日記Z 2018年8月





8月18日(土)

公園へ行かないか?火曜日に







ベンチャー企業にはゴールデンウィークもお盆もないとはよく言ったもので、実際に僕の視界にあるのは単なるふつうのウィークで、お盆はオフィスにあるけれど、ポットの横に置いてあるただのアレで、ま、要するにどこにも行けないから、ここぞとばかりに最近はやりのVRなんて代物を使うまでもなく、会社帰りの電車のなかで、淡々と小説を読んだ。柴崎友香さんの『公園へ行かないか? 火曜日に』。



この小説は柴崎さんがアメリカのアイオワ大学でのインターナショナル・ライティング・プログラム(IWP)に参加した時の滞在記で、IWPというとなんだかプロレス団体みたいで強そうなイメージだけど逆で、草食系というか、世界各国から作家(小説家、詩人、脚本家、劇作家)が三十数人集まって十週間過ごすというものらしい。



アイオワってどこにあるの?」



アメリカの中西部と言われてもピンとこんわ!」



日本人が知ってるアメリカは西海岸と東海岸だけやし、中西部なんて知らんし、唯一わかるのは、アイオワっていうのは映画『フィールド・オブ・ドリームズ』の舞台となったところだってことで、



「そうか! 要するに、とうもろこし畑ばっかりの田舎町やな!」











ちなみに僕は、カレッジフットボールが好きなのだけど、もちろん知っている。



アイオワ大学ホークアイ



強豪がひしめく「BIG10」リーグに所属していて、1部にいるから強豪と言えば強豪で、昨シーズンはランキング上位校のオハイオ州立大学に勝つという番狂わせも演じてみせた。NFLスティーラーズみたい。




アイオワ大学ホークアイ



カッコいい!








それともうひとつ繋がったのは、最近読んでた『ガープの世界』を書いた



ジョン・アーヴィング



彼が創作を学び、自らも教えていたのがアイオワ大学で、日本人には馴染みのない大学だけど、ここは作家にとって聖地のような場所なのだ。



それにつけても、『ガープの世界』というのは変な小説だ。



冒頭からガープの母親であるところのジェニー・フィールズのエピソードばかりが延々と続き、主人公のガープがなかなか出てこないので、これはもしやして、



『トリストラム・シャンディ』の悪夢ふたたびか!




トリストラム・シャンディ




という嫌な予感がよぎったのだが、そこまで酷いことはなく、ほどなくして主人公のガープが無事に出てきた。



無事に?



なんというか、特に序盤がよくわからないというか、この小説はシリアスなのか、コメディーなのか、どっちに転ぶんだ? という感じでかなり警戒して読み進めていた。



ガープの父親は瀕死の状態の帰還兵だ。



アメリカで帰還兵というといい話をきかない。



ヴェトナム戦争は特に。



ガープの父親はそれよりも前の時代で、彼が従事していたのは太平洋戦争、第二次世界大戦だけど、帰還兵というのは英雄というイメージとは程遠く、体も精神もやられていていい感じがしない。また彼が負傷したのはフランス上空ということだったが、作中に直接的な記述はあまりないのだけど、ジャップといった差別用語も出てきて、太平洋戦争をアメリカ側から見た複雑な感情が暗に感じられ、こちら側からすれば、警戒して読まざるを得なかった。



とは言え、読み進めてゆくうちに少し見方が変わってきて、「この小説はガープという少年がいろいろなことを経験しながら成長していく、その姿や、ガープの視点からとらえた世界を描くというものだな」と分かりだして、



「ああ、これは『フォレスト・ガンプ』のような話だな」



と思えるようになってからは、少し気楽に読めるようになった。




フォレスト・ガンプ




それでインターネットでググって調べてみたら、どうやら逆で、『フォレスト・ガンプ』の方が『ガープの世界』をお手本にして書かれたようだ。また、もう少し調べてみると『ガープの世界』もすでに映画化されているようで、主演がなんとロビン・ウィリアムズ。僕が大好きな俳優のひとりなので、これは見ないわけにはいかない。ということで小説は途中で打ち切って、DVDで。




ガープの世界




う〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん



正直、これはどうかなー?



