2010年3月(その2)




(4月1日)エイプリルフール


■ 1本目の原稿を脱稿。担当者にメールで送りました。


■ 制限字数を少々オーバーしました。書き直しを催促されるかもしれません。


トークのレポートとか色々アップしたいことがありますが寝ます。


■ 以上、うそではありません。

(3月30日)


■ 店でバタバタしてました。


■ 今もバタバタしてます。


■ 適当に寝ます。

(3月29日)


[執筆]


■ 『リアル書店論』4.5枚まで。リアルな話。あと3枚ほど。あと2日でなんとかなるでしょう。




[販売]


■ 悪ノリが過ぎたようでございます。阿部和重先生を遠回しにキ○ガイと言おうとしましたら、ストレートにキ○ガイと言ってしまいました。猛省でございます。


週刊読書人の『阿部和重独占インタビュー(聞き手=池田雄一)』を読ませて頂きました。感動のあまり涙してしまいました。「セックス・ピストルズについて」の引用と合わせて皆様にも少しではございますがご紹介致します。




  セックス・ピストルズ


ピストルズで僕がいちばん印象に残っているのは、90年代後半にイギリスのBBCがつくったロックの歴史についてのシリーズ番組、その「パンク・ロック」の回に出てくる映像で、解散直前ぐらいの70年代終わりのコンサートの光景です。アメリカのディープ・サウス、深南部のプア・ホワイト地帯にツアーをするシーンですね。


凄まじい映像で、ピストルズについての伝説って色々あるけれどこれは出色でしょう。コンサート中に銃弾やナイフが飛んでくる。しかも罵声が、例えばロンドンとかニューヨークでやるのとは違う種類の罵詈雑言が飛んでくる。「お前らほんとうにぶっ殺してやる」、「お前ら屑だ」「ゴミだ」みたいなことを、銃を手にした男たちが何らのギミックもなしにいう。つまりパンクスの間の共通の了解というか、ここまではやってもいい、そういう内輪の黙契が何もない。ほんとうに殺してしまえ、というような雰囲気です。そういう罵声と飛び交う物をよけながら、一触即発の中でライブを演るんです。むさ苦しい中年男の客にインタヴューしてるんですけど、もう恐ろしい状態でコンサートというより襲撃に来た感じ。


要するに公民権運動の時代にたくさんの黒人たちを殺してきた、プアホワイトの有色人種差別やショービニズムが露骨に出ているんです。ニグロにかぶれたヒッピーは殺す  と。パンクとヒッピーの区別なんか彼らには関係ない。もうめちゃくちゃになっちゃうんですが、ジョニー・ロットンも「そうなるだろうな」と、これは半ば意識して南部に行ってるんです。


マルコム・マクラレンを通せばニューヨーク辺りに呼んでくれる人たちはいくらでもいる。ニューヨークとかサンフランシスコに行けば歓迎してくれるのはわかっている、でもそういう所は行かない。わざと回避して、いちばんやばい、いちばん歓迎されないところを選んでツアーするんです。それでピストルズは実質上、完全に崩壊してしまう。その映像が非常に印象に残っているんですね。実にピストルズらしいクラッシュの仕方で。まだ若いロットンが、マイクを抱え込んでビール瓶やイスが飛んでくるステージ中央にヤンキー座りして、荒れ狂うオーディエンスを見てる。それがなんとも虚ろな目なんだよね。それが僕にとってのピストルズのもっとも偉大な瞬間というか、至高の瞬間。もっともピストルズらしい瞬間だったと思うんです。


(平井玄「空虚(スカ)に踏みとどまる  パンクの停止した弁証法」より)


  阿部和重


阿部 実は『ピストルズ』を書き進める中では、作中人物と一緒に、作者である僕自身がひたすら修行の毎日を送っていたようなものでした。不自由な約束事、決まり事をあれこれ自分に課して『ピストルズ』を書いてきたという実感が強いので、反省文をお書きになられている方とは、一致している部分があるかもしれない。今回は、表現の行為が即快楽に結びつくというような執筆の作業ではありませんでした。結果的には、より大きな快楽に結びついたとは言えるわけですが、そこに至る過程はただ辛いことのくりかえしでした。今まで以上に、自分ではない自分に変わる必要があった。だから作者自身の感触としては、過去の作品とはまったく違ったものがあるんです。


池田 具体的には、どういう違いなんですか?


