2019年6月日記Z

6月29日(土)

山の工場



満員電車にゆられて会社に行って、夜遅くまで働いてクタクタになって酔っ払いを横目に家路につく。



会社へ その1


会社へ その2


会社から その1


会社から その2


あれ? 満員電車よ!いずこへ???




同僚と飲みに行った帰りにホタルを見ました。




ゴールデンウィーク明けから6月上旬がホタルのシーズンらしく、今週はちらほらとしかいませんでした。が、そもそも


ホタルを観れるとは思っていなかったよ!


山の工場には来週まで滞在。





6月23日(日)

18.3%でした。



まだ住むところは決めてないけど、ジムは会社の近くのところに決めました。



恒例の体力測定!


ある程度覚悟はしていたものの現実は厳しい。


18.3%か....


やっぱりコンスタントに運動をして、体をつくっていかないといけませんねー。


でも、レッスンをやってる先生に「筋肉量60kgは、けっこう多いほうですよ」って褒めてもらいました。


はい、褒められると伸びるタイプです!


がんばりまーす!!!





6月16日(日)

甲府に行きました。



大学の同期と東京お別れ会。


初めは高尾山のビアガーデンに行こうかーって話していて、僕が夜にまた新幹線で移動するから早めに出発しようぜと言ったら、じゃ、もう新宿からの電車のなかで飲んじゃおうってなって、京王線でそれはさすがにマズいでしょってなって...


なら、特急列車に乗って日帰りできるところに行こうぜってことで、


いざ甲府


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昨日とは打って変わって今年一番の天気。甲府駅から歩けるキョリに観光スポットがけっこうあって、いや〜、ひっさしぶりにベタな観光したわー。天気もよくて、人ごみもなくて、


すっごく気持ちよかったー


散策して


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ワインを飲んで



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地鶏とほうとうと信玄ソフトを食べて



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大満足!



気持ちよく東京(関東)にバイバイできました。



みんな、ありがとねー!!




6月9日(日)

ありがとうございました。



4年間通ったジムも今日がラスト。


お世話になったインストラクターの先生たちにごあいさつ。


きょうは4本のレッスンに参加して、もうへとへと....


すべてを出し切った!


ここに引越してくる前もジムには行っていたのだけど、プールとランニングマシンしか使っていなかった。


ここはスタジオがジムから見えるので、なんだか楽しそうだなーって思って参加してみたら、そのとおりで、楽しかったので今日まで続けることができた。


特によかったのが、筋トレ系のレッスン。


ジムでマシンを使って筋トレをやる場合は、自分でメニューを作ったり、レベルを調整しないといけないのだけど面倒で、ハードルが高くて続かなかった。


それがレッスンの場合は、先生たちがメニューを考えてくれるので、自分で考えなくても全身を満遍なく鍛えられ、筋トレを習慣化できた。


あとマーシャル系のエクササイズも汗をたくさんかけたのでよかった。ランニングやプールといった有酸素運動は自分で運動量をコントロールするのが難しい。すぐにしんどくなるので妥協して軽く流したり、逆にオーバーワークになってしまったり。


それがレッスンの場合は、毎週変わらず一定量の運動を行い、汗をかけたので体重のコントロールがやりやすかった。


2年前、平日も仕事帰りにジムに通っていたころは、体脂肪率を12%までしぼれた。去年は、仕事が忙しすぎて、日曜日しかジムに行けなかったのでリバウンドしたけれど、どれくらいの運動をすれば、自分のベストの体を維持できるのかは分かった。


新天地でもジムは続けよう。


さてさて、今日はここでの最後のレッスンだったのだけど、最後に流れた曲。


アレサ・フランクリン「A Natural Woman」


いい曲なので聴き入ってしまった。


長い間、ありがとうございました!



Aretha Franklin (You Make Me Feel Like) A Natural Woman - Kennedy Center Honors 2015





6月8日(土)

Go West !!



よく通ったトンカツ屋とカフェの店主にごあいさつ。


東京のアパートは、業者を呼ばないと回収してもらえない家電と家具以外は何もなくなった。


かと言って、そう広くなったと感じるわけでもなく、また物がなくて困るような感じもない。


東京での生活は、会社と家の行き来で毎日がほぼほぼ完結していたことを、いま、改めて想う。


西へ


今週は、次の仕事の基礎知識を整備したり、新天地で中国語の勉強を再開する道を探ったり。


ちなみに新幹線でよく聴く曲 ナンバーツーは、ペット・ショップ・ボーイズ『Go West』なのだけど、彼らのうちのキーボードをやってるほうが、もともと建築をやっていたということで、「オレと同じだ!」と自分を重ねて聴いたりするのだけど、それはどうでもよくて、新幹線で聴きながら、いまさらながら、ふと気がついた。


『Go West』って『Canon』 をサンプリングして、ディスコ風にアレンジしたのかなー。



Pet Shop Boys - Go West



Pet Shop Boys Karaoke - Go west



Pachelbel Canon en Re Mayor-RTVE (Adrian leaper) Orquesta sinfonica Navidad 2008





6月1日(土)

アウエー




きのう最終の新幹線で東京に戻ってきて、品川から山手線に乗った時のアウエー感たるや...


金曜日の夜ということもあるけれど、人の混みようとその立ち居振る舞いにさっそく違和感。じぶんじしんが他の土地で生活しはじめて、もう東京では営みをしていないので、今まで一体化していた東京の街がじぶんから遊離してよそ者の土地に見える。


地方の土地に馴染むのに戸惑いつつも、もう東京とも馴染まなくなっている自分の変化に気づいたのだった。


ちなみに新幹線でよく聴くのはスーパーつながりで、駆け抜ける感つながりで


スーパーカー



SUPERCAR 『White Surf style 5. from DVD「LAST LIVE 完全版」』






 

 

 

 

 2019年5月日記Z

 

 

 

 阪根Jr.タイガース

 

 

 

 阪根タイガース

 

2019年5月日記Z

5月26日(日)

特大のホームラン




きのうは久しぶりの野球観戦。


まけほー


きょうは中谷選手の特大のホームランを観てこころがスカッとした。



「あれは、ええ時の中谷選手の打球の上がり方やなー」


きのうは犠牲フライも打てなかったのに、人間というのは、たった1日でこれほど成長するものなのか。大したものだ。


がんばれ!






いろいろ準備。


次は東京を離れて地方での仕事になりそうだ。


東京での生活に未練はあるけれど、東京の環境に甘えてここまでズルズルときてしまった。仕事もプライベートもチャンスを活かしきれなかったように思う。


心機一転


新しい環境で


がんばろう!





5月19日(日)

韓国語



今週は下北沢に演劇をちょいちょい観にいって、デイビッド・リンチや林芙美子についてあれこれ想ったり、そして、ジム通いと韓国語の勉強。


そうそう、今週は中国語を一休みして、韓国語の勉強をしてみた。


とは言っても、そこまで深く勉強する余裕はないので「せめてハングルが読めるようになりたい!」ということで初歩の初歩だけ勉強してみた。


ただ、これだけでもけっこう面白い。


韓国語:母音21個(基本母音10個+複合母音11個)子音19個

中国語:母音36個(基本母音7個+複合母音13個+鼻母音16個)子音21個

日本語:母音5個 子音16個


韓国語も中国語と同様に、日本語よりも音が多いという印象だけど、中国語とはまた違った音の広がりを見せている。感覚的には韓国語は日本語に近いなーって思うけど、ところどころ中国語の発音に近いものもある。



これの右から2つ目の「ウ」は、口を「イ」のかたちにして「ウ」の音を出すとテキストに書いてある。これは日本語にはなくて中国語の音に近い。中国語で数字の4を「スー」って言うけれど、あれがそうで拼音で「si」と表記されるように、口を「イ」のかたちにして「ウ」の音を出す。


あと逆に中国語にない音もあって、それが口をすぼめる「ん(m)」で、中国語には「ん」がふたつあって、それは日本語でいう「案内(an nai)」のときの「ん」と「案外(an gai)」のときの「ん」。要するに口を閉じる「ん」口を閉じない「ん」がある。韓国語の場合はさらに「難波(nam ba)」の「ん」、つまり口をすぼめる「ん」がある。韓国語の場合は、この3つを意識的に使い分けている。


こういった違いを紐解きながら勉強すると、日本語とルーツの全く異なる英語の勉強と違って、中国語や韓国語は日本語との共通点があって面白いし、逆にまったく違っている点もあったりして、そういった発見がなかなか面白いです。はい。


あ、あと、韓国語は音声に特化した言語だからだろうか、英語と同じようにリエゾンがあったりする。





ハングルに慣れるために街中でハングル探しをしていたら電車の表示にはかなりの確率で出てくるなー



これはネットで探したからバスの表示だけど、地下鉄の銀座線でも出てきたよ。表参道をハングルで書いたらなんだかすげぇーなげーなー


あとこんなのも



京急かな?

普通の行き先は新逗子で、快特三崎口かな...




そういえば、僕よりも一足先に韓国語を勉強しはじめた知人は、自分でハングル練習アプリとか作ってる...




僕なんかいまだに文房具屋で単語カードを買ってきて愛用しているのに、もうこういう時代なのか..... 最近の灘中や開成の生徒なんかも、こんな感じなのかなー 汗。。。





5月11日(土)

李姉妹の中国語



先週に引き続き、ジム通いと中国語の勉強。


YouTubeで、李姉妹という子たちが中国語を勉強するコンテンツをたくさん配信しているのだけど、この子たちがすっごく優秀!!



【中国語初級】マスター必須!四声の区別


おそらく試験的に配信し始めて、視聴回数が増えてきたので、今ではYouTubeのロケ班や映像編集チームがついているんじゃないかと思うのだけど、その展開の仕方がすごく頭いい。


初めは中国語あるあるネタや中国語学習の小ネタが多かったのだけど、視聴回数が増えてきて、ニーズがあると判断したら、自分たちで中国の子供用の教材等を取り寄せて、中国語の学習方法や教え方を研究して、これまでの単発ではなく、シリーズものの中国語学習コンテンツを新たに立ち上げてスタートした。


当初からビジネスライクだったのかもしれないけれど、あまりビジネスビジネスした感じが前面には出ていないし、観る方も楽しみながら中国語を勉強できるので重宝している。


すごくいい感じ!


李姉妹をみていて、「中国の優秀な人というのはこういう感じだよな」ってつくづく思う。展開のスピードが速く、絶えず改善して、物事を極めようという姿勢が常に感じられる。彼女たちでいえば、中国語学習のYouTubeコンテンツとしてシェアNo.1を獲ろうというやる気とその行動力が見て取れる。




中国・韓国・日本を比較した時、中国人と韓国人は「何かを極めよう」という志向性が強いのに対して、日本人はなんかぬるい感じがする。学問やスポーツ、そしてビジネスにおいても。


この違いは何なんだろう?


