2015年4月




4月30日(木)

4月がおわった。明日から5月だ!




4月29日(水)


休みといえども、お店は開いてるし、工場は稼働しているので、これって休みじゃないじゃん!? はい、ふつうに忙しい一日でした。


あと、きょうはたくさん話しをした一日でした。朝・コーヒーショップの店員さんと話して、昼・同僚と電話で話して、夜・上司とご飯を食べながら話して、深夜・さっきまで批評同人とスカイプで話した。


難しい話もあったけど、いい話しができたと思う。



4月28日(火)

会社には行くのだけど、会社じたいは休みだからスーツを着なくてよくて、きょうは協力業者との打ち合わせがあったから本当はスーツを着なくちゃいけなかったのだけど忘れていて、スーツを着ないでパーカーとジーパンで仕事をしていたのだけど、スーツを着るか着ないかたったそれだけの違いなのだけど、もう本当に気持ち的に楽。




4月27日(月)


休み中は無理はしないけれども仕事を継続することにした。周りが止まっている間に一歩でも先に進めることができれば、相対的に大きな一歩となる。特別なことはしない。現場への情報展開とデータ整理を粛々と行なうのみ。



夜は久しぶりに読書。哲学本を久しぶりに。


「明日雨が降るか降らないかのどちらかである」は論理的真理だが、「昨日雨が降ったか降らなかったかのどちらかである」は単なる論理的真理のみならず、さらにそれ以上のことも主張している。

むむ、なるほど!



気持ちもあげていこう。



久しぶりに音楽。中田ヤスタカを久しぶりに。



  




4月26日(

休んだような休まなかったような




4月25日(土)

いきつけのコーヒーショップに寄る。



店員:「あしたからお休みですか?」



オレ:「あしたは休みだけど、GWは休めないかもしれない」



店員:「そうなんですかー。心配しなくても大丈夫ですよ。お店はGWも開いてますから!」



オレ:「・・・」






こちらこそ、いつもありがとうございます。



   




4月24日(金)


ぼくはいったい何を信じて生きているのだろう? とふと思う。
例えば、俳優なら演劇を信じて生きているのだろうし、
プロ野球選手は野球を信じて生きているのだろう。
信じるというのは、煩わしいことをとやかく考えることなく、じぶんを捧げることができる、打ち込むことができる、そういう状態のことを言うのだと思う。


ぼくはサラリーマンになったから、俳優にとっての演劇やプロ野球選手にとっての野球にあたるものはない。いまはゴルフシャフトをつくっているけれども、それが野球のバットになってもテニスのラケットになっても麻雀の牌になってもなんでも構わないのだけど、打ち込むことができる、ということは大切で、対象がなんでも構わないのに打ち込むというのは、何を信じているかと言えば、じぶんのスタイルなんじゃないかと思う。


社会人になってから、二度転職をしてこれまで3つの仕事に従事してきたけれども、初めのしごとで身につけたスタイルというのは、いまでもほとんど変わっていないと思うし、それなりにうまくやってきたのだけど、そのスタイルを否定されるというのは一番きつい、つまり信じない、信じられない。


じぶんのスタイルに固執するというのではなく、じぶんのスタイルで結果を出す、誰かに届けることができなきゃならんのだと思う。


誰かにちゃんと届けること。



4月23日(木)

仮眠以上睡眠以下




4月22日(水)

仮眠。




4月21日(火)

前向きな徹夜。



50本は無理でも20本ならいけるかな?




4月20日(月)


朝一番


行きつけのコーヒーショップで元気をもらう。


いつもありがとうございます☆



さあ、いざオフィス!


ガ〜〜〜〜〜〜〜ン!



あっちゃー 


きついなー、はい、きついです。


今週も、が、が、が、がんばります!



4月19日(


原因は、ぼくの説明不足とコミュニケーション不足だな。


これまで我慢して我慢してなんとか踏ん張ってやってきたのだけど、周りがもうちょっとわかってくれているかなと思っていたのだけど、「えっ!?」とびっくりするくらい周りに伝わっていなかった。


「あいつ、きつそうやから、なんとかしてやらなあかんで」って感じてくれているのかと思っていたらそうではなくて、「問題が起こってないから大丈夫や」って安心してたみたいや。あちゃー…


こちらはこちらで正規の動きじゃないけど、状況が状況やから仕方がないと割り切って、正常の流れになるまでなんとか繋いで支えていこう、そのうちに組織的に動いてくれるに違いないって、こらえながらやっていたのだけど、それが間違いやと。


会社は組織で動いているのだから、個人が下手に頑張りすぎると逆に迷惑になる。


う〜ん、難しいけど、確かにそうやな。


自分ひとりで下手に抱えすぎないように、問題があったらすぐに報告をあげて、組織として動いてもらえるように仕向けていこう。


ともかく、この3日間ほど凹んでいた問題は解決の方向性が見えたので、それはそれで頑張ろう!