阿部 ひと言で言えば、あまりにもコンセプチュアルにやりすぎてしまった。もちろん今までも、常にあるコンセプトを立てながら書いてきたわけですが、今回は、行き着くところまで行ってしまった感じです。作品全体をひとつの明確なトーンで統一したいと僕は考えたわけですが、それに加えて作中でノルマとしてやらなければいけないこともいっぱいあった。そのノルマが少々多すぎました。だからうっかりワンピースでも欠けてしまうと、全部が成り立たなくなってしまうような設計図をもとに、書き進めなければならなかった。ドミノ崩し的な感じで一個一個を並べていったので、本当に気が抜けなくて、ひたすら辛い作業でしたね。特にきつかったことのひとつが、言葉遣いや語彙の選択。『ピストルズ』は、『シンセミア』からはじまる三部作の第二部に当たる作品なのですが、『シンセミア』というのは、罵詈雑言や下品な言葉遣いだらけの小説なわけです。おまけに辞書でしかお目にかかれないような、いかめしい漢語表現も多用した。第二部では、やはり変化をつけなければなりませんから、今度はそれと正反対のことを試みたわけです。タイトルは、めしべの意味を持つ『Pistils』、カタカナだと『ピストルズ』で、ふたつの意味が重なり合っているわけですが、いずれにしても、植物がメインのキーアイテムになっているので、作中に植物名がたくさん出てきたりする。主な語り手も女性が務めているわけですが、それは作品全体を柔らかで、浮世離れした、幻想的な雰囲気で包み込もうとしたためでした。


週刊読書人2010年4月2日号より)




千のムジカ―音楽と資本主義の奴隷たちへ

千のムジカ―音楽と資本主義の奴隷たちへ


ピストルズ

ピストルズ


(3月28日)


[執筆]


■ 田口本(ネコ本)読了。課題図書全て読了。なんとか書そう、、、?




[販売]


■ 今日はよく売れた。教育書がよく売れた。イチオシの『ピストルズ』も今日ばかりは『教育技術(小一)』には敵わなかった。



DVD付きとは粋なことをしやがるぜ!



■ それじゃ、こちらも容赦しないぜ↓↓↓







    石田衣良『sex』(講談社




             


    阿部和重ピストルズ』(講談社




              





セックス・ピストルズ》絶叫絶倫発売中!!!!!


sex

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ピストルズ

ピストルズ



 講談社もたまにはやってくれるじゃねーか(笑)


(3月27日)

■ 小説家の福永信さんご来店。新刊の本づくりは順調に進んでいるようです。期待しましょう!! 創作について色々と話を伺う。小説の「始まりと終わりと時間」について。埴谷雄高『死霊』や大江健三郎ドラえもんなどなど。



■ 田口本ゲット。ネコ本。





 福永信さんの新刊は6月下旬発売予定です!!



書店員のネコ日和

書店員のネコ日和


(3月26日)高橋大輔優勝!トラまず1勝!!

■ 原稿エスキスするもまとまり切らず。明日、明後日とエスキスを続けて29日に書き上げよう。






■ 店に届いたPOPがあまりにも美しかったのでスキャンしてみました。今日一番の仕事でございます。みなさまもぜひ!!



  





   《関連情報》


ある読書家のブロガーによる評論





■ う〜ん、ネガティブだな〜、もう少し建設的な読み解き方があるように思うけど、そう言われても仕方がないか、、、。



■ともかく、みなさん読んでみてください!!!!!


ピストルズ

ピストルズ


(3月25日)

■ 永江本、港本読了。



■ 港さんの考えていることは興味深いが、今回の僕の原稿では触れない。



   《港本から僕が感じとったこと》

紙の本が電子化されると人間の「記憶」の性質が大きく変わる。文字・テキストは「情報」であっても「書物」である限り物質性を保持している。しかし電子書籍になると純粋に「情報(状況)」になってしまう。



書物=「記憶と物質」→電子書籍=「記憶=状況」

記憶の性質が変わるということは、歴史が書き換えられるようなものだから、つまり歴史が変わってしまうってことか、、、


僕がこのテーマを論じるにはもうちょっと力がいるなー。



書物の変―グーグルベルグの時代

書物の変―グーグルベルグの時代






■ 永江本にはいちいち頷いてしまう。「そうだよなー。出版業界の克服すべき問題って、電子書籍どうこうじゃないよなー。それ以前の問題だよなー」って。特に気になったのは次の2箇所。



