2010年6月(その2)




(6月30日)恩師と再会!!

■ 小学校1年生のときの担任だった仲島正教先生とつながりました。



■ 約25年ぶりの再会!



先生のブログによるとどうやら僕は小学校1年生のとき1年中ランニングシャツ1枚で学校に通っていたらしい!?



■ いまではクーラーにめっぽう弱く、夏でも長袖を着ているというのに.....



■ それにつけても仲島先生が当時と全く変わらず積極的に活動されている姿をみて驚きました。本当に当時と変わらない。




  《仲島先生に送ったメールから》


今でも仲島先生との出会いはよく覚えています。


初めて段西に登校したあの日、そりゃ僕も当然緊張してガチガチだった訳です。が、先生がみんなの前でいきなり大ジャンプをしてみせたので、「うわっ!」って、その瞬間に緊張がふっ飛びました!


なんだか、あのジャンプで僕の小学校6年間を総括してしまいそうな、それぐらいの元気パワーをもらったように思います。いや、いまでも覚えているので一生分の元気をもらったのかもしれません。


■ 力が湧いてきました!!!!!




 仲島正教の優しい風



教師力を磨く―若手教師が伸びる「10」のすすめ

教師力を磨く―若手教師が伸びる「10」のすすめ

(6月29日)サッカーからバトンタッチ

■ サッカー0対0で負けた。口惜しい。



■ なに泣いてんだ!



福永信フェアが始まるぞ!!


 



■ めざせ70冊完売!!!!!


 


ジュンク新宿限定『星占い』付きだぞ!!!!!



 


■ ふ くながしんさんがお怒りだぞ!!



■ はやく来い、来い、来い!!!



■ 会期:6月30日(水)〜7月31日(土)予定



■ 会場:ジュンク堂書店新宿店7F東側人文書フェア棚



皆様のご来店を心よりお待ちしております!!!!!


(6月28日)ホリエモンインタビュー(終了)

ホリエモンインタビュー無事終了しました。



ホリエモン、「最近どうしてるんだろう?」って心配していましたが、すっごく元気そうでいい顔してました。



ホリエモン、やっぱりオーラがありました。やっぱり頭いいです。あと、すごく話しやすい雰囲気を作ってくれる方でした。



■ こちらもちゃんと準備をしていったので良いインタビューになったと思います。



■ 「えっ!そうなんだ!」という特ダネも獲れました!!



■ 7月27日発売の『ユリイカ』をお楽しみに!!!!!

ユリイカ2010年8月号《特集:電子書籍を読む》


  
  自称ホリエモン研究家! ホリエモンの著作を読破!!



 
    ホリエモンにサインを頂く!!






  ひと言




■ インタビューの最後にホリエモンとちょっとだけ話したのですが、小説『拝金』はやっぱり中高生に読んでもらいたいんですよね。



ホリエモン、グラドルとやったらしいぜ!」



とか、そういうひやかしから入るのでもOK! こんな人生はイヤだでもOK! でも中には「こんなことできるんだ!」って思う子もいるでしょう。



■ 僕の友達でも起業した人が数人いるけど、まだまだ少数派なんですよ。大企業のトップや二世政治家が「もっと起業しよう!」と呼びかけても、そんなのウソだって僕でもすぐわかるからダメで、やっぱり経験者でなければ伝わらないんですよね。独特の勘というか、そういうのが。



■ ミライはアカルイ!



■ オレもがんばろー!



拝金

拝金





 ホリエモン研究


(6月28日)ホリエモンインタビュー当日朝


■ インタビューの時間は1時間のみ。


■ アドリブで面白い話を展開するのがプロだが、そこまでの力はまだないので、とりあえず台本を作った。


■ 台本を軸に、あとはできる範囲でアドリブを効かせてやってみよう。


■ 当たって砕けろ!


■ 行ってきます!


ホリエモンインタビュー台本



拝金

拝金

(6月27日)ホリエモンインタビュー前夜


■ 質問を加筆したら膨らみすぎた。


■ インタビューの時間は1時間のみ。


■ 今日はもう寝る。たっぷり睡眠。


■ 明朝、質問をもう一度絞り込む。

(6月26日)

 ホリエモン研究(2日目)


(6月25日)

■ とつぜんですが、はじめました。


 ホリエモン研究


(6月25日)早朝

  勝った!!!!!