って、以前から思っている。


中国と韓国は儒教の影響下にあり、対して日本は仏教の影響が強い


その違いかなーって思ったりする。


しかし、儒教の教えの代表的なものに「中庸」というのがあって、これは極めるというよりもバランスを重要視するという感じだから、なんかちょっとイメージとは異なる。


また、同じ儒教の影響下であっても中国と韓国は違っていて、韓国人の場合は、外的要因によって自らを動かそうとする、極めようとするのに対して、中国人の場合は、内的要因、内から湧く力によって動こうとする傾向がある。




学生時代に韓国に留学していた演出家の平田オリザさんが言っていたけれど、


「韓国は儒教の影響で、一家の長、あるいは組織の長の権力がものすごく強い。わかりやすく言えば、お父さんや社長は威張っており、みんなはそれに従順に従う」


のだと。しかし、これには裏の意味があって、


「たしかに、長は絶対的な権力を持っているのだけど、そのかわり失敗したら総スカンを食らって、落ちるところまで落ちてしまう」


のだと。


事実、韓国のスポーツ選手は勝てば英雄、負ければ戦犯扱いという感じだし、大統領のスキャンダル後の潰し方とかえげつないよね。だからこそ、韓国人は物事を極めようとする。失敗するのが物凄く怖いから、物事を極めようとするのではないか。


一方、中国人の場合は、やはり科挙体制の影響じゃないかと思う。科挙の試験というのは今では考えられないほどの難しさで、勉強する範囲も広範に及ぶし、70歳を超えてやっと受かったなんて人もいるくらいで、受かるか受からないかで一家の扱いがまったく変わってしまうので、これはもう想像を絶するような受験地獄だよね。


だからこそ、中国人には、物事を極めようとする気質、神童や天才を崇める風習がいまでも残っているのではないか。


そんなことを考えつつ、けっこう楽しく中国語を勉強している。




あ、そうそう


李姉妹のYouTubeで一番ヒットしたのが、「歌で学ぶ中国語!おすすめ紹介!」という動画。



歌で学ぶ中国語!おすすめ紹介!


中国語は、基本的に入門書レベルのテキストで勉強しているのだけど、こればかりやっていると飽きちゃうんだよね。例文とかつまらないから。かと言って、人民日報とかのアプリをダウンロードして読もうとしても、まだちんぷんかんぷんで全然読めないしピンとこない。


そこで歌はどうかと思ったのだけど、これがすごくいい!


李姉妹が言う通りで、


「歌を聴きながらリスニングの練習になるし、あとは歌詞を覚えることで、表現や単語を覚えられて、すごく勉強になる」


彼女らに教えられるがままに曲をセレクトして、YouTubeで動画を探したら、簡体字の歌詞と拼音(ピンイン、声調)までちゃんと出てくるものがあった!



すごくいい感じ!!




田馥甄 Hebe Tien [小幸运] Lyrics Chinese | Pinyin | English (Simplified mandarin version)






5月4日(土)

卓球選手の国際感覚



連休中毎日ジムに行って健康状態が上がってきたけど、ちょっと疲れが出たので今日はジムをお休み。それから中国語も毎日勉強するようにしていて、こちらもそこそこ成果がでてきた。


なんとか「我 是 日本人( wo shi ri ben ren )」も聴き取ってもらえるようになってきたし、


「zh(i) ch(i) sh(i) 」と「j(i) q(i) x(i)」

「r(i)」と「l(i)」

「an」と「ang」


の発音の区別も聴き取ってもらえるようになってきた。


よし!




あっ、そう言えば、このまえ、宇多田ヒカルが「令和」について、こんなツイートをしていた。




ホントその通りで、日本語って「R」「L」の発音の区別がないし、舌の動きをほとんど使わないから、英語や中国語の発音に慣れるのが大変。舌を反り上げたり、前後したり、あごを引いたり、アクセントやトーンを気にしたりなんて普段やってないから、とにかく疲れるわ...


そういう意味で、中国語は英語に近いと思う。ただ、英語は文字に意味がなく、音声に特化した状態でシステム化しているから、文法のルールが細かい。対して中国語は、文字が意味を持っていることを前提にシステム化しているから、文法のルールが英語ほど細々してない。


英語は、受験勉強の影響で嫌いになったというのが大きいけれど、そもそも、一般大衆に使われる言語として、ルールが細かすぎるわ。中国語ぐらいアバウトでええんちゃう。中国語の難しい文章をまだ読んでないから、はっきりとは言えへんけど...


ま、想像するに、英語は「相手に物事が伝わらない」ということを前提としてシステム化していった言語であるのに対して、中国語は「相手に物事がちゃんと伝わる」ということが前提としてあり、その上でシステム化された言語であるといったところかな。


あと余談だけど、中国語の文章って、文字がシステマティックにグリッドに敷きつめられていて、なんだかラピュタっぽい。








それはさておき、中国語を勉強するための素材をYouTubeで探していたら、福原愛ちゃんのインタビューがすっごくたくさん出てきてビックリ!


中国語圏での福原愛の人気は絶大だね!




《魯豫有約》福原愛.賽場有悔人生無憾(三) 20190516




愛ちゃんは、中国語がペラペラで愛嬌があるから、インタビューもしやすそう。それに彼女の生い立ちが、中国の人にすごく共感されているみたい。


中国って天才少女・少年を求める文化があって、上海に行った時にテレビをつけたら、少年・少女がすっごい暗算能力を競っている番組をやってた。それに、能力が長けている人を讃えるということでいえば、素人が歌唱力を競う番組がめっちゃ多かった。


これって、科挙の伝統が生み出した文化なのかなー


あ、あと愛ちゃんの人気の理由のひとつに、名前がいいっていうのもあるんじゃないかなー


福原 爱 ( Fu yuan Ai )


って中国語読みでも読みやすいし、「幸福 (xingfu)」とか「原来 (yuanlai)」とか「爱 (ai)」とか、恋愛ドラマやラブソングによく出てくる単語を名前からイメージできるので、そういう意味でも共感されやすいのだと思う。


そうそう、卓球でいえば、愛ちゃんだけじゃなくて、


石川佳純選手も中国語がすっごくうまい!



【字幕あり】丁寧選手と石川佳純選手の合同中国語インタビュー


これだけ聴き取れるってすごいよ!


卓球選手の国際感覚は、とても興味深い!!







 

 

 

 

 2019年4月日記Z

 

 

 

 阪根Jr.タイガース

 

 

 

 阪根タイガース

 

2019年4月日記Z

4月28日(日)

ジムと中国語



《タイガース》対中日@ナゴヤドーム
4対2で勝利。接戦のまま終盤にもつれ込んで僅差での勝利。地味な戦い方だが後ろの投手が強いタイガースだからこそできる勝ち方。自分たちの強み(相手チームが嫌がっていること)を理解し、ゲームの流れを読みながら、個々人がやるべきことをイメージできるようになってきたのではないか。このような勝ちを1つでも多く拾ってもらいたい。僕もタイガースを見習おう。




ゴールデンウィークは遠出できないので、ジムのトレーニングで身体を整え、そして引き続き中国語の勉強。いずれ韓国語も勉強したいけど、まずは中国語。


NHKのテレビに出ている女の子は日に日に発音がよくなっている(たぶん番組の収録以外でけっこう練習している)のに、僕は「私は日本人です」という簡単なフレーズでさえ、まだ聞き取ってもらえない。家早南友。




2018.05.15 テレビで中国語



がんばろう!






4月21日(日)

ゲシュタルト崩壊



今日、マラソン好きの同僚はウルトラマラソンで100km走り、阪神ファンの同僚はストレス解消のため早々と飲みに行った。


そして僕はジムのレッスンに出て、今週2回走った(計16km)。いい感じだ。昨年は仕事が忙しくてほとんどトレーニングできず、体がガタガタになっているので、今年はジムに通って立て直したい。






2019 上海家電博



先月、仕事で上海に行ったとき、中国語を話すのは無理でも読むのは大丈夫だろうと思っていたのに、予想外に読めなかったので、いまさらながら中国語の勉強を始めた。昨年はじぶんの時間がまったく取れなかったので、今年はじぶんのために時間を取って、体づくりにプラスして語学の勉強もしようと思っている。


まずは全然読めなかった簡体字というのを勉強してやろうと思って、本屋さんで簡体字ドリルを買ってきた。さっそく書く練習をはじめたのだけど、これがなかなかショッキングな体験だ。





なんじゃ、これ???


いや〜、こりゃねーだろ


「飛」のなかみをとっちゃったら重心の位置がくるって、飛行機だって墜落しちゃうよー 汗。。。


こんなにバランスの悪い字、気持ち悪くて書けねーよー!!!




ゲシュタルト崩壊



ってな感じで、今まで正しいと思っていたことがことごとく覆されるようで、頭の認識構造がおかしくなりそうだわ....






それはともかく、簡体字の誕生についてウィキペディアで調べてみると以下のとおりである。


中華人民共和国が建国された3年後の1952年、簡略字体の議論を受けて、漢字研究の機関として「中国文字改革研究委員会」が設立された。1954年に憲法が制定され、政務院が改組されるなど新体制への変化の中で、中国文字研究改革委員会も中国文字改革委員会に改名し、1955年に『漢字簡化方案草案』を発表した。翌年の1956年1月、この草案を基に『漢字簡化方案』(簡:汉字简化方案)が国務院より公布され、514字の簡体字と54の簡略化された偏や旁が採用された。数年の使用実験を経て、簡化字は1959年までの4度改訂公布され、1964年に『簡化字総表』にまとめられた。


なるほど、簡体字の誕生は政治体制が変わったタイミングだから、その所以は、


(1) 過去との断絶

(2) 効率化


と言えるし、その発生は、近代化の文脈とほとんど同じと考えてよさそうだ。


この文脈をうけて、日本の漢字を使いなれた僕が、簡体字から受けた違和感を例えるならば、イメージ的には、ゴテゴテしたニューヨークの街並みになれた人が、いきなりシカゴの軽快な街並みを見てびっくりするというのに近いのではなかろうか。




ニューヨークの街並み



シカゴの街並み



ヨーロッパの古典主義を信奉して継承しようとしたニューヨークに対して、古典主義とは異なる、新たな理念「形態は機能に従う(Form Follows Function)」のもとに、新たな街を創り上げようとしたシカゴ派の先人たちの活動と簡体字の誕生は通じている。


この図式で考えれば、


古典的なスタイルを引きずっている日本ニューヨーク

割り切って効率を求めた中国シカゴ


となるだろう。


ちなみに、韓国は漢字をほとんど使わず、日本のひらがなに相当するハングルだけを普及させるという新たな文化的様相を立ち上げたから、ニューヨークに対するロサンゼルスのような位置づけだろうか。


以上をまとめるとこうなる。





中国語の勉強を通じて、中国・韓国・日本の東アジア文化について思考を巡らせるとなかなか面白いことになりそうだ。


俄然やる気が湧いてきた!


がんばろう!






ちなみに、だんだん簡体字にも慣れてきて、だんだん日本の漢字を書くのが面倒くさくなってきて、ちょいちょい簡体字を使うようになってきた。じっさい慣れれば大して気にならない(笑)


それに、ニューヨークとシカゴの街並みの違いを示そうと思って、ググって写真を探したのだけど、ぶっちゃけて言うと、ニューヨークもシカゴも今はもうほとんど変わんないね。それに上海だって、もう大して変わんないよね!




ニューヨークの夜景



シカゴの夜景



上海の夜景






4月14日(日)

きのうは風邪気味だったので静かに過ごす。きょうもゴルフの朝練に行ったあとは無理をせずゆっくり過ごす。






ところで、



クック・ロビンをだれがころしたのか?



が気になったので読んでいる。




だれがころしたクック・ロビン?

「それはわたし」とスズメが言った。

「わたしの弓と矢で クック・ロビンをころしたの」



???



↓↓↓↓↓





Who Killed Cock Robin






4月7日(日)


動きやすい季節になってきたので、土日はゴルフ練習場とジムでトレーニング。よく動いた。最後ちょっとハリキリすぎて足を痛めたけれど、明日からまたふつうに仕事なので、過度な運動をせずに過ごせば2,3日で回復するだろう。








ところで、



クック・ロビンをだれがころしたのか?