   《引用1》


子どもの読書離れが深刻だ、といったような紋切り型は、すくなくとも出版界やその周辺ではあまり聞かなくなった。アサドク(朝読)は確実に広がっている。むしろ大人の読書離れのほうが問題だと考える人が、最近は増えている。しかもそれは大人自身にとって問題であるだけでなく、子どもの読書環境としても問題である。親が本を読まない家庭でいくら子どもに「本を読みなさい」といっても説得力はない。親がテレビを見ているとなりで子どもに読書を強いるのは無理だ。


※ 僕も一応進学校に通っていたので、学者の子どもとか同級生にいたんですよ。ちょっと偏った見方かもしれないけど、彼らはちゃんと旧帝大に進学していきましたよ。これって遺伝もあるだろうけど、親がふつうに本を読んだり執筆している姿を見ているから自然と勉強する習慣が身についていたんだと思うんですよ。


他方、僕はオヤジが本を読んでいる姿を見たことがない。といってもオヤジはちゃんと会社を経営していましたし、どちらかと言えば営業マンタイプだったんですかね。学者にはない才能を持っていたということなんですが、僕がテストで赤点をとってきた時はよくケンカしましたね。オヤジは内部進学で大学受験を経験してないんです。だから「全部暗記したらええやないか!」って怒って、僕は「定期テストだけならそれでいいけど、それじゃ大学受験に対応できない!」って偉そうに反論してました。結局勉強しないからやっぱりダメだったんですがね。。。



   《引用2》


永江 クルックのすぐ近くにJ STYLE BOOKSがありますよね。オーナーの大久保亮さんは、大手電機メーカーを辞めてあの店を開きました。書店員の経験はゼロですし、出版産業の業界事情にそれほど通じているわけではない。同じころに開業して、クルック・ライブラリーは閉店し、あちらは継続している。立地は似たようなものでしょう。いちばんの違いは、大久保さんはいつも店にいて、お客さんと対話し、お客さんの動きを見ながら、品ぞろえを考えている。ところがクルック・ライブラリーは、オーナーは小林武史さんで、ディレクターは幅さんで、現場は別の人という三重構造になっていることが、なんとなく店の空気に出ていたんじゃないでしょうか。


 それは実感しますね。やっぱり現場ですよね。どれだけ現場で本に触れているかということの重要性は、この仕事をするようになってからずっと抱えている悩みです。J STYLEと決定的に違うのは棚への手間のかけかたみたいなところですね。1冊の本に込められた濃厚な思いというか。クルック・ライブラリーでは週に1回、定例メンテナンスをやっていました。1週間の本の売れ行きを見てメンテナンスをするわけです。でもメンテナンスした次の日ぐらいはいいんですが、やっぱりもたないんですよ。発注しても僕は入荷に立ち会わないわけだし。そのへんは悩ましい。ただ自分がやっているスタイル上、ひとつの本屋さんだけにとらわれず、いろんなところを縦横無尽に動きながら本の場所を増やしていきたいとも思っていて。でも自分のコピーロボットを作るわけにもいかないし。そこで働く人へのエデュケーションを、パッケージ化とまではいわないけれども、「こういうときはこうする」みたいなことは考えないといけないのかもしれない。

※ これは僕も痛感しています。うちの店の場合はちょっと事情が違って、とにかく作業が回らない。本を補充するのでいっぱいいっぱいなんです。僕のいる人文書コーナーの場合、以前よりはスタッフの数が増えたのでマシになったのですが欠本がけっこうあります。ある程度はカバーできますが、細かいところまではなかなか手が行き届きません。


あと、これは余談ですが、ピシッと綺麗に並べ過ぎる(セレクトし過ぎる)と逆によくない気もするんです。ドン・キホーテじゃないけど、何か手が入っている感じが残っている棚の方がお客さんがつくような気がしています。



本の現場―本はどう生まれ、だれに読まれているか

本の現場―本はどう生まれ、だれに読まれているか


(3月24日)貧乏暇なし

■ 《界遊》スタッフと3月31日トークの打合わせ。面白いこと考えてるなー。


■ ぜひお越しください。詳細はこちら






■ 「リアル書店論」原稿の作業を進める。


■ 締切り:3月31日。それまでの休みは26日と29日だけだから実質29日が締切り。


■ 枚数:7〜8枚


■ 田口久美子『書店員のネコ日和』(ポプラ社)を頭に持ってくる予定だけど、発売が3月28日なので、順番が逆になるけど先に書く内容を大方決めてしまう。


■ 田口本を読むまえにあと2冊は目を通す予定。



本の現場―本はどう生まれ、だれに読まれているか

本の現場―本はどう生まれ、だれに読まれているか

書物の変―グーグルベルグの時代

書物の変―グーグルベルグの時代


(3月23日)告知が大変遅れてすみません。写真展やってます!!(担当者:Oさん)