(6月23日)芸術論4

■ 写真展レポートのつづき。昨日の発言のうち(1)(2)についてはなんとも言いようがないのですが、そういう問題は必然的に起こるよなーぐらいの感想しかないのですが、(3)については建設的な話ができます。(3)の池上先生の発言を復習しましょう。



建築で言われている「アルゴリズム」というのは物理や数学で言う「アルゴリズム」とは全く別物だと思う。ただ、それはそれでよい。なにも物理や数学の「アルゴリズム」が厳密に適用される必要はない。むしろ期待したいのは、建築で言う「アルゴリズム」が物理学者や数学者が思っても見ないような独自の進化を遂げて、我々が逆に刺激を受けることだ。

誰しも考えることかと思いますが、新しい物を作ろうと考えたとき、他のジャンルから知識を借りてくるということがしばしばあります。「アルゴリズム」もそうでしょうし、「アフォーダンス」なんていうのもそうでしょう。また一昔前ならば、海外と国内との間で温度差がかなりあったので、海外の情報をリソースにして作品を制作するということもしばしばありました。


これは別に悪いことではない。確かに「明らかなパクリ」というか「ネタバレしたらアウト」という作品も多々あります。さすがに、そのレベルの話はいいでしょう。ここではそういった低レベルの作品は論外とします。


さて、この池上先生の発言に相当する経験をいくつかしたので紹介しておきます。




 1.写真家・緒方範人の《建築写真》




緒方範人個展《アルゴリズム》

■■ 会期 2010年6月26日(土)〜7月25日(日)


■■ 会場 g3/gallery

まず紹介したいのが、今度g3ギャラリーで個展が開催される写真家の緒方範人さんです。面白いです。


以前、個展を観に行ったことがあります。緒方さんの写真は建築写真なのですが、建築をやっている人が見ても興味深いです。建築を断片的にとらえた写真で、これがやはり建築家の感性とは異なる写真家独特のものでした。


建築界のなかにいるとどうしてもまず作家で見てしまう。丹下健三か、隈研吾かというように。そして組織設計(日建設計や日本設計)等は作家ではないので差別化してしまいます。しかし、緒方さんの写真作品においては、隈研吾日建設計も社寺建築もすべてフラット、同列に扱われています。しかも、個々の写真が互いに見劣りしない美しさを鑑賞者に訴えかけてくるのです。なんとも新鮮でした。


緒方さんは建築関係の仕事をされているので、建築のこともよく知っているのですが、それが下手に作用していない。あくまでも写真家の眼で建築を捉えられているように思います。そして、その作風から例えば建築家の中村竜治さんと対話させたらどうだろう? あるいはほかの建築家と対談させたらどうだろう? と思っていたら、ちゃんとトークイベントが組まれていました。



五十嵐太郎/緒方範人/小山泰介/藤村龍至トークショー(7月11日)

楽しみです。






 2.写真家・平井正義の《建築写真》



  その1



  その2


あおりの補正というのは建築写真を撮る写真家は常用しているようですが、これはさすがに、、、、言葉を失ってしまいます。。。 建築家が観ても刺激を受けるでしょう。



またいわゆるふつうの写真と比べると新たな問題も発生します。



 



「正しい姿とは何ぞや?」



角塔を遠方から眺めたとき丸い塔に見えた。だからこの丸い塔の視覚風景は見誤りであるといわれる。だがこのとき、「誤り」といわれるのは、「近くで塔を見たときの視覚風景」との対比によってである。では近くで見る角塔の風景は誤りでなく正しいのだろうか。そんなことはあるまい。更に近くによって見るとそれは塔ではなく細長い建物の側面だった。あるいは、よく見れば結局やはり丸い塔だった、ということもあろうからである。更に近づいて見れば、一面の白壁と見えたのは実は無数の小さな黒点の散らばった漆喰であった、更に眼を近づけてみるとその一つ一つの黒点は暗い緑の複雑な模様を持った粒石であった、更に近づくと・・・。そして極端に眼を近づければこんどは一面にボーッとしたそれこそ「色の拡がり」の風景となろう。
 このズームレンズ的な視覚風景のシリーズの中で、これこそ間違いのない正しい視覚風景だというものはない。一つの正しい視覚風景なるものがあり、他の視覚風景はそれと照合して適合しているのが正しく、食い違うのが誤りである、というのではない。そうではなく、このシリーズの全体が寄り集まっていわば「正しいシリーズ」というものを合成するのである。そして、その正しいシリーズ(正しい射映シリーズ)にうまくはまらない視覚風景が誤りとされるのである。遠方から丸く見える塔の風景は、「単にそれ自身において見られ、他のものと関係させられないならば、本来偽ではありえない」(デカルト省察』3)のである。(大森荘蔵『新視覚新論』より)