が気になったので読んでいる。



しかし、謎は深まるばかりだ。




Au Revoir Simone - "A Violent Yet Flammable World" (Twin Peaks 2017)







 

 

 

 

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3月31日(日)

仕事帰りの落語






昨日は仕事帰りに落語に行きました。


仕事帰りにふらっと映画を観たり、落語を聴いたりというのをずうっとやりたいと思っていたのですが、これがなかなか叶わぬ夢でありまして、それが昨日ようやっと叶ったのであります。


仕事のほうはちょっとトラブルがあって予定よりも早く切り上げたのですが、それはよいとして、会社を出て新宿にふらりと寄って落語を聴いたのであります。


落語というても末広亭のほうではのうて、夏葉亭一門会っていうほうで、普段は演劇の舞台に立っている俳優さんや女優さんが落語をするという会であります。


これがなかなかようて、毎回ではないですけれど、ちょいちょい行ってます。




昨日はやっぱりあれですな、マクラは元号にちなんだ噺なんかから入るんですな。「新元号はなんでしょう?」なんて話題はどこの職場でもされていて、みんな好き勝手に予想しているわけですけど、インターネットなんかみても、それがなんだか大喜利みたいなノリになってますなと。たしかに、たしかに…


例えば、面白そうなものをあげますと、「石の上にも」なんてのがありますなー。「石の上にも三年」、ま、三年まではええですけど、それ以上はなかなかつらいものがありますなー。ほかには「余命」なんてのもありますなー。「余命一年、余命二年、余命三年」、余命がどんどん延びていってめでたいやないですかーって、ま、そりゃめでたいわな。


それから渋谷の女子高生にアンケートを取ったらしいですわ。そしたら、なんと11位に「タピオカ」ってのが入ってましてな、ま、「高輪ゲートウェイ」って国電の駅名にも横文字が入る時代ですから、元号が横文字でもええんちゃいますか。「タピオカ元年」とか、もう何がなんだかわからないカオスな感じが、いまの時代を象徴していてええやないですか!


ってな感じで、うまいこと話をすすめながら、元号ってのは江戸時代なんかはしょっちゅう変えてたらしいですよって、なんでも元号が変わると運気が変わる」っていうんで、なにか嫌なことがあると、元号を変えたらしいんですよ。いやいや、これは風水の先生もおっしゃっていたんで本当らしいですよ。


なんて「運気が変わる」という話を振っといて、本題の『死神』の噺へと入っていくんですな。なかなかうまいもんですわ。



https://www.youtube.com/watch?v=S3e8ffD1Swo
【死神】 立川談志



落語の面白いところは、マクラから本題に入るところ、これは聴いとるほうも頭を働かしていて、「どっからどの本題に入るかな?」って思いながら聴いていて、本題に入った瞬間に「おっ、入った、気づかなかったよ、やるじゃないか!」なんて感心して、噺に乗りながら、笑いどころは笑うだけ笑ろうて、あとはサゲというか、どうやって落とすかなと。そろそろかなって思いつつ、こちらもどう落とそうかなんて考えながら、「ええっ!」ってな感じで落とされる。


これはなんというか、一種のボケ防止としていいんじゃないかって思いますな。頭が本能的に反応するといういいますかね。ゴルフをボケ防止のためにやっているという人はよくいますけど、あれと同じですな。


なんでもきっかけがないとはじまらないもので、人と会うにしても、運動するにしても、きっかけがないとやらない。人と会うなんて飲みに行くか冠婚葬祭くらいしかないわけだから、さらに体を動かすなんてプラスαもあれば、そりゃもう、ゴルフは年配の方々にとってはいいコミュニケーションツールな訳ですよ。


それにゴルフってのは自分のなかの炎といいますか、ルーティーで成り立っているスポーツで、そのルーティーンが消えてしまうと打てなくなってしまうんですな。逆に言えば、ルーティンが息づいている間はプレーができて、「今日はドライバーがよかった」やら、「ロングパットが入った」やらで、「やったー!」なんてはしゃぎながらボケ防止をしとる訳ですわ。なんとも健康でよろしいやないですかー


ま、


ゴルフや落語じたいが、死ぬ前の予行演習みたいなもんですけどな


合掌




なかなかラウンドには行けないけれど、練習は続けるべし






3月24日(日)

イチローロス



先週帰国して日常を取り戻しつつあるのだが、まだちょっと体が重い。今日は運動する日と決めていたから、朝にランニングして、ジムの夕方のレッスンにも出る予定だったけど、朝のランニングで体の動きが悪かったので、夕方のレッスンはキャンセル。無理をせず、徐々に高めてゆこう。




時をかけ抜けたイチロー選手の引退が、同世代の僕にとって思った以上にショックだったようで、自分の中に何か大きな穴がぽっかり空いてしまったような気分だ。


イチローロス


ってやつか....


ま、それだけではないと思うのだけど、今年の春はいつにもまして寂しい気持ちになる。


春なのに



柏原芳恵 春なのに



作家の中森明夫さんが以前『春なのに』について語っていたことをふと思い出す。


柏原芳恵『春なのに』は中島みゆきの作詞作曲だが、中島が唄うのと微妙に違う。若き日の柏原にとって春は出会いの季節であり、ゆえに「春なのにお別れですか」の歌詞が響く。対して中島みゆきの歌声には既に別れの季節としての春を知った者の苦味がある。春は別れと出会いの相反する季節なのだ



目をつむって聴きくらべてみると、芳恵ちゃんのうたは “春” が余韻として残るのに対して、中島みゆきさんのうたは “なのに” が余韻として残る。




中島みゆき 春なのに



衰えを知らないと思われたイチロー選手であっても、衰えるときがくる。


どんなに努力をしても、報われないときがある。



たかが人生 されど人生



がんばろう






3月21日(祝)

春なのに



2001年、イチロー選手がメジャーに挑戦し、首位打者を獲得したシーズンは今でもよく覚えている。


so excited


あのシーズンをリアルタイムで見守ることができたのは、野球ファンの僕にとっても貴重な財産だ。



イチロー選手 お疲れ様でした!!








2001 イチローが語る162試合 1



2001 イチローが語る162試合 2



2001 イチローが語る162試合 3



2001 イチローが語る162試合 4






3月9日(土)

タナパー



本屋をぷらぷら歩いていたら、めずらしいタイプの本がオススメ本コーナーに並んでいた。





建築家のスケッチ集で、「よく描けてるなー」って思って著者をみたら、田中智之さんの本だった。



階段空間の解体新書

階段空間の解体新書



村上春樹は『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』の主人公の人物造形をリサーチ不足で失敗していたけど、本当は田中さんのような設計士をイメージしていたのだと思う。多崎つくると違って、田中智之が駅に行けばスケッチ描くよ。ほら、新宿駅のスケッチもちゃんと描いてる!





僕は早稲田の学生ではなかったけれど、僕が通っていた理科大から早稲田は近かったので、ちょいちょい遊びに行っていて、研究会"等"でお世話になった。田中さんは地味で、丹下健三隈研吾のようなスターダムの人ではなかったけれど、職人肌でいい仕事をする人という印象がある。


田中智之さんは、先に紹介したエーロ・サーリネンの弟子の穂積信夫先生の門下生で、僕よりも少し上の世代の建築家だ。穂積先生やプリンスホテルなどの仕事をされていた池原義郎先生が教えていた頃のワセダの学生というのは、とにかく図面を描く力が突出していた。


これはコンピュータ(CAD)が普及する以前の学生全般に言えることかもしれないが、この世代の人たちは図面を描く能力や空間を把握する能力が非常に高い。僕が師事した渡辺明先生の事務所の番頭さんも田中さんと同じ世代の方だったけど、手書きパースや矩計図をサクサク描いていた。




渡辺明『洛陽荘』



僕が学生だったころからCADが普及してきて、手書きで図面を描くことはなくなったし、図面を描かないでCGばかりやるような連中も出てきた。そのおかげで三次元曲面など新たな空間を創造できるようになったけど、逆に空間把握力は弱くなったように思う。


今の建築学生はどうなのだろう? CADもCGもやらないで、Pythonとか覚えて自動生成プログラムで空間をつくったりしているのだろうか。






僕は建築をやめて家電製品の開発をやっている。ソフト開発は建築よりも家電のほうが進んでいる。今の職場にも自動生成プログラムをつくって問題を解決するような面白いエンジニアがいる。けど、その辺は僕もついていけないのでひとまず置いといて、田中さんの本を読んで思ったのは、最近『メモの魔力』という本がはやっているように、「メモの取り方」(スケッチの描き方)というテーマについてだ。


メモの魔力 The Magic of Memos (NewsPicks Book)

メモの魔力 The Magic of Memos (NewsPicks Book)


この本は、本屋でパラパラっと立ち読みした程度だけど、メモ(スケッチ)のポイントって要するに「スケール感覚と、あとは、どこを観るか、どこを聴くか」だと思う。


田中さんのパースは有名で、コンペのたびに早稲田の研究室の作品にはフリーハンドの手描きのパースが出てきて、「ああ、これは田中さんが描いたんだなー」ってすぐにわかって、いまでは“タナパー”命名されるまでになったようだけど、彼はパースやスケッチだけではなく手帳も印象的で、手帳のマスに細かい文字が絶妙のプロポーションでピシッと埋められていたのをよく覚えている。


手帳のエピソードは田中さんのスケール感覚が優れている一例だけど、彼のパースをみてもわかるように、トレーニングされた建築家は空間を観たときにスケール(寸法)がスパッと入る。手すりの高さやパイプの径、階段の踏面や蹴上の寸法をさっと把握する。


これは建築業界だけの話ではなく、いま開発している家電製品のエンジニアも同様で、特にメカ(ハード系)の人はスケール感覚が優れている。家電製品って建築よりももっと細かいというかギリギリで納めているから、寸法感覚がないとモノづくりはできないよね。






あと、《どこを観るか》について


建築家が、空間を把握する際にどこを観ているかと言えば、《ジョイント》だ。例えば、部屋を観るならば、床・壁・天井の取り合い。つまり〈床と壁〉〈壁と天井〉のジョイント部分だ。




渡辺明『洛陽荘』



僕が担当した現場ではないけれど、今は雑誌しか手元に資料がないので悪しからず。これは床柱の納まりで、ここは様々な要素がぶつかっている。柱・框・畳・腰壁,etc. それらをどのように納めるか、そこにデザインが発生する(建築にもいろいろあっていわゆる現代建築では巾木も廻縁もカットしてドン付けとか平気でやるのでデザインの意識も人によって全然違う)。建築家というのはこういう所を原寸で起こしながら、しこしこデザインする地味な生業で、そしてそれらの積み重ね、結果として人々を魅了する空間を立ち上げてゆく。




渡辺明『洛陽荘』



田中さんのスケッチからもジョイントの意識がはっきりと読み取れるし、彼が新宿駅を面白いというのも様々な異なる要素がぶつかりあっているからだ。異なるものがぶつかればぶつかるほどデザインのポテンシャルが高まるという訳だ。



建築現場が大工・左官・金物職人・石工,etc. 色んな職種の職人が集うのと同様に家電製品の開発現場も面白くて、プロジェクトはメカチーム、電気チーム、ソフトチームが日々衝突しながら、お互いに切磋琢磨してひとつの製品を創りあげてゆく。





まだまだ道のりは長く、先のことはわからない



そして、なんと明日から上海だ!



さぁ、がんばろー






3月2日(土)

TWAターミナル




ニューヨーク・JFK国際空港のTWAターミナルが、ホテルとして開業するらしい。





泊まってみたい!



しっかし、遠いなー



自分がかつて建築をやっていたことを忘れつつある今日この頃なのだが、以前、村上春樹になりすまして、TWAターミナルについて語ったことがある。ちょっと意地悪な書きっぷりだけど、友だちには評判のいい文章だった。



チェケラ!