オヤバカちゃん。ムーブメント写真展




会場:ジュンク堂書店新宿店(8F 喫茶コーナー)


会期:2010年2月13日(土)〜2010年4月30日(金)


トークショーなどのイベント開催時は、通常のカフェ利用はできませんのでご了承ください。





オヤバカちゃん。

オヤバカちゃん。

(3月22日)


トーク《3月31日(水)18:30スタート》ぜひお越しください!!


池上高志×濱野智史×武田俊(司会)





《Kai−you vol.2》自動生成時代の表現




■ 会場:ジュンク堂書店新宿店(8F喫茶コーナー)


■ 申込受付: ジュンク堂書店新宿店7階レジカンターにて

        電話予約承ります。 TEL 03-5363-1300






■フリーペーパー配布中!!!



   界遊》003 1/2



 


■ 配布場所:ジュンク堂書店新宿店(7F23番棚《ミニコミ2.0》フェアコーナー)


(3月21日)ロングバージョンを作成しました!!

■ 『スイングバイ』の観劇ガイドとして活用してください。


 ままごと『スイングバイ』観劇レポート




■ タイトル:もっと遠くへ



 


(3月20日バ・リーグ開幕!!

  ■ 『かたりの椅子』観劇レポートの《完全版》を作成しました。


 永井愛 作・演出『かたりの椅子』観劇レポート


  ■ 重要な作品なので、皆様もぜひ劇場へ!!


(3月19日)私は永井愛さんを支持します。


■ 二兎社公演『かたりの椅子』作・演出:永井愛




素晴らしい。


永井愛さんには本当に頭が下がます。


私もなんらかの形で援護射撃をします。



端的に言うと、『かたりの椅子』は「新国立劇場の芸術監督選任問題」をモチーフにした作品である。創作でこれ程まで露骨に現実問題を扱うとまず間違いなく失敗する。たいてい感情の高ぶりを抑えられず極論に走ってしまったり、観衆の情に訴えかけるいやらしい作品になってしまう。


しかし『かたりの椅子』は奇跡的に芸術作品として成立している。現実問題と正面から向き合い、また物語、筋書きを明快に示し、それでいてカフカドストエフスキーといった文学作品にも通用する《文学的なるもの》がしっかり宿っている。


『かたりの椅子』の基本的な構図は、《官僚的なるもの》と《芸術的なるもの》とが対立して、《芸術的なるもの》が《官僚的なるもの》に締め出されるというものだが、《悪》と《善》というように簡単に区別できるものではない。《官僚的なるもの》を敵対視してただ倒せばよいという問題ではないし、すっきり割り切れない、誰もが他人事とは言えない根深い問題を内包している。だから各自が問題を持ち帰ってずっと考え続けなければならない。


例えば私が観ていてもっとも強く感じたのは、《芸術的なるもの》の象徴的な存在である入川クニヒトという人物に対するもどかしさだった。物事にまっすぐに取り組む様子は感じられたのだけど、彼からは説得力が全く感じられなかったのだ。確かに《芸術》というものは説明できないのだと言ってしまえばそれまでだし、またこれは舞台上での話であり、芸術家の《作品》に相当するものが提示されていなかったから説得力がないのだとも言える。しかし、それを差し引いても《芸術的なるもの》を担う側の発言と行動の頼りなさを痛感した。なんとかせねばならない。


ともかく、『かたりの椅子』を観劇して、永井愛氏の演劇人としての意地を強く感じた。この作品をカフカドストエフスキーと同様に共通言語として多くの人と語り合いたい。


公演はこれからも続くので皆様ぜひ劇場に足を運んでください。

  二兎社公演  作・演出:永井愛




 かたりの椅子


■■ 日程


3月 20日(土)       神奈川◎杜のホールはしもと
  21日(日)・22日(祝) 長野◎まつもと市民芸術館
  24日(水)       東京◎亀戸・カメリアホール
  27日(土)       大阪◎梅田芸術劇場シアター・ドラマシティ
  28日(日)       滋賀◎びわ湖ホール
4月2日(金)ー18日(日) 東京◎世田谷パブリックシアター


(3月18日)新学期の講座

■ 僕が新聞を読んでいたとき、一番好きだったのは日経の松岡弘さんの記事だったのですが、数年前から名前を見かけなくなってしまって、どうしたんだろう?って思っていたのです。が、見つけました!