4月18日(土)




4月17日(金)




4月16日(木)


凹む



4月15日(水)

やはりゴールデンウィーク明けまでが勝負やな。この期間になんとか増産のペースを掴めれば、その後は製品を安定して供給できるようになるだろう。とにかく現場もオフィスも、今、頑張らんといかん。



オフォスから工場へ行く電車のなかで引き続き藤沢武夫さんの本を読む。ホンダと言えばマスキー法。このブレイクスルーはやっぱりすごい。ここはホンダの歴史のなかで一番好きなシーンなので引用しておこう。


  CVCC完成の秘密



DDACと名づけた特殊なエンジンを搭載した小型自動車ホンダ1300は、空冷エンジンでも静かなものというキャッチフレーズで、昭和44年に発売し始めました。この年の春に、自動車工業にとって、画期的なことが起こったんですね。マスキー法案です。当時、どこの自動車会社も、この排気ガス規制が可能だといったところは一社もありません。ホンダとても例外でない。社のだれに聞いても、「だめだね」という返事でした。


その年の夏も終わりのころでした。河島専務が研究所の幹部と会ってくれというので、一泊の予定で、12,3人と熱海へ出かけました。そこで排気問題についての重要な問題を聞かされた。


「ホンダは今まで空冷四サイクル、高回転高馬力を追求し、それを商品の眼目において大きな特徴とした。だが排気対策は、この反対の方向、低回転低馬力でないと解決がつかないと思う」


「それだと、他のメーカーは有利じゃないの」


「いや低回転低馬力しか出していない技術でやっているところでは、この理論は引っぱり出せませんよ。私たちのやってきた長い間のものの集積でないと、これは見つけられませんね。高回転燃焼の極限を見て、初めて考えられる理論なんですよ」


確実性にのっとってしか発言しない技術者連中でしたが、笑顔があったことは確かです。しめた、と思って、「ウチはできるの」と質問したんですが、まだまだ確言できる段階ではないという答えだった。


「重要なことがあるんです。社長は空冷でやるといわれているんですが、それでは見込みがない、と私たちは思っているんです。一刻も早く、まっ直ぐに水冷にしないと時間がないんです。水冷なら、絶対とはいえなくても、かなりの可能性があります」


話す人が変わっても、意見は同じなんですね。キャブレターや、燃焼過程を、十年も二十年も毎日毎日見つめてきた世界最高のエキスパートたちの意見です。


東京へ戻った私は、社長にこの技術者たちの意見を伝えました。


「いや空冷でも同じことだ。できるんだよ。副社長に説明してもわからないだろうが」


本田宗一郎は信念の人、ことに技術にかけてはなおさらですから、変えてもらうのは並たいていではできないと思って、「社長は本田技研の社長としての道をとるか、あるいは技術者として本田技研にいるべきだと考えられるか。どちらか選ぶべきではないでしょうか」といったんです。


しばらく黙っていましたが、「俺は社長としているべきだろう」という答え。


「水冷をやらさせるんですね」


「そうしよう。それが良い」


結局、心から賛同してくれました。次の日、本田は、研究所技術者幹部を集めて皆の希望を確かめた上で、水冷を研究するよう指示された。


この大転換が軽四輪ライフを水冷にし、その技術を足固めに小型車シビックとなり、さらに底固めしながら、世界を驚嘆させたCVCCを完成させることになった。しかしいま私は、本田に空冷でさせてあげたかったなと思います。空冷でも、きっとやりとげられたでしょう。それにしても、河島喜好は人の能力を引き出すのがうまい男です。


藤沢武夫『松明は自分の手で』PHP pp.125-128.






松明(たいまつ)は自分の手で

松明(たいまつ)は自分の手で






   





今日もがんばりました。



ありがとうございました☆




4月14日(火)


今日は朝からヘビーな会議だった。凹んだ。明日からまた頑張ろう!


