカントリー』以上にメッセージ性の強い作品かもなー



ノーカントリー』が「絶対悪」について問うた作品だとしたら、『ビッグ・リボウスキ』はニヒリズムっていうかニーチェについて問うた作品だよなー



例えばニーチェについて岩波書店から本を出したらガチガチになってしまって、ぜぇ〜〜〜〜〜たいにこんなテイストにはならないのに、こんなグダグダでダメダメなテイストにしてしまうってところが、やっぱコーエン兄弟やるなー、侮れんなー(笑)



この映画観てるとさー



「生きるって意味ねーなー、生きていようが死んでいようがどうでもえーわー」っていうか、「もうほんとバカばっかでさー、やってらんねーよ、ちゅーかさー、バカバカバカバカ、いろんなバカがいて、もう、生きるってちょー楽しい!!」



コーエン兄弟が、おもしろがってるっていうか皮肉ってるのがドイツ的なるものなんだよなー、アメリカ的なるものっていうのはまさに主人公のふたりでさー、みるからにバカなのに対して、誘拐犯のドイツ人ってえらい真面目でさー、きっちりしてそうなんだけどバカ以外の何者でもない



ドイツ的なるもの



おもろいなー、ニーチェ読んでみるかー






1月29日(金)


DVDみるべし!!

1月28日(木)


早起き&夜ラン成功。

1月27日(水)


早起き成功。

1月26日(火)


早起き成功。

1月25日(月)


という訳で、明日から出勤時間を1時間繰り上げることにする。

1月24日(


仕事捗らず。これだったら割り切って演劇を観に行ったほうがよかったけれど、そうもいかんのだよ。人生ってやつは!!

1月23日(土)

ビジネス




ひたすらデータを打ち込む。ただ打ち込むだけなら他の人に頼めるけれど、バグをチェックしながらの作業なので自分でやるしかない。がんばろう。


当面の目標は、僕自身が抱えている仕事をなるべく早くさばききって、もっとフットワークが軽く動ける状態にもっていくこと。とは言っても2,3日徹夜してやっつけられる量ではないので、1日の尺を2〜3時間延ばして計画的に処理していこう。1,2,3月の3ヶ月間がんばって、来期をいい状態でスタートできるようにしよう。


チームは良い面子がそろってきた。これから技術スタッフも増員されるので、いよいよ本格的に戦える体制になってきた。B to Cビジネスは先のことが本当に分からないので怖いけれど手応えはある。各自ポジションが違うので別々の動きとなるが、個々人がバラバラに動くのではなく、いかに有機的に連動するかが勝敗のポイント。


僕自身に関して言えば、これから再編される技術チームのかたちを作り上げることが一番の課題。イメージはできているので、それが実際に機能するようにメンバーに伝えていくこと。伝え方はいろいろと工夫しよう。



さて。本格的に忙しくなってきたので、読書も切り換えようと思って日経新聞の書評で気になった本を5冊ほどアマゾンでポチった。が、すべてハズレ。


情報収集を目的に買った2冊は、話が冗長で読むに耐えない本と、もう1冊は経営コンサルタントが書いた本のようで、無駄に図表が多くて逆に論点がぼけている。顧客からお金をとるためのレポートを作成させたらピカイチの才能を有していることは認めるが、無用。


自己啓発系の3冊は、読んでいるとなんだか模擬試験の答え合わせをしているみたいだ。答え合わせに時間をかけるくらいなら、もっと問題を解いた方がよい。つまりこの手の本は自分の仕事がおかしくなってきたと感じた時にパラパラっと読んでチェックすればよいのだろう。せいぜい年に2,3冊読む程度でよいのではないか。


いわゆるビジネス書というのは広がりがなさすぎる。こんな本ばかり読んでいたら単細胞のアホになってしまう。それを思えば、ビジネスという観点からも今までの読書を変える必要はないだろう。引き続き、談志師匠の『現代落語論』を読む。






現代落語論 (三一新書 507)

現代落語論 (三一新書 507)




1月22日(金)


ワインを少々。明日は仕事。ねるべし!

1月21日(木)

果報は仕事して待て!!