なんだかなー、なんだかなー



っていうお話だ。



フォレスト・ガンプ』は観を終わったときに幸せな感じがしたけれど、『ガープの世界』は、「えーーー???」って感じで、幸せとは程遠い。これって、どちらかと言えば、



コーエン兄弟の作品



なんかに近い読後感じゃないか。




ファーゴ




でも、コーエン兄弟の作品は、構造がもっと緻密に描かれている。例えば、映画評論家の大場正明さんが言うように、



ユダヤ文学でいうシュレミール(schlemiel)やシュリマゼル(schlemazel)



に通じる人物、なにをやっても裏目に出るドジな人物や災いばかりが降りかかるどうにもついてない人物が出てきたり、絶対悪の存在や、運命論に支配された世界、神話っぽいというのかな? 構造がしっかりとしている。



対して、アーヴィングの作品は、コーエン兄弟ほど構造的ではない。ただ、彼の世界を捉える眼は確かで、社会情勢や、家系の因縁、人間の欲や性といった要素から世界の本質を描くという独自性があり、そこには物語の力が沸々と感じられる。







物語の復権



最近、アメリカの作家が再び構造を明確に描くようになったという感がある。



例えば、大ヒットした作品、



ラ・ラ・ランド




ラ・ラ・ランド




有名になったオープニングのシーンだけど、これって完全にプッサンだよね。





プッサン




僕らが創作をやっていた頃というのは、プッサンを参照するということはなかった。確かにメトロポリタンミュージアムプッサンを観て、



「歴史画も悪くない」



とか思ったけれど、友達のあいだで話題にするといえば、



ピカソマチス以後の作品



影響を受けたのもいわゆるモダン・アートやコンテンポラリー・アートと言われる作品群だよね。



ラ・ラ・ランド』の監督のデイミアン・チャゼルはハーバード出身だし、コーエン兄弟も高学歴で教養もあるから、デヴィッド・リンチのようなわけのわからん作品も作ろうと思えば作れると思うけど、そういう描き方をしないよね。




マルホランド・ドライブ







あ、そうそう、柴崎さんの小説のなかで、ハンバーガーのくだりが好き。



と、言いつつも、並ぶのが嫌いだから東京のシェイクシャックには行っていなかったので、食べてみたい気持ちはあった。


シェイクシャックの前まで行ってみると、アリスが店の前に出てきていた。超満員の店内では隅のカウンターに二人分、ハオが席を確保してくれているらしい。アリスは、並んでいる間に空くといいんだけどね、と話しつつ、わたしやガリートの注文を聞いて、ウラディミルとレジに並んでくれた。行列の横から中に入ると、木製のテーブルに緑色の表示板で、ファストフードのプラスチック感とは一線を画しています、とアピールするようなシンプルな内装だった。たしかテーブルの木はボウリングレーンを再利用して作ったものだ。つまり、物語。ホルモン剤を使用しないアンガスビーフ100%、オリジナルのレモネード、トレーの印刷に使ったのはソイインク、ミネラルウォーターの売り上げの1%は自然保護に寄付、椅子もビールもブルックリンで作られ、その物語に、わたしたちは並び、マクドナルドの3倍の金額を払う。


(中略)


四人用のテーブルに、荷物の多い五人で詰めて座った。シェイクシャックのハンバーガーは、おいしかったが、行列して、日本円で約700円だと考えると、そこまで感動するような味ではなかった。わたしはもともと味覚がジャンク寄りなので、カリフォルニアに行ったときに誰もが勧めたイン・アンド・アウトも、他のハンバーガーチェーンとそんなに違うとは思えなかった。それよりも、カールスJr.やウェンディーズのほうが自分にとってのアメリカのイメージだし、好きだった。それか、24時間パンケーキが食べられるIHOPとか(中略)International House Of Pancakesの略称という馬鹿げた名前も素敵だ。


ウィットの効いた文章で、ここらへんを読んでるときにクスッと笑ってしまったのだが、ここで触れられている



「イン・アンド・アウト(In-N-Out)」



この店には、僕も思い入れがあって、



「ああ、ここって、アメリカですごく評価されそうな店だな」



って思った。



なんでかというと、確かにIn-N-Outも所詮ジャンクフードのハンバーガーだから、マクドナルドと大して味が違うとは思わないのだけど、構造というか、構成がしっかりしているんだよね。



バンズ、パティ、チーズ、レタスが、くっきりしている。



対して、マクドナルドは、全体的になんか曖昧な感じ。




In-N-Out




マクドナルド









なんて、ことを柴崎さんの小説を読みながら考えていた。そして、あともう1つ。作家の藤野可織さんが、この小説の書評を書いていたので読んだのだけど、「えっ!、そう?」と意外な感じがした。



藤野可織



特別な時間から新しい特別な時間へ

このなかのここ!