村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』






 

 

 


 

 

 

 

 2019年2月日記Z

 

 

 

 阪根Jr.タイガース

 

 

 

 阪根タイガース

 

日記Z 2019年2月

2月23日(土)

やれやれ



ようやく休み。朝は爆睡、昼過ぎから掃除と洗濯、少しずつ動き出す。


正月休みの頃から、ちびちびと音楽関連の本を読みつないでいるのだけど、ビートルズの『ラバー・ソウル』というアルバムの評価が皆一様に高いので聴いている。




Norwegian Wood (This Bird Has Flown)



よい ♪



大学に入ったころ、ちょっとだけサークルに入っていた時期があって、そこの先輩だったか、「ベスト盤なんか聴いてたらダメだよ。ちゃんとアルバムを聴かなきゃ」って言われた。その時に聴いていたのはスティングか誰かのベスト盤だったと思うけど、「なるほど、確かにベスト盤を聴いてたらモグリっぽいけど、アルバムを聴いてたら音楽通って感じでカッコいい!」ってことでベスト盤なんか買わないでアルバムを買うようになったのだけど、サビでぐっとくる曲以外の曲をだらだら聴くのはなかなかつらいものがあって、というか今でもそうで、アルバムを最初から最後まで聴くというのは結局習慣化しなかった。


それがなんだか、この「ラバー・ソウル」というアルバムは確かに最初から最後までちゃんと聴ける。これといった曲がある訳ではないけれど、バリエーションに富んだ楽曲で構成されていて飽きないし、自然に聴き流してうとうとしているうちに気がついたら終わってるという感じ。


ふ〜ん、音楽ってこうやって聴けるんだー



さらに本を読み進めると興味深いのは、この頃のビートルズ、『ラバー・ソウル』(1965)『レヴォルバー』(1966)『サージェント・ペパーズ』(1967)を続けてリリースした時代のビートルズが、当時アメリカ西海岸で勃興しつつあったカルチャーと通じていたということだ。



1950年代から1960年代初頭にかけて、アメリカ経済の堅調さの影響下、世界的な好景気が到来し、それが中産階級層の増大をもたらしたが、反面生活様式の画一化が促進されていった。そんななかで育ったベビーブーマーの一部は、その画一的なライフスタイルを嫌い、体制への反抗姿勢を行動に移し始めていた。それらのムーヴメントの根底にあったのは、ベトナム戦争の泥沼化への危機感だった。

1963年、ケネディ大統領時代にベトナムに介入したアメリカは、1965年ジョンソン大統領時代に本格的に軍事介入したが、戦争の長期化による膨大な戦費がアメリカに赤字財政をもたらし、インフレがアメリカの経済環境を悪化させていた。さらにメディアが、この悲惨な戦争の様子を家庭に放送したことで、アメリカ国内でのベトナム戦争反対運動が巻き起こり、多くの若者が徴兵を拒否してアメリカから出国し、カナダ、メキシコ、スウェーデンなどへ逃亡し始めた。同時に、アメリカ国内を逃げ回った若者も多かった。こうした社会不安を背景に、ヒッピーと呼ばれるベビーブーマーの若者たちが急増していった。

ヒッピーたちはサンフランシスコを拠点として、アメリカン・ドリームに疑問をもち、社会からドロップアウトすることで結束した。その思想の根本にあったのは、ビート・ジェネレーションから受け継いだ「ラヴ&ピース」を合い言葉としてドラッグとフリーセックスを容認した平和主義であった。やがてヒッピーのムーヴメントは、人種差別問題、女性蔑視問題、ゲイ問題まで包括した大きな潮流として、アメリカはおろか、ヨーロッパや日本にまで広がっていく。彼らの多くが花柄の衣装を好んで身に付けていたことから、そのムーヴメントはフラワー・パワーとも呼ばれた。そして彼らがそのカウンター・カルチャーの共通言語としたのがロック・ミュージックであった。

このムーヴメントが最高潮となった1967年、ヒッピーたちによる反体制文化の象徴として君臨していたのが、ビートルズ
『SGT.Pepper's Lonely Hearts Club Band』だったのだ。

(根木正孝『ビートルズ言論』水曜社より)



僕がイメージするアメリカ西海岸というのは、1980年代以降の西海岸で、太陽がサンサンと照りつけるビーチやビバリーヒルズ、ロサンゼルスオリンピックやハリウッド映画に代表される負の要素をまったく感じさせない、セレブリティ溢れる圧倒的に華やかでオシャレなアメリカだ。




1950年代から1960年代のアメリカ西海岸のカルチャーはじぶんで勉強するまで知らなかった。また1980年代のアメリカ西海岸のイメージづくりとその後の日本のバブルは連動しているし、一貫した経済政策に基づいて仕掛けられたものだから、「美しい花には棘がある」というように、華やかな世界を真に受けるのではなく、一歩引いて冷静に観るほうがいいね。




ビートルズアメリカ西海岸カルチャーをつないで、彼らの作品を考えると俄然面白くなってくるのだけど、いきなり躓くというか、「あれ?」という問題に出くわす。冒頭で紹介した『ラヴァー・ソウル』に収録されている「ノルウェイの森」という曲は聴いたらすぐわかるけれど、これ、すごくインドっぽい。



ビートルズアメリカ西海岸とインド



まったく訳がわからない。


イギリス人から見たアメリカ西海岸と、イギリス人から見たインドというのは、通じるものがあるのだろうか? このあたりは、日本人の地理的感覚からは一番理解しづらい。






イギリス人から見たインドとかけて、アメリカ西海岸と解く。その心は?




The Darjeeling Limited Opening Scene



この謎かけですぐに思い浮かんだのは、ウェス・アンダーソンの『ダージリン急行』だ。ウェス・アンダーソンの作品はどれもコミカルでかわいらしく、そして何よりも絵的な色調が美しい。この作品もそうで、インドのカオスな感じがストーリー的にも画面的にもうまく表現されている。欧米人から見たインドに、西海岸的なポップな明るさがうまく融合された傑作だと思う。


その一方で、インドの負の部分を前面に押し出したり、闇の部分にアクセスすることはなく、インドの汚らしい部分は封印されている。そういった意味でも、彼が音楽にビートルズではなく、キンクスを選んだのもなんとなくうなづける。なぜなら、ビートルズの音楽には、ウェス・アンダーソンが求めていない、どこか鬱屈とした空気が漂ってしまっているから。


ビートルズウェス・アンダーソンはつながらない。






気持ちをあらためて、



ノルウェイの森』からの『ノルウェイの森





この小説も例によって読んだことは覚えているけれど、内容はほとんど覚えていない。主人公がトーマス・マンの『魔の山』を読んでいたことと、その恋人がサナトリウムに入っていたということくらいしか記憶にない。


でも、あらためて読んでみると作中にサナトリウムとは一言も書かれていないし、それに『魔の山』よりもどちらかといえば、フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』を読んでいるシーンのほうが多く、主人公も『グレート・ギャツビー』推しで、その想いを存分に語っているので、こっちのほうを記憶していてもよさそうなものだ。なのに、なぜ数少ない『魔の山』を読んでいるシーンのほうを覚えていたのだろうか。ま、当時はそもそもフィッツジェラルドを知らなかったので記憶すらできなかったのであろう。


当時はまだ小説を読む習慣がほとんどなくて、『STUDIO VOICE』や『SWITCH』といったカルチャー雑誌で紹介されている本を「今はこれがイケている!」と思い込んで買って、読んだふりをする程度だった。だから読む力がなくて、三島由紀夫は全然読めなかったけれど、村上春樹の『国境の南、太陽の西』を読んでみたら読めて、それでうれしくなって、その勢いで『ノルウェイの森』を読んだのだったと思う。


当時は当時として、いま改めて読んでみると、これが意外に面白い。ビートルズの曲を聴いていて感じる、あれだけヒットしたわりにはどこかすっきりとしない鬱屈とした雰囲気が、村上春樹の作品からも感じられる。また村上春樹は、はぐらかしてなかなか本音を語らないという印象があるのだけど、『ノルウェイの森』では、けっこうはっきりと自分の想いを綴っている。


夏休みのあいだに大学が機動隊の出動を要請し、機動隊はバリケードを叩きつぶし、中に籠っていた学生を全員逮捕した。その当時はどこの大学でも同じようなことをやっていたし、とくに珍しい出来事ではなかった。大学は解体なんてしなかった。大学には大量の資本が投下されているし、そんなものが学生が暴れたくらいで「はい、そうですか」とおとなしく解体されるわけがないのだ。そして大学をバリケード封鎖した連中も本当に大学を解体したいなんて思っていたわけではなかった。彼らは大学という機構のイニシアチブの変更を求めていただけだったし、僕にとってはイニシアチブがどうなるかなんてまったくどうでもいいことだった。だからストが叩きつぶされたところで、とくに何の感慨も持たなかった。

僕は九月になって大学が殆ど廃墟と化していることを期待して行ってみたのだが、大学はまったくの無傷だった。図書館の本も掠奪されることなく、教授室も破壊しつくされることはなく、学生課の建物も焼け落ちてはいなかった。あいつら一体何してたんだと僕は愕然として思った。

ストが解除され機動隊の占領下で講義が再開されると、いちばん最初に出席してきたのはストを指導した立場にある連中だった。彼らは何事もなかったように教室に出てきてノートをとり、名前を呼ばれると返事をした。これはどうも変な話だった。何故ならスト決議はまだ有効だったし、誰もスト終結を宣言していなかったからだ。大学が機動隊を導入してバリケードを破壊しただけのことで、原理的にはストはまだ継続しているのだ。そして彼らはスト決議のときには言いたいだけ元気なことを言って、ストに反対する(あるいは疑念を表明する)学生を罵倒し、あるいは吊しあげたのだ。僕は彼らのところに行って、どうしてストをつづけないで講義に出てくるのか、と訊いてみた。彼らには答えられなかった。答えられるわけがないのだ。彼らは出席不足で単位を落とすのが怖いのだ。そんな連中が大学解体を叫んでいたのかと思うとおかしくて仕方なかった。そんな下劣な連中が風向きひとつで大声を出したり小さくなったりするのだ。


この想いは僕も同感で、ぼくは彼らの子供の世代だから1968年前後のことは知らないし、親も当時のことを教えてくれなかったので、自分で調べてあとからわかったのだけど、僕が浪人生だったころの予備校の先生や、大学生だったころの教授陣に学生運動をやっていたらしい人がけっこういた。


なかには、山本義隆さんのように素晴らしい人もいたけれど、彼の場合は「なんでこんなに頭のいい人が予備校なんかで教えているのだろう? 大学でもっとバリバリ研究すればいいのに」と思えて悲しくなったのだけど、そういう人はごくわずかで、大概がくだらない連中だった。「講義を欠席したら即落第」とか厳しく取り締まる先生にかぎって、自分が学生のころは授業をボイコットしていたり、あるいは逆にまったくやる気がなく、つまらない講義をダラダラして、学生から「あの先生、はやくやめたらいいのに」と陰口を叩かれるような人たちだった。


1968年と、僕も経験した1995年前後というのは、よのなか全体がおかしかったように思う。


そのおかしな社会に同化するのか? 抗うのか? 距離をとるのか?


そして、どう生きてゆくのかが問われ、ビートルズ村上春樹が共鳴して表明していたのが、アメリカ西海岸でヒッピー・カルチャーを巻き起こした若者たちが、ビートニクから受け継いだ「ラヴ&ピース」を合言葉とし、ドラッグ(酒)とフリーセックスを容認した、平和主義だったのか。


やれやれ




それで、今までほとんど読んでいなかったビートニクの作家(ビート・ジェネレーション)を読んでみようということで、一番評価の高いバロウズの『裸のランチ』を読んでいるのだけど、正直びっくりしている。確かに社会からドロップアウトしていて、ドラッグ漬けでヤバくて、人間的にもう終わっているのだけど、なんというか、すごく頑張ってる感があって、「ドラッグ中毒を極めてやるぞ! 」という感じで、僕が想像していたのと真逆だった。ドロップアウトの仕方がすごく西洋的というか、


ビートニクの作家を一言でいえば、マッチョ!