きょうは仕事が手につかないので、作業を早めに打ち切る。家に帰ってひとりMTGと読書。グーグルやアップルという企業よりも、日本のメーカーに興味がある。今日はホンダの藤沢武夫さんの本を読んだ。本田宗一郎さんが社長だった時に副社長を務めていたひと。


よのなかには、社長という生き物と副社長という生き物がいる。副とつくとなんだか社長の次に偉い人、NO.2というイメージを持ってしまうが、これは間違いで、社長と副社長というのは全く別の生き物だと考えた方がよい。僕じしんがどちらのタイプかと問われれば、間違いなく副社長タイプだ。企業人で共感するひとと言えば、このホンダの藤沢さんやトヨタ大野耐一さんだ。


藤沢武夫さんの本は設計事務所時代にけっこう読んだのだけど、今読むとイメージが違う。もっと現場寄りの人というイメージが強いのだけど、どっちかと言えば商売人だな。でもやはり現場と極めて距離が近い人であり、親近感の持てる人だ。好きな記述があったので引用しておこう。


外注工場でつくられた歯車を入れて組み立てていたオートバイのときと違って、近代機械設備での製造は定めしうまくいくだろうと思っていたら、どっこいそうはいかなかったんです。使用方法もわからない、日本のどこにもまだ入っていなかった機械ですし、それに、歯車をつくったことがない人たちが精度の高い部品の熱処理という難物と取り組んだこともあって、いや、不良品が多い、多い。当時資材部長だった白井専務が、「ウチでつくると、高い原価の部品になるのが多い。これじゃ外注でやってもらうほうが、はるかに安いオートバイができる」といったもんです。


さればといって、外注だけを頼りにすると社内の人の進歩がない。皆、それこそ真剣に取り組んでいました。ダイキャストの大型機械なんか、製作所の隅に梱包したまま長いこと置いてあったのを覚えていますよ。一つの機械を使いこなして、自信を持って次の梱包を開け、据え付けるには、やはり歳月を必要としたし、それから先の満足する状態になるのにはまだ間があるというわけで、増産には程遠いありさまでした。


生産管理にしても、同じようなことがいえましたね。
現場へ投入される部品材料は、何個何個と書いた伝票といっしょに機械加工へ回る。旋盤だの、熱処理の人は、一人一人、油の手を拭いて、伝票を書いて次のところへ送る。油で真黒になっていた備え付け帳簿に書き込む。だから、工場の中にいくつもの伝票がいつも流れている。伝票の数と帳簿の数はまったく多い。それは正確になるかもしれないが、だれも見たり検査することもなさそうな帳簿でしたね。だから、この正確な仕事の仕方は、かんじんのところへくると、変なことになっちまうんです。在庫部品金額は厖大で、二ヵ月分もあるのに、その日の組立部品がない。反面、五年も買わないですむ部品もある。倉庫は一目見てつかめるという高度の配置はなされていない。そんな状態でした。


藤沢武夫『松明は自分の手で』PHP pp.68-69.




松明(たいまつ)は自分の手で

松明(たいまつ)は自分の手で




4月13日(月)


チャイラテのオールミルクという裏技を伝授される。オールミルクになっちゃったらチャイじゃなくて単なるミルクになってしまうじゃないか! と心配したのですが、ちゃんとチャイラテでした。味が濃厚になってのど越しが柔らかくなったので飲みやすくなりました。めでたし、めでたし☆


オフィスでの仕事を切り上げて、工場で出荷できる製品を受け取って帰宅。


きょうはまだ仕事が終わってない。徹夜かもな…(つづく)



4月12日(



今までは家から工場まで自転車で行くためのリュックで誰にも見られずにすんだのだけど、これからは電車に乗るためのリュックなので、もうちょいきっちりしたものにしようと思って吉田カバンのリュックを求めて新宿のお店を5軒ほど回ったけど、欲しいものが見つからず。初めから表参道のショップに行けばよかった。けっきょく帰りの電車でアマゾンでポチった。



今日は読書とひとりMTGに時間を取りたかったけど、何かと雑用をこなしているとあっという間に時間が過ぎてしまった。いまはお金よりも時間が大切。時間をうまく見つけて、体を休めて、仕事の計画を立てて、読書をして、じぶんを高めていこう。



まだ気持ちに余裕がないのだけど、そろそろ観劇できるコンディションになりつつある。好きな劇団の公演も控えているし、こちらもコンディションを上げていこう。


劇団イキウメの稽古場の様子がツイッターにアップされていた。演出家(スタッフ)と俳優が作品を創ってゆく様子はプロ意識をすごく感じるし、すごく刺激になる☆



   



オレもあしたから仕事。


今週もがんばろう!