新視覚新論

新視覚新論



このテーマ全然開拓できていないのですが、平井さんの写真を観ているとやっぱり大森荘蔵とかにドッキングさせたくなります。こういう思考を誘発する作品というのはやはり作品と呼ぶに値する何かがあるってことだと思います。



※長くなってしまったので、つづきはまた明日。


(6月22日)芸術論3

■ 写真展レポートのつづき。平井正義さんとの議論に関連していくつか思い当たることがあります。3つほど紹介します。






 1.複雑系研究者・池上高志先生の発言




池上先生は物理学の研究者ですが、近年、アート作品の制作にも取り組んでいます。それで、以前、濱野智史さんと武田俊さんとのトークで、科学者からみた芸術家に対する違和感というか、不満を述べていました。池上先生の言葉通りではありませんが、だいたい次のような発言でした。



科学の場合、物理でも数学でも過去の研究の蓄積があって今日がある。そして研究者が何かを発見すれば、明らかに発見だと分かる。今まで解けなかった問題が証明されれば、それは「新たな発見」だと誰にでも明らかである。


ところが、芸術の場合は、どうもその過去の蓄積がうまく活かされていないように思う。なにが発見だかよく分からないし、個々の作家が好き勝手にやっているようにしか思えない。それが残念だ。

Rugged TimeScape



動きが生命をつくる―生命と意識への構成論的アプローチ

動きが生命をつくる―生命と意識への構成論的アプローチ





僕も会場で聞いてて「ごもっとも」だと思いましたし、「ま、芸術はちょっと行き詰まっているな〜」とも思いました。しかし、それと同時に逆のことも思い浮かべました。






  2.生物学者福岡伸一先生の『生物と無生物のあいだ




福岡伸一先生の『生物と無生物のあいだ』は、《生物学の最前線》の現場の臨場感が伝わってくる名著で、ものすごく売れた、そして今でも売れています。ノーベル賞がすごいのは分かるけれども、実際何をやっているのか、部外者にはさっぱり分かりません。それがこの本を読んで「なるほど、そういうことだったのか」とものすごく身近に感じました。


ただ、それと同時に「ノーベル賞ってそういうことなのか?」と不満もありました。つまり、生物学界のなかでは次に何を発見すればノーベル賞を獲れるというのがだいたい分かっているんですね。そして、その発見をさまざまな研究グループがトライして先を競う訳です。だから、スポンサーの獲得に奔走して資金を得た研究者、また優秀な研究者を引き抜いたり、研究グループを組織する能力に長けてた研究者が受賞するという傾向が近年強まっているんですね。僕らが想像するノーベル賞、つまり「ノーベル賞=天才」とは裏腹に、なんかすごくビジネスライクで、正直失望しました。



生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)





(1)と(2)どちらが正解とか言う気はないので続けます。






 3.建築で言及されている「アルゴリズム」について




もう一つ、池上先生の発言で印象に残っているものがあります。近年、建築で「アルゴリズム」というテーマがよく議論されていますが、複雑系研究者の池上先生が他分野で語られている「アルゴリズム」をどのように思っているのか? 池上先生の言葉通りではありませんが、だいたい次のような発言でした。



建築で言われている「アルゴリズム」というのは物理や数学で言う「アルゴリズム」とは全く別物だと思う。ただ、それはそれでよい。なにも物理や数学の「アルゴリズム」が厳密に適用される必要はない。むしろ期待したいのは、建築で言う「アルゴリズム」が物理学者や数学者が思ってもみないような独自の進化を遂げて、我々が逆に刺激を受けることだ。



アルゴリズミック・アーキテクチュア

アルゴリズミック・アーキテクチュア


JA77 SPRING, 2010 建築と都市のアルゴリズム

JA77 SPRING, 2010 建築と都市のアルゴリズム


(6月20日芸術論2

■ 写真展レポート、昨日のつづき、と思ったのですが、画家の古谷利裕さんがブログに非常に示唆的なことを書いているのでリンク貼っておきます。きょうはこれだけで十分です。じっくりとお読みください。



フロイト精神分析の話ですが、これは古谷さんの絵画に対するスタンスそのものです。分析家を画家に、精神分析を絵画に、そしてフロイトセザンヌマティスに置き換えて読んでみてください。