対して


村上春樹を一言でいえば、ふにゃふにゃ


春樹のほうもお酒はよく飲むし、女の子とセックスばかりしていて、おちんちんは大きいって書いているのだけど、もうね、やってることも、言ってることも、ふにゃふにゃ


どっちがいいという訳ではなく、どちらも共感しないのだけど、僕がビートニクと聞いてイメージしていたのは、中島らものようなグダグダの人で、それで言えば、まだ村上春樹のほうが近いかも。





村上春樹の『ノルウェイの森』は、ビートルズの『ノルウェイの森』をモチーフとして書かれており、作中でも「ノルウェイの森」やビートルズのほかの曲がしばしば流れる。アメリカ西海岸=ヒッピーカルチャー=ビートニク=ラヴ&ピース》という観点では両者は密接につながっていて、村上春樹の『ノルウェイの森』はよくできた作品だと思う。



ただ、ひとつ物足りない点があって、それはビートルズの『ノルウェイの森』に感じられるインド的なるものの探究がほとんど見られないということだ。


ビートルズの『ノルウェイの森』をもう少し掘り下げてみたいのだけど、この曲と通じるのは、先ほど紹介したキンクスの一連の楽曲だと言えなくもないけれど、両者は背負っている使命が異なるので、やはり繋がらない。ビートルズの『ノルウェイの森』と繋がるのは、同じくビートルズのこの曲だと思う。



Across The Universe (Remastered 2009)



アメリカ西海岸のヒッピーカルチャーと呼応したニューエイジ運動


ドラッグの幻覚症状→サイケデリックマントラ→インド的なるもの


というライン。こっちのほうをもう少し掘り下げてみてもいいかなって思う。





だだ、インド的なるものの探究は時間がかかるので、ひとまず置いといて、もういちど村上春樹の『ノルウェイの森』に戻る。この作品で気になるのは、緑とレイコさんというふたりの女性だ。


主人公の男はふにゃふにゃでまったく希望を感じないし、村上春樹じしんもそれほど重きを置いてないように思うのだけど、登場する女性、特に新たな恋人になるであろう緑と、恋人の直子と一緒にいる彼らより年上のレイコさんという女性の描きっぷりには彼の思い入れがあるように感じられる。まず、緑。


「あなた『資本論』って読んだことある?」と緑が訊いた。

「あるよ。もちろん全部は読んでないけど。他の大抵の人と同じように」

「理解できた?」

「理解できるところもあったし、できないところもあった。『資本論』を正確に読むにはそうするための思考システムの習得が必要なんだよ。もちろん総体としてのマルクシズムはだいたい理解できていると思うけれど」

「その手の本をあまり読んだことのない大学の新入生が『資本論』読んですっと理解できると思う?」

「まず無理じゃないかな、そりゃ」と僕は言った。

「あのね、私、大学に入ったときフォークの関係のクラブに入ったの。唄を唄いたかったから。それがひどいインチキな奴らの揃っているところでね、今思いだしてもゾッとするわよ。そこに入るとね、まずマルクスを読ませられるの。何ページから何ページまで読んでこいってね。フォーク・ソングとは社会とラディカルにかかわりあわねばならぬものであって・・・・なんて演説があってね。で、まあ仕方ないから私一所懸命マルクス読んだわよ、家に帰って。でも何がなんだか全然わかんないの、仮定法以上に。三ページで放りだしちゃったわ。それで次の週のミーティングで、読んだけど何もわかりませんでした、ハイって言ったの。そしたらそれ以来馬鹿扱いよ。問題意識がないだの、社会性に欠けるだのね。冗談じゃないわよ。私はただ文章が理解できなかったって言っただけなのに。そんなのひどいと思わない?」

「ふむ」と僕は言った。

「ディスカッションってのがまたひどくてっね。みんなわかったような顔してむずかしい言葉使ってるのよ。それで私わかんないからそのたびに質問したの。『その帝国主義的搾取って何のことですか? 東インド会社と何か関係あるんですか?』とか、『産学協同体粉砕って大学を出て会社に就職しちゃいけないってことですか?』とかね。でも誰も説明してくれなかったわ。それどころか真剣に怒るの。そういうのって信じられる?」

「信じられる」

「そんなことわからないでどうするんだよ、何考えて生きてるんだお前? これでおしまいよ。そんなのないわよ。そりゃ私そんなに頭良くないわよ。庶民よ。でも世の中を支えてるのは庶民だし、搾取されてるのは庶民じゃない。庶民にわからない言葉ふりまわして何が革命よ、何が社会変革よ! 私だってね、世の中良くしたいと思うわよ。もし誰かが本当に搾取されているのならそれはやめさせなくちゃいけないと思うわよ。だからこそ質問するわけじゃない。そうでしょ?」

「そうだね」

「そのとき思ったわ、私。こいつらみんなインチキだって。適当に偉そうな言葉ふりまわしていい気分になって、新入生の女の子を感心させて、スカートの中に手をつっこむことしか考えてないのよ、あの人たち。そして四年生になったら髪の毛を短くして三菱商事だのTBSだのIBMだの富士銀行だのにさっさと就職して、マルクスなんて読んだこともないかわいい奥さんもらって子供にいやみったらしい凝った名前つけるのよ。何が産学共同体粉砕よ。おかしくって涙が出てくるわよ。他の新入生だってひどいわよ。みんな何もわかってないのにわかったような顔してへらへらしてるんだもの。そしてあとで私に言うのよ。あなた馬鹿ねえ、わかんなくたってハイハイそうですねって言ってりゃいいのよって。ねえ、もっと頭に来たことあるんだけど聞いてくれる?」

「聞くよ」

「ある日私たち夜中に政治集会に出ることになって、女の子たちはみんな一人二十個ずつの夜食用のおにぎり作って持ってくることって言われたの。冗談じゃないわよ、そんなの完全な性差別じゃない。でもまあいつも波風立てるのもどうかと思うから私何も言わずにちゃんとおにぎり二十個作っていったわよ。梅干し入れて海苔まいて。そうしたらあとでなんて言われたと思う? 小林のおにぎりは中に梅干ししか入ってなかった、おかずもついてなかったって言うのよ。他の女の子のは中に鮭やらタラコが入っていたし、玉子焼なんかがついてたりしたんですって。もうアホらしくて声も出なかったわね。革命云々を論じている連中がなんで夜食のおにぎりのことくらいで騒ぎまわらなくちゃならないのよ、いちいち。海苔がまいてあって中に梅干しが入ってりゃ上等じゃないの。インドの子供のこと考えてごらんなさいよ」

僕は笑った。「それでそのクラブはどうしたの?」

「六月にやめたわよ、あんまり頭に来たんで」と緑は言った。「でもこの大学の連中は殆どインチキよ。みんな自分が何かをわかってないことを人に知られるのが怖くってしようがなくてビクビクして暮してるのよ。それでみんな同じような本を読んで、みんな同じような言葉ふりまわして、ジョン・コルトレーン聴いたりパゾリーニの映画見たりして感動してるのよ。そういうのが革命なの?」

「さあどうかな。僕は実際に革命を目にしたわけじゃないからなんとも言えないよね」

「こういうのが革命なら、私革命なんていらないわ。私きっとおにぎりに梅干ししか入れなかったっていう理由で銃殺されちゃうもの。あなただってきっと銃殺されちゃうわよ。仮定法をきちんと理解してるというような理由で」

「ありうる」と僕は言った。

「ねえ、私にはわかっているのよ。私は庶民だから。革命が起きようが起きまいが、庶民というのはロクでもないところでぼちぼちと生きていくしかないんだっていうことが。革命が何よ? そんなの役所の名前が変るだけじゃない。でもあの人たちにはそういうのが何もわかってないのよ。あの下らない言葉ふりまわしている人たちには。あなた税務署員って見たことある?」

「ないな」

「私、何度も見たわよ。家の中にずかずか入ってきて威張るの。何、この帳簿? おたくいい加減な商売やってるねえ。これ本当に経費なの? 領収書見せなさいよ、領収書、なんてね。私たち隅の方にこそっといて、ごはんどきになると特上のお寿司の出前とるの。でもね、うちのお父さんは税金ごまかしたことなんて一度もないのよ。本当よ。あの人そういう人なのよ、昔気質で。それなのに税務署員ってねちねちねちねち文句つけるのよね。収入ちょっと少なすぎるんじゃないの、これって。冗談じゃないわよ。収入が少ないのはもうかってないからでしょうが。そういうの聞いてると私悔しくってね。もっとお金持のところ行ってそういうのやんなさいよってどなりつけたくなってくるのよ。ねえ、もし革命が起ったら税務署員の態度って変ると思う?」

「きわめて疑わしいね」

「じゃあ私、革命なんて信じないわ。私は愛情しか信じないわ」

「ピース」と僕は言った。

「ピース」と緑も言った。



このシーンはすごく好きだし、「緑、よくぞ 言った!」って思う。



次にもう一人キーになる人物がいて、それがレイコさんなのだけど、二十歳前後の主人公たちよりもずっと年上の三十代後半で、人生経験が豊富なぶん、どこかゆったりとした余裕がある。そして音楽に長けていて、作中でよくギターを弾く。


レイコさんはビートルズに移り、「ノルウェイの森」を弾き、「イエスタデイ」を弾き、「ミシェル」を弾き、「サムシング」を弾き、「ヒア・カムズ・ザ・サン」を唄いながら弾き、「フール・オン・ザ・ヒル」を弾いた。僕はマッチ棒を七本並べた。

「七曲」とレイコさんは言ってワインをすすり、煙草をふかした。「この人たちはたしかに人生の哀しみとか優しさとかいうものをよく知っているわね」

この人たちというのはもちろんジョン・レノンポール・マッカートニー、それにジョージ・ハリソンのことだった。

彼女は一息ついて煙草を消してからまたギターをとって「ペニー・レイン」を弾き、「ブラック・バード」を弾き、「ジュリア」を弾き、「六十四になったら」を弾き、「ノーホエア・マン」を弾き、「アンド・アイ・ラブ・ハー」を弾き、「ヘイ・ジュード」を弾いた。

「これで何曲になった?」

「十四曲」と僕は言った。

「ふう」と彼女はため息をついた。「あたな一曲くらい何か弾けないの?」

「下手ですよ」

「下手でいいのよ」

僕は自分のギターを持ってきて「アップ・オン・ザ・ルーフ」をたどたどしくではあるけれど弾いた。レイコさんはそのあいだ一服してゆっくり煙草を吸い、ワインをすすっていた。僕が弾き終わると彼女はぱちぱちと拍手をした。

それからレイコさんはギター用に編曲されたラヴェルの「死せる王女のためのパヴァーヌ」とドビッシーの「月の光」を丁寧に綺麗に弾いた。「この二曲は直子が死んだあとでマスターしたのよ」とレイコさんは言った。「あの子の音楽の好みは最後までセンチメンタリズムという地平をはなれなかったわね」

そして彼女はバカラックを何曲か演奏した。「クロース・トゥ・ユー」「雨に濡れても」「ウォーク・オン・バイ」「ウェディングベル・ブルーズ」。

「二十曲」と僕は言った。

「私ってまるで人間ジューク・ボックスみたいだわ」とレイコさんは楽しそうに言った。

「音大のときの先生がこんなの見たらひっくりかえっちゃうわよねえ」

彼女はワインをすすり、煙草をふかしながら次から次へと知っている曲を弾いていった。ボサノヴァを十曲近く弾き、ロジャース=ハートやガーシュインの曲を弾き、ボブ・ディランやらレイ・チャールズやらキャロル・キングやらビーチボーイズやらスティービー・ワンダーやら「上を向いて歩こう」やら「ブルー・ベルベット」やら「グリーン・フィールズ」やら、もうとにかくありとあらゆる曲を弾いた。ときどき目を閉じたり軽く首を振ったり、メロディーにあわせてハミングしたりした。