4月11日(土)


朝イチはチャイラテと決めているのだけど、きょうは土曜日ってことでソイラテにかえてみた。んっ!? シブい味だな。わるくない。


仕事は淡々と進む。注文のながれとデータ整理とイベント対応。まだまだだけど徐々に現場との風通しもよくなってきている。がんばれ、がんばれ、現場とじぶん。


夕方、オレのミスか? なんだかよくわからないドタバタ劇に巻き込まれる。いろいろフォローしているつもりだけど、指示がいろいろかわったりかわらなかったり、やぶへびという感じで関わるのが嫌になる。もうっ!


土曜日なので早めに定時で切り上げて家に帰る。


きょうもタイガースが負けていた。凹む。
オレに合わせる必要はないから、おまえらは100連勝くらいしろ!


ベットで横になったら、そのまま朝まで寝てしまった。



4月10日(金)


黒井さんの本を読んでいるとその時代を支えてきた力というのを想う。ぼくに聴こえてきたのはハコさんだった。フォークを歌う女性って深淵なる強さを内に秘めていて、僕たちを支えてくれる。舞台に立つ女性や小説を書く女性にも同じ力を感じる。






4月9日(木)


読書。黒井千次さんの『働くということ』から孫引き




「私が工場において強く印象づけられたもうひとつのことは、仕事の人格化とでもいうべき現象であった。労働者が仕事の中に誇りをみいだすことの出来る時代はとっくに去ったことが強く言われている。それは労働の疎外ということと結びつけて語られている。疎外された労働の内部では、労働者は労働を自らを生かすものとしてとらえることは出来ず、労働している時、自らの外にあると感ずる。労働は欲求の満足ではなく、労働以外のところで欲求を満足させるための、賃金を得るための仮の手段にすぎないと。


それは、ほぼ正確である。しかし、それにしても、私に眼をみはるほど印象的であったのは、工場において、人が、お前の仕事は出来がわるいぞと言われた時の怒り方のはげしさであった。決してそれは給料や成績のためではない。明らかに、お前の仕事の出来がわるいと言われることは、自分自身の悪口を言われることだと感じるからこそ、ムキになって怒るのであった。私などからみて、どう考えてもそれは個人の責任ではなく、工程の設計のまずさと設備の能力に関係していると思われる場合でも、ムキになり、そうした場合には、それが本来彼自身の責任でない以上どれだけ努力しても結果はよくならないことが、人間的な劣等感として屈折して定着するということすらあった。」


中岡哲郎『技術の論理・人間の立場』筑摩書房刊に所収)



4月8日(水)


正常ダイヤへの復旧をゴールデンウィーク明けと定める。2,3日でなんとかなるものではない。お客様からの信頼を失わないよう粘り強くやるしかない。


まずは自分自身のながれから、現場のながれへ、現場にはタッチしない、意識的にタッチしない、我慢して待つ、彼らが這い上がってくるのを待つ、彼らが這い上がって来た時に、僕が負けないようにこちらはこちらで準備する。


システムの構築、フォーマットの統一、でもまずは既存の仕事が流れるように。手間がかかっても仕方がない。相手が動きやすいように、ながれが生まれるように、指示を出す。


土日はどちらか1日休めば健全性を保てる。1日は仕事にあてる。毎日の睡眠時間は6時間取る。短期戦ではないので睡眠はちゃんと取る。


仕事場には始業時間の1時間前に入る。これだけは守る。設計事務所時代に現場で学んだ鉄則。


建築の仕事をやっていたとき、一番優秀だった現場監督が必ずやっていたのが現場に7時に入ることだった。藤沢の現場でも所沢の現場でも千葉の現場でも、家からいくら遠い現場であっても必ず7時に入る。