なかでももっとも読む者を激しく揺さぶるのは、この作家の、知りたい、理解したい、感じ取りたいという切実な欲望である。作家を行動させ、考え続けることを強いるその欲望は、知ること、理解すること、感じ取ることができる範疇をやすやすと突き破る。決して知ることができない、理解することができない、感じ取ることができないということそれ自体を、この作家は知り、理解し、感じ取ろうとしている。


「えっ!、そう?」



確かに、藤野さんの言う通りと言えばその通りなのだけど、この小説を読んでいても、それほど強い欲望を感じることはなく、どちらかと言えば、わきあいあいというか、すごくゆるい感じがした。日本にいるのと何にも変わらないとさえ感じた。



ふつうアメリカの大学と言えば、スケジュールがびっしりと組まれていて、留学から帰ってきた人は必ず「人生で一番勉強した」と言うし、「学校の敷地から出たことがなかった」という人もいるくらい。特にアメリカの大学院は厳しくて、日本の詰め込み教育なんて比じゃないくらい大変だと聞く。



ところが、柴崎さんが参加したインターナショナル・ライティング・プログラム(IWP)というのは、そもそも学生向けのコースではなく、大学がプロの作家を招待するワークショップだから、参加者を縛りつけるようなことはさすがにないし、すごく楽しそうな集いという感じで、あくせくした感じがほとんど見うけられなかった。



いつもの柴崎さんの小説となんら変わらない



柴崎さんの小説に出てくる子は、いつも何を考えているのかよくわからない。ふわふわとしていて曖昧な感じで、この小説の主人公も自らの意思でどうするという感じではなく、友だちが公園に行こうって誘ってくれたから行こうかなー、って感じの子だった。



しかし、ただ1つ違うなって感じられたのは、



トランプへの嫌悪感



を、この小説に出てくる子は、はっきりとくっきりと現していたということだった。








8月7日(火)

勝利のビール




メンバーとサポートしてくれたスタッフたちで祝勝会。



面と向かってはなかなか言えない感謝の気持ちを伝えられてよかった。



ベンチャー企業だから、色々な出自の人がいる。おのおの仕事のスタイルが違うし、一長一短があって、多国籍軍という感じで面白い。僕自身も畠違いの出自の人間だから、彼らの目にはかなり異色に映っていることだろう。



それもよし!



建築でもJV(ジョイントベンチャー)というのがあるけど、あれは異なる企業文化のぶつかり合いというよりも、政治的に等しく分配されたという感じだから、わりかし予定調和な組織で、思ったほど面白くない。



対して、いまの現場は東西を代表する某メーカー出身の人たちがお互いのプライドをかけてしのぎを削っているという感じが随所に見られて面白いし、勉強になる。



さて、これまでは製品化されるかどうかもわからなかったので、ひらめきやアイデアを求められるケースが多かったけれど、製品化がほぼ確定したこれからの仕事はやや趣が異なる。



建築で言えば、ちょうど、アイデア重視の基本設計から実用性重視の実施設計に移っていくターンンニングポイントに相当すると思う。



建築現場に数ヶ月間、毎週休むことなく通い続けたあの日々を思い出せばよい。



「図面に承認印を押さない限り、現場は一切動きません。今日は返しません!」



と現場事務所に深夜まで軟禁されたあの日々を思い出せばよい。



細部に目を行き届かせて、粘り強く、粘り強く



そして、



各方面からスペシャリストが集まった、このチームを楽しもう!



気分は、オーシャンズ11






8月4日(土)

勉強時間・仕事時間




起きたら午後2時だった。いわゆる爆睡というやつだ。この2週間けっこうきつかった。会社にも何日か泊まったし、家に帰ってもシャワーを浴びて仮眠をとってすぐに出て行くという感じだったから、ま、さすがに疲れるわな。



何があったかというと、たずさわっている開発プロジェクトのチェックポイントというやつで、これはどの業界にいる人も経験していることだと思うけど、このチェックポイントをクリアしなければ、どれだけ力を注ぎ込んだプロジェクトであっても商品化されることはなく、日の目を見る前に消えていってしまう。



僕が以前いた建築業界で言えば、オープンコンペや社内コンペというのがあって、複数の設計事務所や設計チームが競いあって、みんな何日も徹夜して作品を創り上げるのだけど、コンペで負けたら全て終わり。出版業界で言えば、どれほど惚れ込んだ書き手の渾身の作品であっても、編集会議で落ちたら終わり。自動車や家電製品やお菓子もみんな同じようなものだと思う。負けたら終わり。が、しかし、



幸い、今回は勝つことができた!