ワインがなくなると、我々はウィスキーを飲んだ。僕は庭のグラスの中のワインを灯籠の上からかけ、そのあとにウィスキーを注いだ。

「今これで何曲かしら?」

「四十八」と僕は言った。

レイコさんは四十九曲目に「エリナ・リグビー」を弾き、五十曲めにもう一度「ノルウェイの森」を弾いた。五十曲弾いてしまうとレイコさんは手を休め、ウィスキーを飲んだ。「これくらいやれば十分じゃないかしら?」

「十分です」と僕は言った。「たいしたもんです」

「いい、ワタナベ君、もう淋しいお葬式のことはきれいさっぱり忘れなさい」とレイコさんは僕の目をじっと見て言った。「このお葬式のことだけを覚えていなさい。素敵だったでしょ?」

僕は肯いた。

「おまけ」とレイコさんは言った。そして五十一曲めにいつものバッハのフーガを弾いた。

「ねえ、ワタナベ君、私とあれやろうよ」と弾き終わったあとでレイコさんが小さな声で言った。




緑やレイコさんのようなフランクな女性はいいなって思うのだけど、村上春樹が書いた彼女たちを何度読んでもなかなかイメージがわいてこなかった。



でも、例えば、あの子をイメージしてみたら、世界がパッとひらけたのであった。





宇多田光 Utata Hikaru - Across The Universe. Encore 01. WildLife. Live 2010 YokoHama Arena. December 8-9






2月17日(日)

《祝》再結成



遊びでもないのに

日曜日になんで終電やねん

向かえの席に座ったさぁ

もち肌の女の子


例えば、あの子は透明少女




Number Girl - 透明少女 (Live from RSR FES 1999)




2月10日(日)

僕らの力で世界があと何回救えたか






いまは事業部が変わって開発チームにいる。開発業務はゴールがあってないようなもので、やろうと思えばいくらでもやることがあるので、毎日夜遅くまで作業が続く。だから、だんだん朝が起きられなくなってきて、今はふつうの時間に出勤しているのだけど、以前、工場に製造指示を出すポジションにいたときは朝7時から働いていた。


そのとき乗っていたのが、5:54発の電車なのだけど、その電車でよく乗り合わせる舞台女優さんがいて、プライベートだから気づかないふりをしていたのだけど、いつもえらいなって思いつつ、陰ながら応援していた。


マライヤ・キャリーが売れないころにウエイトレスのアルバイトをやっていたという話を聞いたことがあるけれど、あれはなんか違うような気がする。早朝の仕事をして、夕方からの稽古をこなしつつ、俳優業を続けているという人を、僕は何人も知っている。彼、彼女らは別に有名人になりたいと思って演劇をやっている訳ではなく、演劇が身体に染み付いていて、表現する喜びを知っているからこそ続けているのだろう。


そういう彼、彼女らを応援していると言いつつ、忙しくてぜんぜん観劇できていないのだけど、今日なんとか休みを取れたので、その女優さんが出演している舞台を一年ぶりくらいに観劇してきた。





ぐりぐりのSF作品なのだけど、終盤までSFだとまったく気づかなかった。田舎町の高校を卒業した仲間が、数年ぶりに故郷に戻ってきて、そこで繰り広げられる....


サイエンスでもフィクションでもなく、ほとんどノンフィクションと思って観ていいような序盤の展開で、久しぶりに集まった仲間を演じる俳優たちが青春時代のにおいをプンプン醸し出して、観客をどんどん引き込んでいくものだから、こちらもすっかりその気になって、「こいつら一体なにをしでかすんだろう?」とワクワクした気持ちで観ていたのだけど、途中からだんだん雲行きが怪しくなってきて...


「えっ! これ、けっこうヤバイ話じゃねー」(汗)


「そっかー! これ、完全にSFじゃん! 無線部なんてマニアックな人たちが出てきて、なんかいかにもメカメカしい機材をいじくり出した時点で気づくべきだった!」


という感じで、してやられました。。。



とは言っても、劇場を後にしてから冷静に考えたのだけど、"青春ドラマ""SF"って別に相容れないものじゃないよなー



例えば、この作品を観ていて『スタンド・バイ・ミー』を無性にみたくなった。




Stand By Me • Ben E. King



スタンド・バイ・ミー』にSFの要素はないけれど、あの作品の原作者はスティーブン・キングなんだよなー。そう思うと『スタンド・バイ・ミー』と『IT』は繋がっているし、『IT』はホラーというより、ほとんどSFだし、あれは『スタンド・バイ・ミー』以上に青春ドラマだよね。仲間が大人になっても誓いを貫き通せるかっていう。




Stephen King's IT (1990) - Georgie



ひゃやややーーー


こわ 汗....



なんか、今日観劇した『僕らの力で世界があと何回救えたか』ともつながっているような気がする。



『僕らの力で世界があと何回救えたか』の作品自体は怖くて難解だったけれど、俳優陣のキャスティングはすごくよかったなー


メトロポリスの首長を彷彿させる市長役に松永玲子さんを起用したり、大久保祥太郎、斉藤マッチュ、松澤傑の無線部3人組はキャラ立ちしていて、すっごくよかった。



俳優たちにパワーをもらいました!



ありがとうございました。



オレもがんばろー






2月3日(日)

命がけの跳躍


 

 

きのうは7時に仕事を終わらせてランニングするつもりが結局8時すぎまでかかってしまったのでランニングできず。今日はゴルフの朝練とジムのレッスンに参加したけれど、今週は夜ラーメン1回と晩酌1回やったからチャラ。先週の借金を返済することはできなかった。来週がんばろう。

 


 

プロ野球のキャンプがスタートして、今年もいよいよ動きだしたという気持ちだ。我がタイガースも新キャプテン・糸原健斗選手がハッスルしているようで、たのもしい!

 

 

彼は昨年、若手で唯一レギュラーの座を掴んだ男だ。そんな彼にむかって言うのは失礼かもしれないが、昨年のキャンプ前は、彼ではなく中谷選手や高山選手がどこまでやれるかに注目していたのだった。もちろん糸原選手もそこそこやるだろうとは思っていたが、まさかシーズンを通じてレギュラーでやってのけるとは、正直思っていなかった。

 

糸原選手にいったい何がおこったのか?


タイガースファンのあいだでは有名な話なのだけど、彼は一昨年のこの一打で本当のプロ野球選手になったと言われている。



糸原健斗(阪神)「サヨナラヒットで金本監督に思いっきり抱きしめられる」2017.07.09 阪神対巨人


この一撃以来、糸原選手はなにか吹っ切れたように打ちまくった。自信に満ち溢れ、気持ちが前面に出るようになった。何事にも積極的に取り組むようになり、まさに“オレがヤル”という姿そのものになった。結果として昨年レギュラーの座を掴んだし、この変化が矢野監督をはじめ、チームみんなに伝わり、新キャプテンに指名されることになった。


実は、糸原選手を変えたこの一打については、野球事情に詳しい菊地選手も指摘しているとおり伏線がある。



そう、2010年の夏の甲子園仙台育英に逆転負けを喫した開星の、大飛球を放った最後のバッターが糸原健斗選手なのだ。



開星 仙台育英


これを僕は、プロ野球における


命がけの跳躍


と呼んでいる。


糸原選手は、仙台育英・三瓶選手の“命がけの跳躍”によって阻止された夢を7年越しで奪い返し、今度は彼が飛躍したのである。そして彼は名実ともにプロ野球選手となった。


プロ野球選手にいったい誰がなれるのか?


これは本当にわからない。確かに松井秀喜選手や大谷翔平選手のようにプロ入り前から飛び抜けた逸材というのがいるにはいるけれども、それは例外中の例外。プロのドラフトにかかるような選手はみな一様に才能があり、みなプロで通用すると思って入団してくるのだけど、プロの一本目で活躍できる選手はほんの一握りしかいない。


例えば、坂本勇人選手は今ではジャイアンツのショートを当たり前のように守っているけれども、高校時代の彼をみてもジャイアンツで10年以上もレギュラーを張って活躍する選手になるとは思わなかったよ。あるいは早稲田大学時代の鳥谷敬選手はプロでもそこそこやるだろうとは思って観ていたけれど、同期の青木宣親選手がメジャーリーガーになるどころか、プロで通用するとは全然思わなかった。誰がプロ野球選手になれるかは本当にわからないんだよ。


さて、プロ野球選手とは何かについて、マルクスっぽい言い回しをしたから、もう少し踏み込んで言っておくと、『資本論』における商品の観点にならって、プロ野球選手を定義すると次のようになる。


プロ野球選手は、プロ野球選手となる運動としてだけあり、プロ野球選手へと生成してゆく途上にのみ存在する。(※1)


プロ野球選手という事物は存在しない。どんなに素晴らしいヒットを打ったとしても、どんなに美しいサヨナラアーチを描いたとしても、次の日になれば、またふつうに試合が行われる。その試合でヒットを打てる保証はない。運よくヒットが打てるかもしれないし、打てないかもしれない。4タコなんぞ記録しようものなら一転、ファンからブーイングの嵐だ。プロ野球選手とはその運動、日々の営みにおいてしか存在しない。ちなみに糸原選手だって、キャプテンになったからといってレギュラーが確約された訳ではまったくない。


プロスポーツの世界は厳しい。


だからこそ、我々は仕事とまったく関係のない野球やゴルフの試合を観にいき、選手の一挙手一投足を固唾をのんで見守り、勝敗に一喜一憂する。そして、彼らの頑張りが我々の励みとなるのである。


糸原キャプテンがんばれ!


おれも彼に負けないようにがんばろー



※1 熊野純彦マルクス 資本論の哲学』(岩波新書)p.9を参照した.


 

 

 


 

 

 

 

 2019年1月日記Z

 

 

 

 阪根Jr.タイガース

 

 

 

 阪根タイガース

 

日記Z 2019年1月

1月27日(日)

この人、だれ?



今週は休みがなかったので身動きとれず。ランニングもジムのレッスンにも参加できなかったのに、夜ラーメンを2回もしちゃったから、からだ的には


借金2!


昨年のタイガースみたいなことにならんように、早めに返済しないと....


そんな感じなんで、今週は日記に書けることがないから、さっさっと書くのをやめて《キングダム53巻》を読みたいのだけど、一つだけ書くことがあったというか、書いたことがあったというか、ずっと前に書いた演劇の感想をその時に出演していた俳優さんが最近読んでくれたようで、


いいね!


をポチってくれた。



最近はなかなかできてないけれど、観劇した作品の感想をできる限り書くようにしていて、それは作品をつくりあげる人々に対するリスペクトの気持ちからで、僕も創作活動をしていた時期があるから、彼らの苦労はよくわかるし、特に演劇は1ヶ月ちかくも稽古をするにもかかわらず、1〜2週間公演をして、舞台をバラシてしまったら、跡形もなくきれいさっぱりなくなってしまう。

それだと、せっかくいい作品を創り上げたとしても、どこが良かったのか悪かったのかもよくわからないし、次につながらないのではないか? それはもったいない!という想いで、演劇の感想を書いている。

だから、創り手に感想を読んでもらえると、書いたほうもすごくうれしい。




しかしながら、じぶんの書いた感想を久しぶりに読むと、じぶんで言うのもなんだが、


「この人、言ってることはテキトーだけど、けっこういろいろ観て、いろんな本よんでるなー」


って感心する。

確かに、観たことや読んだことは覚えているのだけど、内容はもうほとんど覚えてないから、今よむと別人が書いたようにしか思えない。


「こいつ、ほんとぺちゃくちゃよく話すよなー」

「誰だよ、こいつ?」


最近は、機械とにらめっこして1日が終わってしまうので、尚更そう思う。




ところで、平成が終わるんだけ? いま何年だっけ?