建築現場は8時に始動する。簡単な朝礼のあと、「安全第一、今日も一日がんばろう」「オウッ!」の掛け声で動き出す。一旦現場が動き出すともう止まらない。現場を監督する人間がスタートで出遅れると、現場をコントロールできなくなる。指示が遅れると現場がガタガタになる。先に始動すること。



4月7日(火)

厳しい状況だが、粘り強くがんばろう。昨年の製品開発段階はもっと辛かったし、大学を出て設計事務所で働いていたときも辛かった。でも、そういう辛い経験は今を支える貴重な財産になる。過去の日記を反芻しよう。



(2004年9月5日 日記より)



終電で帰っているという話は同業の知人からよく聞くけれども、始発で通っているという話は一度も聞いたことがない。設計、特に芸術的創造を謳っているアトリエ系事務所では通例とも言えることだが、これは創造的営為の宿命を語っていると同時に、事実上のシステムの破綻をも語っている。


現場が動き出すと、このような自身のかかえる問題が露呈してくる。一言で言えば、仕事が回らないのである。いやいや、それ以前を言えば、仕事を回す体ができていないのである。だから、ただ仕事時間を延ばすという発想は事実上破綻してしまう。以上のことを整理して自身に課すのは、


1.体づくり
2.決められた時間内に仕事を回す

となり、タイムテーブルが以下のように作成される。



6:00 起床
6:00〜7:00 ジョグ、シャワー
7:00〜8:00 朝食、日誌
8:00 出発
8:30〜9:00 そうじ
9:00〜20:00 仕事
20:30〜21:30 夕食
21:30〜23:00 入浴、家計簿、読書、音楽鑑賞
23:00 就寝

実際、このスケジュールがこなせたとしても、仕事が回るかといえば、何とも言えない。決められた時間内に手を抜かずに仕事を回すというのは、まだまだ想像上の領域であって、創意工夫が必要である。



設計事務所の仕事量は多く、アトリエ系の場合、朝は遅くて10時スタートだが、夜も遅く10時、11時まで、ひどい所では深夜1時、2時まで作業するのが常態化している。しかし、こうムリな生活を送っていて健全性をちゃんと維持できているかと言えば甚だ怪しい。パソコンの前でうとうとしながら作業しているなんてことも度々ある。


この時、私が一番恐れたのは判断ミスである。現場が動き出すと設計者は監理業務を行うのだけど、何をするかと言えば、現場から上がってきた図面をチェックしてハンコを押して現場にゴーサインを出すのである。ここでチェックミスをしたら設計事務所の1件、2件なんか簡単にふっ飛ぶぐらいの損失を出してしまうことにもなるし、人命に関わる重大な問題にも発展してしまう恐れがある。実際は設計者だけでなく、現場監督、各担当者、職人と何段階もチェックが入った上で現場は動くので、そう簡単には大問題にはならないのだけど、いざ問題が起こって監理責任を問われるとひとたまりもない。このような重大な判断をせねばならないのに、毎日ムリな生活を強いて意識が朦朧としていたらさすがに不味いだろう。そう思って生活を切換えた(ムリ・ムラを排除した)のだ。


ちなみにその後、次のような記録も残っている。



 (2004年11月20日


営業時間の変更
AM9:00〜PM8:00から
AM7:00〜PM8:00へ
やっぱり上では無理。

ただし、これは現場が一番忙しい時の話であくまでも期間限定であった。







今、置かれている状況にすごくよく似ている。ま、いまはもう少し体力があるけどね。



とにかくがんばろう!



今日もよい1日でした!
ありがとうございました!!



   




4月6日(月)


流れがきた。


上司に現状を理解してもらった。まだまだ苦しい状況は続くが逃げるな。理想を言えば100%の結果を出したいところだが、この状況では無理だ。だからといって逃げるな。ダメだとわかっていても逃げるな。渦中に飛込め。しばらく耐えろ。抜け出せる。



   




4月5日(


きのう見たスカイツリーというのは、高いということ以外に何も取り柄がない構築物だと感じる。例えば、もっと昔の日本、東京タワーを建てるときは欧米に追いつけ追い越せと躍起になっていたであろうし、それ以前の本場ヨーロッパ、フランスのエッフェル塔はエッフェルという狂人的な天才の為した技であり、誰もあんなものができるなんて想像もしなかったことだろう。東京タワーやエッフェル塔がホットであったのに対して、スカイツリーというのは実にクールだ。