勝因は、指導者の度胸とエースストライカーが最後しっかりゴールを決めたことに尽きる。ただ、この3ヶ月間じっと現場で観ていると中盤の選手がけっこう頑張ったというのも大きい。実際に中盤でキラーパスを何本も出した選手がいて、最後のゴールよりもこのキラーパスの方が「すげぇー!」って思ったりするのだけど、ま、上の人間にはわからねーよな、その点がちょっと悔しい。



また、今回の成功体験を通じて、学ばねばならないこともある。それは仕事のペースだ。やはり最後に負荷がかかりすぎた。我々は学生ではなく社会人だし、開発はお祭りではないのだから、一発勝負ではなく、持続可能なスタイルを追求せねばならない。



端的に言って、ここは素直にトヨタに学ぶべきだ。



「ムリ・ムリ・ムリ」



でぐいぐい行くのではなく、



「ムリ・ムラ・ムダ」



をいかに省くか。



これを常日頃から考えて行動すること。そして、この行動を社風に育てあげること。



確かに、よのなかには色々なタイプの人がいる。朝型の人がいれば、夜型の人もいるし、3,4時間の睡眠で大丈夫な人もいれば、7,8時間寝ないとダメな人もいる。そういう個人差は確かにあるが、一般化して言える限界値や適正値はある。



例えば完徹で何時間働けるか? 定性的な話になるけれども、僕の場合は48時間。あるいは、1,2時間の睡眠で何日働けるか? 僕の経験では5日間。ただ、これも不確定要素や頭を使う要素を全てクリアして最後、成果をレポートにまとめきるという決め打ちの作業で5日間突っ走ったというもの。じゃ、ずっと3,4時間の睡眠で何日働けるか? これは経験したことはないけど、せいぜい3ヶ月じゃないかなー。



実際、徹夜したらすごくやった気になるけど、頑張ってもせいぜい1週間だよ。例えば、1週間毎日24時間頑張って働いて倒れて3週間休んだら、その人は1ヶ月で168時間しか働かないで終わってしまうことになる。毎日8時間働く人となんら変わらないし、後遺症が残るから、その後のパフォーマンスも下がってしまう。



じゃ、何時間がベストか?



大学受験で東大や京大に合格した人、社会人になって資格試験の勉強をした人と話していて、だいたいみんな言う勉強時間があって、それは、



1日12〜13時間。



僕も1級建築士の勉強をしたことがあって、製図の一発アウトのミスをして落ちて、その後転職したから勉強をやめてしまったけど、一応学科試験は通っていて、1級の学科試験は500時間勉強したら通ると言われていて、ちょうど設計事務所をやめた後、仕事をしないで試験勉強だけをしていた時期があるのだけど、その時やっていた勉強時間が1日13時間。実際にその勉強スタイルを40日間続けたあたりから模擬試験でも合格点が出るようになってきた。建築士以外で言えば、公認会計士も同じような感じで、こちらは勉強する絶対時間がもっと長いのだけど、受験した人に聞いたら、やはり1日13時間勉強したと言っていた。



ここなんだよ!



1日8時間は誰でも働く。人と同じことをやってたらダメだけど、じゃ、その競争に勝つために何時間働くか?



世の中の風潮としては作業を効率化して働く時間を短くするという感じだけど、ビジネスプラン、いわゆる儲かる仕組みをつくるというのであれば、1日5,6時間働くだけでやっていけるプランも作れる。自分は働かないで、安い時給で人を雇って働かせればいい。けど自分がプレイヤーとしてやるのであれば、それなりに働かないとダメだよ。特に僕がいま携わっているものづくりは、受験勉強と似ていて、やらねば次の工程に進めない作業がけっこうあって、成果をあげるためには、やはり実働時間がそれなりに必要になってくる。そこで、



最大のパフォーマンスを出せる仕事時間は何時間かと言えば、8時間でも24時間でもなく、1日13時間。



朝7時から働いて昼に1時間休んで夜21時まで。



これ以上やろうとしたら、疲れて続かないし、倒れてしまうリスクもある。だから
、これ以上やらねばこなせない仕事を抱えたらダメだし、計画してもダメ。また、これはあくまでも自分がやると決めてやることだから、他人に同じパフォーマンスを要求してはいけない。



今後の課題は、



必要な工数を計算して、いかに計画的にプロジェクトを推進するか



だな。












 日記Z2018年7月












 阪根Jr.タイガース


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