今週末は、やっつけないといけない仕事がドドン!ってあるから劇場には行けない。「せめてDVDを!」って思い、先日観劇した《シンクロ少女》の名嘉友美さんが影響を受けたという『ビッグ・リボウスキ』を観たいと思ってTSUTAYAに駆けつけたけどレンタル中だった。残念。戻ってくるまでYouTubeで我慢。さ、仕事しよ。




1月20日(水)


1月19日(火)




1月18日(月)

雪 深深




たった一夜の人なのに
今も今も恋一途
雪が未練をはばむけど
愛あるかぎりきっとまた
運命の絆が結ばれる
信じています
いつまでも







1月17日(

観劇デー




《シンクロ少女》初観劇!!



感想文をブログ化しました。


《演劇》シンクロ少女『funny people』




感想文タイトル: いろいろあってさー





1月16日(土)


仕事のち麦酒ぐびぐび。


あしたもがんばります!


いやいや明日は日曜日だよね。


おやすみ。

1月15日(金)

山崎ナオコーラさんの『かわいい夫』を読了。



「愛夫家」という言葉は聞いたことがないが、あってもいいのではないか。

たしかに!



ほんわかした夫婦で、ふたりのキョリ感がなんかええ感じ。それでいて、生きる意志をふつふつと感じる。



女は損だ、と思ったことがない。それよりも、男の人が生きにくい世の中になってしまっているのではないか、と気になる。


だから、自分としては、できるだけ男の人に寄り添うように、そして多様な男性を肯定するように、いわゆる「男らしさ」にこだわらないように、仕事をしていきたい、と思っている。


夫に対しても、世間で言うところの「男らしさ」を求めず、「本人の個性」を大事にしていきたい。

ほおー!












かわいい夫

かわいい夫




1月14日(木)


きょうも仕事でした。行き帰りの電車のなかでは山崎ナオコーラさんの『かわいい夫』を読んでいます。


あしたもがんばります!!

1月13日(水)

各所で稽古してると聞くとテンションあがる。そして仕事….


1月12日(火)

新年会。上司の考えをいろいろと聞く。今年はオレも仕事がんばらんとあかんなー。ペースあげていこう。


1月11日(月)


仕事へ!



1月10日(

観劇デー




久しぶりに神里雄大作品を観劇!!



感想文をブログ化しました。


《演劇》岡崎藝術座『ISLA! ISLA! ISLA!』




感想文タイトル: 和田華子さんの声が妙な感じで通っていた。





1月9日(土)


散髪へ!



1月8日(金)

2016年・初笑い☆




落語に行ってきました!



感想文をブログ化しました!!


チェケラ!!!



↓↓↓↓↓






《落語》夏葉亭一門『ミラクルの会




感想文タイトル: 走る!走る!走る!






1/9(土)チケット完売みたいですけど、当日券出るならば是非!!!




夏葉亭一門




1月7日(木)

アメリカに出張中の同僚から見ただけでお腹がいっぱいになりそうなステーキの写真がLINEで送られてきた。





ご愁傷様です☆







仕事はもうちょいがんばらんとあかん。3連休は演劇を1本観に行く予定だけど、それ以外は働くぞ!!








そうそう、演劇の役者が落語をするという会をみつけた。仕事であきらめていたけど遅い時間の会もあるようなので明日行ってみようと思う。これ、実は吉笑さんが恐れていたことでもある。落語家じゃなくても落語はできる。とくに演劇で経験を積んだ俳優はけっこうやるんじゃないかな!?って期待がある。演者にプレッシャーをかけて申し訳ないけど、すっごく楽しみ☆


夏葉亭一門


現在落語論

現在落語論




1月6日(水)

正月休みに3kg太って、一年間かけて3kgやせるというルーチンをここ数年間ずっと続けているような気がする。



髪ボサボサ。はやく散髪に行きたい!



きょうはまだ仕事が残っている…




1月5日(火)

ぐっとくる題名





仕事ぼちぼちでんな。



あっ、ちなみに昨日紹介した長嶋有さんの小説、『愛のようだ』のなかで、ぐっときたのは奥田民生が流れるシーンじゃなくて、斉藤由貴が流れるシーンです。『卒業』じゃなくて『MAY』が流れるあたりが乙です。




MAY そんなにふくれないでよ ♪


笑った顔見せて いつもみたいにおどけて ♪

「昔のヒット曲の中の女って、よく『おどけて』るよな」永嶺が歌詞に対して批評を口にし、はっとなる。90年代の終わりにナンシー関が同様のことを、ある女性タレントに対して指摘していたが。



ぐっとくる☆










愛のようだ

愛のようだ





1月4日(月)

仕事始め




仕事スタートしました。



今年はまだ劇場には行けてないけど、すでに公演を開いている劇団があったり、始動している人がいたり、稽古している人がいたり、そういうひとりひとりの活動が大変な刺激となるのですよ!!