 古谷利裕・偽日記2010年6月19日




分析家と精神分析とフロイト、あるいは画家と絵画とセザンヌ・マティス



※ タイトルはわたしが勝手につけました。


 
   古谷利裕「plants」2005



 
   古谷利裕「ギャラリーGAN.fでの展示風景」2002


(6月19日)芸術論

■ 写真展レポート、長くなりそうなので3日ぐらいに分けて書きます。



■ 6月12日のギャラリートークも収穫があったのですが、その後の二次会での写真家の平井正義さんとの議論が非常に刺激的でした。私がこの10年ぐらいずっと心に留めていた問題について、ついに議論するに至りました。もっと早くこういう機会があってもよかったと思うのですが、私自身も議論を避けていたこともあり、意外となかったですね。



この問題については、写真家に限らず、建築家も小説家も演劇家も、その他ジャンルを問わず、様々な作家あるいは批評家も思うところがあるでしょう。平井さんが個人ブログに改めて持論を提示されており、せっかくの機会なので、平井さんとの議論をここにも再現します。






議論の前に、まず《平井正義作品》と《山方伸作品》の違いを確認しておきましょう。


  平井正義作品




 平井正義「写真展」誌

  山方伸作品




  山方伸シリーズ(2009)

平井正義作品》と《山方伸作品》の作風の違い、スタンスの違いをとりあえず確認してください。厳密にどうこうではなく「ああ、違うな〜」程度の認識で構いません。







  平井正義さんと阪根正行の議論》



  平井正義さんの主張


 阪根正行の応答(1)と平井正義さんの返答(1)


  阪根正行の応答(2)



平井さんを仮想敵にしていたのは否定できません(汗)。確かに僕は建築時代のトラウマから、平井さん/山方&村越さんという対立軸で言うならば、山方&村越サイド寄りです。


ただちょっと、これについても反省というか揺り戻しがきていて、建築の話になりますが「妹島+西沢」はプリツカー賞を受賞して、それこそ世界的に認められ建築史に名を刻んだ訳です。また「妹島+西沢」には僕がいう《メタモルフォーゼ》がちゃんと見られます。それに伊東さんや妹島+西沢さんの事務所から出て来た若手の建築家の作品がすごくいいのです。 だから、「新しいスタイルを目指す=頭でっかち」というのは僕の偏見だと思います。(本当に頭でっかちの人もいますが、それは論外ということで。)


あと「芸術においてもスタイル以上に重要な問題がある」と僕は考えたいです。例えば、平井さんの「氷のシリーズ」。あれを単に「見たことがないから凄い!」とは言いたくないし、逆に「なんだ氷だったのか」で切り捨てたくもない。例え「あれが氷だと分かったとしても、それでもあの写真が人の眼を惹きつけるのは何なのだ?」とかそういう点を探りたいと思っています。

  平井正義さんの返答(2)



私は写真を100%鑑賞対象と考えています。それ以外の機能的・実用的用途は基本的には認めていません。なので、奇をてらっているだけの写真であっても、充分に奇がてらわれているなら、そのこと自体だけで価値があると思います。見せるためのものにおいて、見てびっくりさせられて、鬼面ひとを驚かすものは、それだけで充分役割を果たしているというべきでしょう。でも、それは表向きで、自分の写真においては、単に奇をてらっただけでは終わらない、それ以上のものを実現したいと思っていますが、それはあたりまえのことだし、実作で示すべきで、ことばでどうこういうことではないとも思っています。
  



平井さんとこのような議論を交わしました。刺激的な議論だと改めて思います。



さて、ゼロ年代と呼ばれるこの10年間、ジャンルを問わず何か大きな流れ、ムーブメントというものがなく、確かに静かであったように思います。そんななかで比較的よく議論されていたのが《ハイカルチャーサブカルチャー》の対立。サブカルチャーは比較的元気(開いている)で、ハイカルチャーは元気がない(閉じている)という論調だったと思います。(「ハイカルチャーサブカルチャー」の図式がおかしいとか、そういう問題はひとまず留保します。)だた、あまり議論がなかったのですが、それ以上に重要なのは「ハイカルチャー」の作家のなかで大きく分けて、異なる二つの方向性があったということ。それが今回の平井さんと私(阪根)が議論したテーマです。そして、さらに興味深いのが、冷静に観ると、双方から良い作品が出てきているということです。両者の可能性(あるいは不可能性)について、そろそろ突っ込んで照査してみても面白いのではないかと感じています。



とりあえず、今日はここまで。






■ 展示は22日までやってます。ぜひぜひ!!