でもスカイツリーは、ある意味、今という時代をちゃんと象徴しているように思う。デザイン的には何の見所もない構築物だけど、あれだけのものを造ろうと思えば、それ相応の技術力が必要となる。建設技術としてはかなりシステム化されていると思われ興味深い。どうやって工程を立てて、どういうふうに職人を配置して、どうやって指示を出していたのかなどなど。ちょうどユニクロ無印良品のお店にいって、デザイン的に魅了されることはなくとも、これだけの商品が、このような価格でちゃんとお店に並べられているというのは、一体全体どういう仕組みになっているのやら?と驚くのと同じ。


「表面的にはつまらないデザイン」と「極度にシステム化されたインフラ」


これは、僕が工場に長くいるので、表面的なデザインよりも、商品を供給する仕組みの方に興味がわいてくるという前向きな受けとめ方もできるし、一消費者として、いやいや、さすがにこのデザインではマズいのではないか。そろそろみんな飽きてきて、わざわざ時間をかけて出向いたり、わざわざお金を出して買う気持ちを失ってしまうのではないかという危惧もある。


自分が手掛けているゴルフシャフトにも同じことが言える。さて、どうしようか?



   




4月4日(土)


大学のなかまと花見。


大学を出てもう10年以上も経っているのに、こうやってみんなと会えるっていうのはうれしいこと。なるべく仕事の話はしないようにして、リラックスを心掛けた。


小さな子どもたちが帰ったあと、残ったヤロウ3人だけで3次会。ふだんはほとんど愚痴らないヤロウが久しぶりに荒れていた、というか彼が仕事について熱く語っている姿を初めて見た。


みんな30代はがむしゃらにやってきてあっというまに過ぎ、これから40代に差し掛かろうとしている。当然40代は人生で一番充実した10年にしたいと思っているし、この10年で人生が終わってもいいというくらいの気持ちでもある。


しかし、どうも今まで見ていた40代のイメージと違い、思った以上にしがらみが強そうだ。40代は突っ走るパワーだけでなく、様々な人びと、物事を調整する能力も必要になるのかなって思う。


ま、そうは言ってもただ調整するだけで10年が終わるなんてバカらしいから、自分の能力を発揮できる仕事環境を整えて、40代も突っ走りたい。



   




4月3日(金)



「ついでにちょっと聞いて来て」と、かるい気持ちで引き受けた仕事がいつのまにやら、「完成形までおまえがやれい!」みたいなことになっていて萎える。 「やらんでええことまでやらんでええんじゃい!」って怒られたり、「やらんでええことまでやれい!」って言われたり、ああ、もうっ!



知っている人ににていると思って、「○○さんですか?」って尋ねたら、「はい、そうです」と。 ああ、やっぱり! なんか顔が似ているというよりも雰囲気がその人そのものだった。たとえもし覆面していても、変装していてもすぐにわかったと思う。なんだか、うれしい。



きょうもタイガースが勝った! ガォオオオ〜〜〜



4月2日(木)


流れはまだこない。


「ここは踏ん張りどころ!」って、かれこれ一年以上踏ん張っているのだけど、こういう場合は「ところ」じゃなくてなんて言うのだろう? 「ふんばり広場」とか「ふんばり牧場」とか? なんだか楽しそうだなー。楽しくねーよ。


さて読書。黒井千次さんの『働くということ』を読む。「労働」について書かれているのだけど、こんな一節が出てくる。



国鉄職員が自分は時折こんなことを考えるのだと手紙の中に書きつけている次の言葉に関心をそそられた。彼は自らにこう問いかけていた。


   自分は国鉄職員であるからキップを切るのか、キップを切るから国鉄職員であるのか、と。


この問いのなかには、仕事そのものと、仕事をする人間と、仕事の実現する場とを考えていく上での重要な契機が含まれている。


黒井千次『働くということ』PP.50-51.