僕自身の仕事について言えば、昨年は我慢の一年だった。ベンチャー企業だから、昨年はまだチームの形ができていなくて、問題が分かっているのに手をつけられない、課題を解決できないということが多々あった。でも今年はだいぶんチームの形ができてきているので戦えるという手応えがある。がんばれば、がんばっただけの結果がでるんじゃないかと思う。がんばろう。



さぁ、2016年、仕事始めの景気づけに一曲!!



長嶋有さんの小説『愛のようだ』のなかでいい感じに流れていた曲。この小説がいいんですよ。「愛だ!」じゃなくて「愛のようだ」って言うんですよ。「愛」という現象や「好き」という感情は能動的であり、自己中心的だとは思うのですが、獲得するのではなくて、ふわっと湧き上ってくるように、僕も思います。「あれ? オレ、○○さんのこと好きかもしれない」って思ったり。『愛のようだ』、うん、いい、ぜっひ!!



で、流れていた一曲!!



さすらおう この世界中を ♪


ころがり続けてうたうよ 旅路の歌を ♪

勤め人ですから、文字通り「さすらう」ってことはもうないんですよ。ミッションも目的も明確ですから。でもね、結果なんて出てからでないとどうやったらいいかなんて分からないんですよ。いつだって手探りですよ。それでも歩みを止めず、進んでゆくのですよ。今年も!!










愛のようだ

愛のようだ




1月3日(

ぞおん




今年は笑っていたいから、きょうも「落語」。







これがフェイントマクラってやつか! やられたー!!笑笑笑



吉笑さんに落語の手ほどきを受けたから、今年は落語にも入っていけそう。う〜ん、今まで落語を遠ざけていたのは何故かと言うと、笑わしてくれ、笑わしてくれと過度な要求をしていたからだと思う。噺の流れで笑うというか、噺の練り具合を味わうっていうゆとりが僕になかったからだと思う。でも、これってある程度の経験が必要というか、落語に限らず、演劇を観たり、小説を読んだりするうちに養われてくるのだと思う。だって、吉笑さんの落語にすっと入れたのは、年末に内田百けんの『冥途』を読み始めていたからというのが大きい。吉笑さんのマクラから落語へ入っていくくだり、「あれ? これもう落語に入ってる?」っていう戸惑いなんか、百けんの文章読んでたら、いつも感じるもん。「あれあれ? この話おかしくない?」って。



『冥途』のおかしさというのは、「至ってふつうの文章で、こんなおかしなことを書くのか!!」っていう、百けんのスカしっぷり。このあと漱石の『夢十夜』と読み比べをするけれども、「落語」を念頭において読むともっともっと面白くなると思う。うふふ。



うふふ。 明日から、し・ご・と 汗….







現在落語論

現在落語論


冥途・旅順入城式 (岩波文庫)

冥途・旅順入城式 (岩波文庫)


文鳥・夢十夜 (新潮文庫)

文鳥・夢十夜 (新潮文庫)




1月2日(

元旦に引き続き「落語」。立川吉笑という落語家をよく知らなかったけれども、とても面白い。考え方がスマートで、落語がクリアに伝わってくる。立川吉笑の落語を透かしてみると、落語だけでなく、漫才やコントや演劇もクリアに見えてくる。



なるほど!なるほど!なるほど!




下半身の省略




舞台セットや衣装の省略に比べると気付きにくいけど、じつは落語という表現方法は、とても大きな要素を省略している。


正座姿で演じることによって生じる「下半身の省略」である。


落語家は正座することによって、舞台上で全力疾走を表現することができる。
立っている状態で全力疾走するとしたら、ある程度の距離が必要だろう。また、全力疾走すると、すぐに舞台袖へと到達してしまう。もちろんその場の足踏みで表現することもできなくはないが、違和感は残るだろう。


それが、落語の場合は、正座した状態で腕を振ったり体を揺らすことですんなり全力疾走を表現することができるのだ。お客さまのほうで省略された下半身を補完して、速く走っているように思い描いてくれるからである。