2019年かー


「えっ!もう2019年!?」



1月20日(日)

お母さんにそっくり!



空耳がいる。

ジムのお風呂に行くといつも空耳アワーに出てくるタモリじゃないほうのロン毛のおっさんにそっくりなおっさんがいる。ゴルフの朝練に行った帰りに、ゴルフの練習場にはシャワーがないから、ジムに寄ってシャワーを浴びてお風呂につかってサウナに入るのを楽しみにしているのだけど、今日もいた。朝イチに空耳がいた。そういえば、空耳をジムのフロアで見たことがない。


風呂でしか見たことがない!


おそらく空耳はジムを銭湯代わりに利用しているのであろう。そういう僕も、実はジムのお風呂のみを利用する常習犯なのだ。最近は帰るのが遅くてジムが閉まっているので寄らないけれど、以前はサウナで汗を流すためだけにジムに寄っていた日も多々あった。


大きなお風呂につかって、サウナで汗を流すと疲れが本当にとれるんですよーーーー!!!!!


(神様、今年はジムが開いてる時間に帰れますように!)

(ま、無理だな。)




昨日も走った。

仕事が終わってから体調がいまいちだったので行くかどうか迷ったのだけど、いざジムに行ってランニングマシンに立ったときには気持ちが前を向いていた。初めは様子見で10km/hから入って10分走ったところで、「ああ、大丈夫そう」と感じたので、スピードを11km/hにあげて30分まで走ったところで、「ちょっと疲れたなー」という感じだったので、10km/hにスピードを落として40分まで走った。いったんスピードを上げてから戻すとすごくゆっくりに感じて、「こりゃ、いけるぞ!」という気分になって、残り20分(制限時間60分)ギリギリでも構わないから10km走り切ろうという気持ちが湧いてきた。

そして10kmみごと完走。最後の300mは15km/hまでスピードを上げて突っ走ってみたが、さすがにこれはやり過ぎだった。足がマシンのスピードについていけなくてふらふらして怖かった。一歩間違えたら大惨事になりかねない。反省。

でも、箱根駅伝で走っているようなランナーはだいたい20km/hくらいで走ってるんだよねー。ジムのインストラクターの先生の話によると、彼らは体重がめちゃくちゃ軽いらしい。オレもあと30kgくらいダイエットしたら20km/hくらい出せるかなー


絶対ムリ!


さてさて、異次元の世界の彼らはおいといて、僕は僕なりに昨日の走りを振り返るとすごくよくて、とくに40分くらいからがよかった。初めの30分は探り探りだったのだけど、40分くらいから吹っ切れた感があった。いわゆるランニングハイなのかもしれないけれど、体調の不安もさることながら、なんというか、仕事の不安やら、日常の不安やら、人生の不安やら、なんかそういう煩わしいことがいい意味でどうでもよくなって、表情が険しくなるのとは逆に、なんだか表情がすごく穏やかになったのを感じた。


疲れ切ってはいるが、それが不思議な陶酔感となって彼に感ぜられた。彼は自分の精神も肉体も、今、この大きな自然の中に溶込んで行くのを感じた。その自然というのは芥子粒程に小さい彼を無限の大きさで包んでいる気体のような眼に感ぜられないものであるが、その中に溶けて行く、   それに還元される感じが言葉に表現出来ない程の快さであった。何の不安もなく、睡い時、睡に落ちて行く感じにも多少似ていた。一方、彼は実際半分睡ったような状態でもあった。大きな自然に溶込むこの感じは彼にとって必ずしも初めての経験ではないが、この陶酔感は初めての経験であった。これまでの場合では溶込むというよりも、それに吸込まれる感じで、或る快感はあっても、同時にそれに抵抗しようとする意志も自然に起るような性質もあるものだった。しかも抵抗し難い感じから不安をも感ずるのであったが、今のは全くそれとは別だった。彼にはそれに抵抗しようとする気持ちは全くなかった、そしてなるがままに溶込んで行く快感だけが、何の不安もなく感ぜられるのであった。

志賀直哉『暗夜行路』)


僕がよく引用するフレーズで、以前にヨガのレッスンに参加しているときにもこんな気持ちになったのだけど、今回もこんな感じだった。




表情が穏やかになるといえば、この子の歌声を聴いているときもそうだ。



ツイッターのタイムラインにたまたま流れてきたのだけど、メアリー・ルー・ロードの娘さんらしく、ネットでも話題になってるし、僕もびっくりしたけど、


おかあさん、そっくりじゃん!


風貌もそうだけど、歌声もそっくり!



Mary Lou Lord - Lights Are Changing



声楽的に正しいとか正しくないとか分からないし、彼女がどのジャンルに属するのかも知らないけど、ウィキペディアで調べたら、ニルヴァーナ界隈のアーティーストをグランジ(汚れた、薄汚い)というらしく、ロック音楽のジャンルのひとつらしく、メアリー・ルー・ロードや娘さんのアナベル・ロード・パティもその一派ということになるのかもしれないけれど、そんなことはどうでもよくて、親子そろって声がすごく綺麗だよね。


っていうか、この声


"好き"





1月12日(土)

大泉洋的な...



2019年も始動。

昨年けっこう体力を削って働いたので、まずは様子を見つつ。平日は22時までで深残は控えて、土曜日の仕事も平日よりは緩めに働くから大丈夫なのだけど、やっぱり朝がつらい。平日の疲れを平日のうちに解消できておらず、疲れが残った状態でのスタート。

なんとか仕事をこなして、今日はジムが開いてる時間に帰れたのでランニング。8km走って、1km歩く。もうちょっと走りたいのだけど、体力が落ちてるから、当面は週一でこの距離を走ることを目標にしよう。

それつけても運動不足が深刻だ。なんとかしないと....




さてさて、友だちから勧められたマンガを正月から読み始めて、けっきょく最後まで読みきってしまった。『恋は雨上がりのように』、略称、


恋雨


主人公がじぶんに近いから、とは言っても近いのは年齢だけなのだけど、ついつい感情移入して読んでしまった....

そう言えば、このマンガは映画化されていて、主人公を大泉洋が演じたんだよねー


「恋は雨上がりのように」予告


そうだよなー、そろそろ、じぶんにも大泉洋的な魅力がじわじわっと滲みでてきてもいい頃なのに、オレのなかには大泉洋がこれっぽっちも見当たらねーなー


残念だ。


ま、今年もがんばろー





1月6日(日)

のんびり




明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。


お気づきのとおり、ブログを引越しました。というか、今まで利用していたブログが3月末で閉鎖するらしく、立ち退きを命じられたので渋々。


10年くらいブログを書いているのに、まだ新しいブログの書き方に慣れません。


枠と線を多用するこれまでの書き方が染み付いてしまっていて、新しい書き方に違和感なくフィットするまでに少々時間がかかりそうです。。。




さてさて、年末年始は、のんびり過ごすことができました。昨年は仕事が忙しく、連休というのは約1年ぶり、つまり昨年のお正月以来だったので、やりたいことや読みたい本がたくさんあったのだけど、のんびりしていたら、あっという間に終わってしまいました。


でも収穫もありました。久しぶりに音楽をたくさん聴きました。特にいままでほとんど聴いてなかったヒップホップをたくさん聴きました。





今を時めく、ライゾマの真鍋くんやサイトーとは大学の同期だったので、彼らのイベントにもちょいちょい行っていたのだけど、今から思えばけっこう贅沢な経験をしていたのだけど、当時はヒップホップを全然聴いてなかったし、全然わからなかったので、ただ単に「大きなスピーカーで音を浴びていたら気持ちいい〜!」って感じで、アホみたいな聴き方しかしてなかったので、じぶんのなかに何にも蓄積されず、何にも育むことができませんでした。



rhizomatiks.com



それが今になって、というのは遅すぎるのだけど、まだまだハマるところまでは行ってないのだけど、ヒップホップが楽しく聴けるようになってきました。




Kendrick Lamar - Sing About Me (HD Lyrics)



大和田 ケンドリックのストーリーテリングに特徴的な人称/ペルソナの操作も、この『good kid, m.A.A.d city』で萌芽します。語り手というかたちで友達の兄やセックスワーカーの女性、そして両親に憑依しながら物語を展開させていく。


磯部 視点の多さはこのアルバムの特徴ですよね。ラップ・ミュージックに対するステレオタイプとして、一人称の音楽だというものがあります。ラッパーはまず自分の人生や生活実感を歌うものだという認識で、実際にそういうタイプが多いわけですが、『good kid, m.A.A.d city』でケンドリックが試みたのは、“グッドキッド”という主役を設定しながらも、“マッドシティ”=コンプトンで暮らすさまざまな人々の「声」を代弁するということでした。


吉田 ギャングスタ・ラップがヒットした背景には、もともと怖いもの見たさで、普通は見ることのできないストリートやギャングの生活を覗いてみたいというリスナーの欲望がある。これはギャング映画なんかでも同じですね。ケンドリックがこのアルバムでやったのは、これまでギャングスタの一人称だけで語られていたところを、同じフットで暮らす周囲の人々を多人称的に描き出すことで、立体的な物語にした。様々な視点のカメラで映画を撮るような感覚ですね。ダークツーリズムのような感覚でスラムを覗き見るようにこれまでのギャングスタ・アルバムを聴いていたリスナーを、ある意味でもっと深くギャングスタ・サイドに誘い込んで、経験させてくれるわけですね。もし本当にこちら側に来たらこんな目にあうんだぞと。


磯部 ケンドリックはコンシャス・ラップもできるし、ギャングスタ・ラップもできるという話が出ましたが、『good kid, m.A.A.d city』はまさにそういう作品ですよね。グッドキッドが主役なのでマッドシティの社会的背景を問う作品かと思いきや・・・・いや、そういう側面もあるんですが、意識の高いラップを物足りないと感じるような、ゴリゴリのラップを好むリスナーを楽しませるギャングスタ・ラップ・アルバムでもある。そこでは、オリジナル・ギャングスタ・ラッパーのMCのエイトや新世代ギャングスタ・ラッパーのジェイ・ロックといったゲストも効いているんですけど、何より、グッドキッドがギャングに出会したり、ハード・ドラッグでぶっ倒れたり、酷い目に会う描写の臨場感が凄いんですよね。つまり、ギャングスタ・ラップというと、これまではギャングスタ目線だったわけですけど、ケンドリックはギャングスタに怯える一般市民目線で同ジャンルを再構築。しかも、エンターテインメントとして。言わば、マッドシティという舞台で展開されるホラー/パニック映画というか。


大和田 さらに、このアルバムではフラッシュバックの手法による時間軸の操作が行われたりもするんですよね。つまり、文学作品の「語り」の工夫が、このアルバムには凝縮されている。「詩的正義」(Poetic Justice)なんて17世紀以来の文学用語でもありますし。


磯部 同名曲で使われた"Poetic Justice"という言葉には、そのような文学的な意味と共に、ジャネット・ジャクソン主演で、2パックも出演した恋愛映画『ポエティック・ジャスティス 愛するということ』(1994年)も掛け合わせられています。2パック・フリークのケンドリックならではのアイディアですが、ハイカルチャーサブカルチャーを組み合わせているところも実に彼らしい。