ふむふむ。




4月1日(水)エイプリルフール

いま気づいたけど、きょう昼ごはん食べるの忘れてた。



きのうは「ながれ」について考えていたのだけど、前に「ながれ」について書いた文章を思い出した。


村上春樹『色彩を持たない多崎ながれと、彼の巡礼の年』


なんだか今日のために書いたような文章だな。



さて、これからプレゼン資料を作成して12時には寝よう。




3月31日(火)


社長と早朝ミーティング。社長という生き物は朝が早い。というか、社長というのは忙しい生き物なので捕まえようと思うとこんな時間になってしまうのだ。こちらも工場勤めがながいので朝早いのは平気だ。その後、チームミーティングを終えて、オフィスから工場へ。


完成した製品をみるとどこからともなく勝手にポンポン出てくるような錯覚に陥るけど、いやいや、いくら機械を使っているとはいえ、人の手でつくられているのだ。当然、つくる人のコンディションによって出来映えが左右する。そういうところまで目が行き届くようになってはじめて一人前と言えるのだろう。


工場に行くと、「物」ではなく「ながれ」を意識する。もちろん最終的には「物」として評価されるのだけど、それ以上にプロセスが重要で、うまく「ながれ」ているときは良品がとれるし、「ながれ」が悪いと不良品がでる。


「ながれ」


今はちょっと体調が悪いので、まずは体力を回復させよう。6時間はちゃんと寝て、仕事中は目をぱっちりあけて、やるべきことは前日の夜に決めて、仕事中はテキパキ動く。じぶんのなかを仕事が流れてゆく感触を取り戻して、リズムを生み出していこう。



明日から4月。


3月30日(月)


まだもう一仕事せなあかんねんけど、一日を振り返るために日記を書こう。


1週間の始まり。今日の出来は7割程度。明日大事な会議があるので、もう一歩作業を進めたかったけど時間を使い切ったので作業を打ち切る。昨日もう少し仕事を進めておけばよかったとも後悔するが、昨日はそもそも日曜日だし、別に遊んでいたわけではなく、家の掃除をしたり、洗濯をしたり、生活必需品を買いに行ったりしていた訳だから、仕事をすればよかったと思うこと自体がよくない。


行き帰りの電車のなかで、外山滋比古さんの『知的生活習慣』を読む。なんだか入試問題のような文章だと感じる。が、それは逆で、出題者が外山さんの文章を好んで頻繁に出題したからこそそうなった訳で、外山さんが入試問題っぽいのではなく、入試問題が外山さんっぽいのだ。


この文章はいったい何なのだろうか。インテリというよりも一種の芸当と言うべきか? う〜ん、文体というか、ともかく一つの思考のスタイルなのだろう。文体ということで言えば、好きな文体というのがあって、例えば、保坂和志さんの小説論や大江健三郎さんの評論がそれだ。文章に噛み応えがあるというか、ガチガチ過ぎず、ゆるゆる過ぎず、読んでゆくなかで味わいが出て来る。


かつて、そういった好きな文章を真似しようと思ったのだけど、やはりうまくいかなかった。大江健三郎なんかは、けっこう本気で取り組んで、思考のフォームの抽出までは成功したのだけど、文章にはならなかった。

Road to 大江健三郎 論


さて、外山滋比古さんの思考というか、習慣のなかで好きだったのが「生活を編集する」というくだり。メモ



あるとき、われわれの日常の生活も、形のない雑誌のようなものではないかと考えた。ぼんやり、なんとなくすごす一日は、編集のない同人雑誌のようなものではないか。そういう生活がおもしろかったり、世のためになったりはするはずがない。われわれは、すべからく、生活を編集すべきである。そう考えたのである。


われわれの日常生活は本や雑誌のようにまとまっていない。いろいろ雑多なことがある。そのままにしておいては、同人雑誌のようにもならない。自分で編集者になったつもりで、スケジュールをつくるのである。朝はなになにをする。そのあと用事をする。一服したら、ものを調べ、報告書をつくる、ついでに人に会い、・・・といった具合に予定を組む。一日の生活編集である。その通りはいかなくても、かなりの仕事をこなすことができる。朝から夕方まで、机にしがみついて勉強するというのは、いってみれば専門書のようなもので、編集の必要はないが、そういうのは例外で、たいていの人間は、毎日、雑然としたことをしている。ほうっておくと、編集のない雑誌のようになる。生活のエディターとして、整理を加えれば、人生は充実したものになる。そういうのが、生活の編集である(外山滋比古『知的生活習慣』PP.85-86.)

まずはスケジュールを組んでみようと思うけど、編集していないのに編集しているように読み応えのある人生というのが理想だな。



おやっ、まぁ、なるほど!



いま外山さんの文章をタイプしていて気づいたけど、外山さんはひらがなの使い方がうまい。文章のなかで漢字の占める割合がほどよい。廣松渉に教えてやりたい!