 《朝日カルチャーセンター新宿教室》


  松岡弘



 入門小説創作ゼミナール(要電話)

  松岡弘



 小説創作ゼミナール(満員)

今は文芸編集者として活躍されているみたいです。告知が遅かったか。すでに満員だったり、、、



■ ぼくは引き続き、西山雄二先生の講座を受講します。

  西山雄二



 デリダ『エクリチュールと差異』を読む


   レヴィ=ストロース論 〜



  日時:4月9日、5月14日、6月11日(金 19:00〜20:30)

■ 他にも受けたいけど、スケジュール的に厳しい。残念だ。

 朝日カルチャーセンター新宿教室


(3月17日)


■ 原稿仕事のために《小林弘人『新世紀メディア論』バジリコ》を読む。



 



拙著《ハブ型書店の可能性》にはまだまだ問題が多々ある。僕のやっていることを冷静に査定する上で、『新世紀メディア論』は良い指標となった。




新世紀メディア論-新聞・雑誌が死ぬ前に

新世紀メディア論-新聞・雑誌が死ぬ前に

(3月16日)観劇デー


ままごと『スイングバイ』(作・演出:柴幸男)@こまばアゴラ劇場を観劇


■ 前作の『わが星』はすっごく気持ちいい作品だった。「なんでこんなことができるの?」「どうやって稽古してるの?」という驚きから始まり、ラップのリズムに乗って韻を踏みながら語られる台詞の心地よさ、音楽、イリュージョンでもスペクタクルでもない、今まで観たことのない世界に包まれた幸せ。観劇してから時間が経った今でも、劇中で流れていた口ロロの音楽を聴きながら、あの幸せな感じを何度も反芻している。


そして今日『スイングバイ』を観た。会社のお話。「わが星」→「わが社」。なんだかスケールダウンしたように思うかもしれないけど、全然そんなことない。わが社だけど地球規模のはなし。イヤ、ほんとに。


さてさて感想。


じつは序盤はかなり戸惑った。正直どう見ていいのかがさっぱり分からなかった。『わが星』の幸せ感そのままで劇場に来てしまい、あの幸せ感を始めから求めてしまうフライング状態だったので、序盤は『スインングバイ』の流れになかなか乗れなかった。よくよく考えれば『わが星』を観劇していたときも序盤は「なんだこれ?」という半信半疑の状態だったのだ。おそらくこれから観劇する人も同じような状態になると思う。「なんだこれ?」「部活か?」「人類史か?」と迷い、どうやって乗っていくかを自ら探り当てないといけない。


ネタバレは基本的にやりたくないけれど、『スイングバイ』は様々なイメージが錯綜していて、全体像を把握できないような、《森》のような作品なので、いくつかのルートを紹介してもいいでしょう。これから観る人は《森》で迷わないための参考にしてください。


【ルート1】演劇界の文脈


平田オリザの作品(青年団


    ↓


岡田利規の作品(チェルフィッチュ


    ↓


柴幸男の作品(ままごと)

観劇中、葛藤がある。「この作品面白いのか?」「受け入れられる/受け入れられない」「乗れる/乗れない」「○/×」。どっちに転ぶか分からない。


僕は『わが星』は◎だったけど、乗れなかった人もいる。×の人もいる。『スイングバイ』も僕は○に行ったけど、×へ行く人もいるだろう。「チェルフィッチュ」なんかはもっとそれがはっきり分かれるみたい。○の人と×の人。勝負といったら変だけど、どっちに転ぶかは観劇しているなかで決まっていく。これは観る方もそうだけど、舞台にたっている俳優も戦っているようだ。


まだ公演が始まって2日目。まだまだよくなっていくんじゃないかって思う。



だってスイングバイだもん。



3月28日までのロングラン。みなさまもぜひ!!!


※ 出社の時間になったのでとりあえずここまで。




 阪根タイガース日記2010年3月(その1)


 阪根タイガース


 阪根Jr.タイガース