落語という手法を用いれば、百メートルを九秒台で走ることもたやすいし、さらには、現実にはありえないような超高速で走ることだって可能だ。


また、下半身を省略することで空を飛んだり、宙づり状態であったりという、空中での表現もしやすくなる。とくに空中での表現は舞台に足が着いていると表現しにくいものであるけど、下半身を省略した落語であれば、地面から足の浮いているイメージがお客さまの頭のなかでスムーズに補完されやすくなる。


さらに落語では、登場人物が自在に座ったり立ったりを繰り返すことがよくある。これも、立ちながらでは座っている状態を表現するのは難しいが、その逆、つまり、座りながら立っている状態を表現するのは、さほど難しいことではない。


こう考えてみると、「正座」は、落語にとってとても重要なものである気がしてくる。
下半身を省略することは、漫才やコント、演劇などほかの表現方法ではほとんど観られないものであるからだ。


立川吉笑『現在落語論』毎日新聞出版pp.66-67.




現在落語論

現在落語論


超(スーパー)落語! 立川談笑落語全集

超(スーパー)落語! 立川談笑落語全集


現代落語論 (三一新書 507)

現代落語論 (三一新書 507)



1月1日(

Perfume・空間・落語




あけましておめでとうございます!!



今年もよろしくお願い致します!!



紅白のPerfumeを観て、「あれ何?」という疑問を新年に持ち越して一年をスタートするのが恒例となってきた。2015年は「紅白のPerfumeで飛んでたドローンって何?」っていう感じで1年がスタートしたように思うけど、2016年1月1日現在、ドローンってみんな知ってるよね、あら不思議!!



そして、2016年スタート





チームPerfumeインタビュー


リアルタイムの映像をリアルタイムにミキシングするっていうのがやっぱりomolo. リアルタイム-リアルスペースがリアルのそばから崩れながらループしているというのかな? リアルの概念をズラすというのかな? この新たな現象は、例えばクリストファー・ノーランの『インセプション』における無意識の階層を無限後退的にバタバタと駆け上っていく感覚とか、『インター・ステラー』のような次元を超えた壮大な時空間のループとかと比較してみたらomolo.



あとPerfumeの3人の正確無比の身体とTOKYO DEATHLOCK『再生-REPLAY-』における俳優の身体の比較とかすると、これまたomolo.





それからPerfumeの空間性について。視点が瞬時にパン!パン!パン!と切り替わるあたり、キュビズムの絵画との比較も面白そうだし、パラドックス定数の空間コンセプトと比較してみてもomolo.


パラドックス定数『東京裁判』


知覚に働きかけて空間を立ち上げる、あるいは認識的に空間を立ち上がる、言葉使いが正しいかどうか分からないけど、いろいろな空間の立ち上げ方がある。



ででで、2016年1月1日、omoloと思って読み始めは、



落語!!


何にもないから何でもある



A「頼むよ!これはオレにゆずってくれって」


B「ダメだよ。オレもこれほしいんだ!」


A「いや、オレ、本当にこれほしいんだ!だから頼むよ」


B「ダメだよ! オレはお前以上にこれがほしいんだ!」


A「いやいや、おまえが、オレがどれくらいこれをほしがってると思ってるかは知らないけど、おまえが思っている以上に、オレ、これほしいんだ!」


B「オレのほうがほしいと思ってるんだって! それこそ喉から手が出るくらいほしいんだ!頼むよ」


A「おまえはしょせん "喉から手が出るくらい" しかほしくないんだろ?」


B「えっ?」


A「オレはもうこれがほしすぎて、喉から手が出てきてんだよ! ほら」


B「わっ!」


A「な。これがほしすぎて、喉から手が出てきてんだ! だからオレにくれって!」


B「ダメだよ!」


A「なんで?」


B「いや、オレもほら、ほしすぎて、いま、喉から手が出てきた」


A「おまえも!?」


B「ちなみに、おまえの喉から出てるその手は、見たところ左手だな」


A「それがどうした?」


B「オレは喉から右手が出てきてんだ。利き手だ。これがほしすぎて、喉から利き手が出てきてんだ。だからオレにゆずれ」


A「利き手か。ただよく見てみろ。オレはあれだ。喉から両手が出てきてだ。ほら!」


B「わっ!」


A「な、これがほしすぎて、喉から両手が出てきてんだ。だからオレにゆずれ」


B「いや、黙ってたけどな、オレもじつは両手が出てきてんだ。ほら!」



※立川吉笑『現在落語論』毎日新聞出版 pp.18-20.

こういう空間の創り方もあるのね。omolo !!






現在落語論

現在落語論








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