《写真展》「ながめる まなざす」


◎DIVISION-2



村越としや 山方伸


□□ 会期:2010年6月4日(金)−6月22日(火)






□□ 会場:アップフィールドギャラリー@水道橋


(6月17日)哲学への権利

条件なき大学―附:西山雄二「ジャック・デリダと教育」

条件なき大学―附:西山雄二「ジャック・デリダと教育」



西山雄二先生がパリ国際哲学コレージュのプログラム・ディレクターに選出されました。




※西山先生よりメッセージが届いています!!


みなさまへ


昨年からの公募審査を経て、この度、パリの国際哲学コレージュのプログラム・ディレクター(2010-2016年度)に選出される運びとなりました。コレージュでは3年に一度半数のディレクター(25名)が改選されるのですが、昨年12月に次期公募があり、内部および外部審査を経て結果が公表されました。今回の外国人枠は5名程度ですから、重要で貴重な機会を与えていただいたことになります。


研究計画は、ここ数年取り組んでいる哲学者の批判的大学論を基軸としたもので、「哲学の(非)理性的建築物としての大学(L'université comme architechture (ir)rationelle de la philosophie)」です。研究計画の詳細に関しては、映画『哲学への権利』HP をご覧ください。


これまで開催してきた「哲学への権利」の海外での上映・討論会(韓国、ドイツ、イギリス、中国、アメリカ西海岸など)を、国際哲学コレージュの正規プログラムとして実施します。また、コレージュを日本の学術だけでなく、東アジア地域に幅広く連携させていく道筋を開いていくつもりです。


いずれにせよ、私ひとりだけでは、このような国際的な重責を6年間にわたって果たすことはできません。また、私だけの欲望と意志で、このわずかな外国人ディレクターの権限で実施できるさまざまな研究教育の可能性を占有するべきではありません。志を共有して頂ける研究者の方々や研究機関(大学、学部、学科、研究所)、もちろん、フランス語話者でもなく、研究者や大学関係者ではない一般の方も  すなわち、「哲学への権利」を求めるすべての人々に柔軟な連携、あるいは御支援を心より望む次第です。


どうぞよろしくお願いします。





 パリ国際哲学コレージュ


 映画『哲学への権利』HP


  朝日カルチャーセンター新宿教室



西山雄二『ジャック・デリダ入門 ー 脱構築とは何か』



 7月9日(金)、8月20日(金)、9月10日(金)

(6月16日)サッカーと本と私


そうは言っても、ゴールシーンはちゃんと見ていたんですよ。松井選手がディフェンダーをフェイントいれてかわしてクロスをあげて、本田選手が視界に入って、「それにしてもこのふたり、やけに落ち着いているなー、この状況ではあり得ないだろう、練習試合で負けが込んで、ぶっつけ本番だからなー、ふつうだったら、もっともっと焦るだろうに」って表情を伺ながら見ていたら、「おっ!はいった!!」。


後半もみようと思っていたのだけど自分の仕事に熱中していたら45分過ぎていて、知人から届いたメールで結果を知ったのだった。


その後、新聞とか読んでいるといろいろと情報が上がってきて「エトー選手は何してたんだ?」と思っていたら、どうやら長友選手がかなりいい仕事をして封じていたらしいとか、遠藤選手がいつも通り相当な距離を走っていたなんてことが分かった。


ただ北朝鮮の試合を見たら、こっちの方が日本より高いパフォーマンスをみせたんじゃないかと思ったけど、相手がブラジルとは運が悪かった。日本はまだ運が良かった。もらえるものはもらっておけということだろう。運ももらるならもらえばよい。オランダはともかく、デンマークもあまり調子良くないみたいなので予選突破できる可能性は十分にあるということだ。がんばって欲しい!!






さて私もちゃんと仕事をしています。


ピクウィックさんからバトンを受けて、《新刊JP》で本を紹介させて頂きました。


テーマは《仕事の極意はスポーツ選手から学べ、プロの極意が分かる3冊》。このテーマでこのタイミングで、サッカーの本が1冊も入っていない時点でゴールを大きく外してしまった感がありますが、オススメの3冊、ぜひぜひ!!

  新刊JP




仕事の極意はスポーツ選手から学べ、プロの極意が分かる3冊












 阪根タイガース日記2010年6月(その1)


 阪根タイガース


 阪根Jr.タイガース