新しい文学のために (岩波新書)

新しい文学のために (岩波新書)



小説の自由 (中公文庫)

小説の自由 (中公文庫)



3月29日(日)日記を再開するべし!


今年に入ってまだ演劇も映画も見れてない。今年は忙しくなると始めから分かっていたのだけど、3月くらいまで突っ走ればリズムを掴めるのではないかと読んでいた。しかし4月を目前にした今も、まだまだこの状態から抜け出せそうにない。


学生の頃は主に自分自身に問題があって生活が乱れてゆくという感じであったが、社会人になると、むしろ自分以外の要因で生活が乱れてゆくことが度々起こる。もちろん自分の仕事のやり方が悪いというのもあるけれど、人が辞めたり、トラブルが発生したり、そのしわ寄せが自分の担当するプロジェクトに及んだり、仕事量の見積もりを間違えたり。休日出勤、残業、早朝出勤、できる限りのことはやるけれども、それでもなんともならんものはならん。


今は正直、仕事のリズムも生活のリズムも悪い。しかし、そこをなんとかもう一度立て直して、自分自身が回復し、周りに好循環をもたらすように持って行きたい。



勤務地の変更に伴って先週引越をした。10年近く過ごした東京西部・多摩地区を離れ、東京23区・杉並にやってきた。学生時代は隣町の世田谷に住んでいたから、やってきたというより復帰したというところだろうか。郊外型生活から都市型生活へ。この引越を機に生活のリズムを取り戻したいと考えている。


演劇を観ないで、映画も観ないで、本も読まないでいるとやはり感性が貧しくなってくる。最近、とある人から「イチローが辞めたからといってオリックスという野球チームがなくなった訳ではない」というような話をされた。ま、確かに僕が演劇や映画を観なくなったからといって死んでしまう訳ではない。でもイチローがいなくなってからオリックスは一度も優勝していないのと同様に、僕じしんのなかの何かしら大切なものが失われたのも事実だ。


さて、演劇を観に行く心の余裕がまだないので、ひとまず読書を再開することにした。でも、困ったことに何を読んでいいのか分からないのだ。これまで読書の習慣が途絶えたことはなかったので、読みたい本がたくさんあり過ぎてどれを読むか決められないということはあったけれども、何を読んだらいいのか分からないなんてことはなかった。現状は厳しい。


いまは難しい本は無理なので、やはりここは新書。ふらっと立ち寄った駅前の本屋で読めそうな本を物色。2冊購入。


(1)黒井千次『働くということ』(講談社現代新書


黒井さんがこういう本を書いていたとは知らなかった。どうやら小説家になる前、富士重工業に勤めていたらしい。へぇー。横光利一の『機械』や森敦の『意味の変容』も好きだけど、今のぼくとはちょっと距離がある。対して、黒井さんは、芥川賞の選考委員で唯一、「この人、ちゃんと読んで選んでいるな」と思うようなコメントを毎回残していたのが印象的だったし、小説家の福永信さんから勧められて読んだ、『高く手を振る日』という老年の恋心を描いたすばらしい小説を書いた人だ。そういう黒井さんが書く、「働くということ」という文章に興味が沸いた。

(2)外山滋比古『知的生活習慣』(ちくま新書


この歳になって外山滋比古さんの本を読むとは思わなかった。大学受験予備校のテキストに載っていた文章を読んで以来だろうか? 正直、いまさら感は拭いきれないけれども、外山さんの本を読んでもいいんじゃないかと思えるほど、今の自分の状態が悪過ぎる。生活習慣の立て直しのガイドとして読もうと思う。日記を再開したのも、この本の冒頭に「日記をつける」と書かれていたからだ。

もう少し明るい気持ちで日記を再開したかったし、じぶんで読んでもあまり好きな文体ではない。けれども現状を淡々と綴り、その変化を事後的に読み取るのが日記なのだから、これでいいのだ。



朝、仕事場に行く前に寄るコーヒーショップの店員さんが、「今日もお仕事がんばってください」と声をかけてくれる。その一声で本当に頑張ろうって思うのだから、人ってすごいなって思う。









働くということ -実社会との出会い- (講談社現代新書)

働くということ -実社会との出会い- (講談社現代新書)


高く手を振る日 (新潮文庫)

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アクロバット前夜90°

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