吉田 当然ながら2パックの影響は大きいですよね。『good kid, m.A.A.d city』のリリース後に、ケンドリックが25枚のフェイバリット・アルバムを挙げているんですが、彼がラップを始めるきっかけとなったDMXやビギーなどに加えて、2パックの『Me Against the World』(1995年)も入っています。そこに収録されている「Death Around the Corner」は、「どこを歩いていて俺の周りを死が取り囲んでいる」という曲で、ケンドリックは2パックがどういう「空間」(space)のもと、どのように周囲に緊張をはりめぐらせながら生きているのかがそのまま伝わってくるのがいいと言っている。『good kid, m.A.A.d city』収録曲「Sing About Me, I'm Dying of Thirst」は、まず殺された友達の兄、次いでセックスワーカーの話をして、最後に自分が朝起きて鏡を見て、「今日が自分の最後の日になるかもしれない」ということを考える自身のリリックで終わる。「Genius」にケンドリック自身がこの曲を解説したインタビュー文が載っているんですが、自分がストリートのコーナーを曲がった先にいつ車が待機していて、撃たれるかわからない。たとえ逃げおおせたとしても、反対側のコーナーにはまた別の車が待っているかもしれない、というコンプトンで生きることの極限的なストレスについて述べている。だから歌詞中の頻繁に登場する"corner"は、2パックが生きた空間でもあり、背後にいつも死の気配を感じさせられる人生を象徴的に示したものと言えます。

そこで重要なのが母親の存在で、彼女はケンドリックを"向こう側"へ行かせないために、つねに留守電を入れて引き留めようとするんですね。ケンドリックの楽曲における母親というモチーフはいろいろと面白くて、「FEAR.」(『DAMN.』)のバースでは「〜しないとケツ叩くわよ」と延々と注意し続ける、お叱りラップですね(笑)。母親は庇護者でありながら抑圧者としても描かれる、複雑なフィギュアの持ち主なんです。


大和田 ひとつのアルバム内でこれだけさまざまなストーリーテリングの装置が使われていることを考えると、ケンドリックがノーベル文学賞すらも獲れるんじゃないかと言われていたのも頷ける気がします。


磯部 リード・シングルである「Swimming Pools(Drank)」も、酩酊したようなビートの上で「プールいっぱいの酒に飛び込む」と歌うサビだけを聴くとパーティ・チューンのようですが、ヴァースではアルコールに翻弄される人々を延々と描写していて、フロアで聴くと奇妙な気持ちになりそうです。皮肉が効いているとも、メタ的だとも言えるし、ギャングスタ・ラップに対する態度やBワードの使い方と同じで、アルコールを含めたドラッグに警鐘を鳴らす一方、明確には否定せず、悪い雰囲気を醸し出すための小道具として多用するところはあざといなあとも思いますね。もちろん、それが彼の作品の、善悪、虚実入り混じった魅力になっているわけですが。


吉田 ケンドリック自身がインタビューで「こんな作品は今までになかったから、1冊の本にしたいくらいだ」と語っていますね。色々な場面で書き溜めたメモをコラージュ的に組み合わせてリリックを作っていたようだし、ケンドリックにとってあのアルバムはラップ以上にひとつのテクストの塊だったのではないか。ただ彼のメタ視点が全篇に行きわたっているものの、ラップの場合は常に地の文があるわけではないから、そういう意味では小説というより戯曲的ですよね。ケンドリックはラップを戯曲化したと言ってもいい。でも、あまりのスキのない“でき過ぎっぷり”と、あの純粋そうな笑顔がズルイなという感じで、「優等生」という批判的な見方につながったんだと思います(笑)。


大和田俊之、磯部涼、吉田雅史 鼎談「USヒップホップの交差する地平」『ユリイカ2018年8月号 特集:ケンドリック・ラマー』所収 pp.144-146.



ケンドリックのキャリアを見通したとき、『To Pimp a Butterfly』はやはり、かなり戦略的にブラックネスを演じたものだったように思える。戦略的に演じたと言っても、悪い意味ではない。それは、目のまえに広がる黒人差別に対抗するという切実さを含んだものだ。しかし、「どこから来たか」という問いのもと、ケンドリックの音楽をアフリカという単一の起源に押し込めてはいけない。それが一面的な事実だとしても、ケンドリックの音楽にはそれ以外の線も走っている。Gファンクであると同時に、ジャズであること。ヒップホップであると同時に、インディーロックであること。それら複数的な線の交点として、ケンドリックが「どこにいるか」を捉えるべきだ。

こんなことを書くのは、ヒップホップという表現形式がすでに、アフリカン・アメリカンという人種的なアイデンティティから乖離し始めていると思うからだ。ヒップホップはアイデンティティ・ポリティクスの一表現である、というテーゼは、黒人においてさえ問い直されなくてはならないのではないか。例えば、サウス系の代表格、リル・ウェインによる「BLM(Black Lives Matter)とはつながりを感じない」という発言には、そのような問いかけが含まれている。BLMは大事なムーヴメントだし、人種差別も許してはいけない。しかし、黒人であることが同時に貧困を意味していたヒップホップ黎明期とは時代が違うのも、またたしかだ。白人の貧困層も黒人のエリート層も存在している現在、人種的なアイデンティティによる連帯はどのように可能なのか。

ケンドリック・ラマーは現時点において、アフリカン・アメリカンというありかたを引き受けている。しかし、ケンドリックが体現している音楽はすでに、いわゆる黒人性にとどまっていない。表面的には黒人性を強く打ち出しながらも、黒人/白人といった人種的区分を超えて無方向に飛散するケンドリックの音楽は、そのリリックやパフォーマンス以上に、政治性を潜ませている。新しい時代の政治性を。それを見極めるためにも、ケンドリックに問うべきはやはり、どこから来たかじゃねえんだよ、どこにいるかなんだよ。


矢野利裕「どこから来たかじゃねえんだよ、どこにいるかなんだよ ケンドリック・ラマーに引かれる複数の線」『ユリイカ2018年8月号 特集:ケンドリック・ラマー』所収 p.176.



なるほど....


世界情勢がどうなるか分からないので、さすがに今年は新聞を読もうと思っているのだけど、トランプや習近平といった要人の動向を追うだけではなく、ケンドリック・ラマーのような才能あふれるアーティストが、どのような方向へ創作活動を進めてゆくのかも見ておいたほうがよいですね。




そう言えば、もう一つ気になる動きがあって、Perfume(パフューム)が、米最大音楽フェスCoachella《コーチェラ2019》に出演するらしい。





大和田 アジアの音楽がアメリカに進出するときの困難は、向こうのサウンドに合わせないと、そもそも他者としてすら認識されないことだと思う。他者として認識されるためには、度量衡をアメリカのサウンドと共通にさせておく必要があるというか。よくいうんですが、Perfumeきゃりーぱみゅぱみゅアメリカで伸び悩む一方でBABYMETALがウケているのは、ハードロック/ヘビーメタルという世界共通のルールに則っているからなんですよね。そもそもサウンドをきちんと合わせないと「アジアらしさ」が伝わらない。

(同上 p.157.)



確かに....


アメリカって自由の国というイメージが強いけど、契約社会とよく言われるように、ルールの縛りがきつい。例えば、野球のように向こうのルールに合わせた枠組みのなかで、大谷選手のように自らの才能を表現する場としては、アメリカはもっともやり甲斐のある場所だけど、こちらで作ったルールで乗り込んで行っても、全然相手にされない。


とは言っても、Perfumeアメリカに受け入れられつつあるように感じます。それに真鍋くんたちが今やっていることと学生時代にやっていたことが、だんだんシンクロしてきているような気がします。渋谷のレコード屋や中目黒のクラブに入り浸っていたあの頃が、新たなシーンとして、単一ではない複数的な線の交点として、結実しつつあるようです。




[Official Music Video] Perfume 「Future Pop」



オレもがんばろー












 日記Z2018年12月












 阪根Jr.タイガース


 阪根タイガース


日記Z 2018年12月





12月30日(日)

年末年始はゴルフ、映画鑑賞、読書とゆっくり栄養補給したいと思います。購入したのはこの三冊。










アメリカ南部には以前から興味があって、それは「南部はアメリカのパワーの源」だと思うからで、これまで、フットボール、宗教という観点からアメリカを見ていたのだけど、あとアメリカの音楽についても知りたいと思っていた。



そして今日、本屋をぷらぷら歩いていたら、ちょうど良い本がみつかったので、さっそく買って、読み始めた。すごく面白い。



里中: ペンキも塗っていない掘っ立て小屋に生まれ、小麦粉用の袋を縫い合わせた下着をつけ、生きるために窃盗をくりかえしていた少年時代。しかし、そこから身を起こしたJBはいつも自信満々でした。どのインタビューを見ても、その自信に揺るぎがない。ワニのようにニカっと笑う表情にも自信がみなぎっている(笑)。


バーダマン: 黒人文化では、自画自賛(brag)は自己主張のあらわれだし、大言壮語(boast)はユーモアとして好意的に受け入れられます。JBはそれらを体現していました。また、派手なふるまいや見せびらかしは白人文化の枠組みでは品のない行為と受けとめられることが多いけど、黒人文化では見せびらかしは「ショーボート」(showboat)と呼ばれ肯定的に評価されます。


里中: 黒人民衆の精神的リーダーだという自覚もあった。キング牧師が亡くなったときは、ラジオをつうじて黒人たちに平静を呼びかけましたね。


バーダマン: 公演先のボストンでは、急きょTV中継をすることになり、「家にとどまって俺のショーを観るように」と呼びかけ、危惧された蜂起をおさえた。全米各地で暴動が起こったけど、JBの呼びかけを聞いた地域だけは大きな混乱は生じませんでした。


里中: 極貧から這いあがり、黒光するグルーヴでソウル・ミュージックの星となったJB。彼は黒人社会の希望の星でもあった。なんといっても、Say it loud   I'm Black and I'm proud.(大声で言えよ、黒人であることを誇りに思っているって)ですからね。JBのファンクには、つねにむきだしの情熱がほとばしっていた。〔Get up (I Feel Like Being a)Sex Machine〕では、「ゲロッパ」(Get up)と「ゲローナップ」(Get on up)のやりとりだけで見事なグルーヴ感をつくりあげている。トロンボーンのフレッド・ウェズリー、アルト・サックスのメイシオ・パーカーなどのバックアップ・メンバーも素晴らしい。


バーダマン: ファンクが目指すものは「連帯感」。パフォーマーとオーディエンスのあいだでコール&レスポンスをやるけど、あれも魂(ソウル)の連帯を確認している。





ジェームス・M・バーダマン、里中哲彦『はじめてのアメリ音楽史ちくま新書pp.196-197.








みなさま、良いお年を!





12月23日(日)

ハロー、メリイ、クリスマアス。




明日と明後日は仕事なので、クリスマスという気分に浸れるのも今日しかないか。とは言っても、ケーキを食べたい年頃でもないし、みんなでワイワイという質でもない。ひとりの時間をつくって静かに本でも読んでいたい。



さて、クリスマスにちなんで何を読もうかと考えた。太宰にしようか安吾にしようか。この二択がすでにおわっているのだが、後者を選んだことで、さらにというか、絶望的に終わった感がある。



小説は、意味を持たせない方がよいと思うが、安吾ほどの意味のふくませ方、理屈っぽさは、読んでいても鼻につかなし、すぅーっとこころに落ちる。それにつけても、安吾の小説に出てくる女というのは、なぜこうも怖いのだろうか。




桜の森の満開の下 (講談社文芸文庫)

桜の森の満開の下 (講談社文芸文庫)






桜の森の満開の下



桜の花の下へ人がより集まって酔っ払ってゲロを吐いて喧嘩して、これは江戸時代からの話で、大昔は桜の花の下は怖ろしいと思っても、絶景だなどとは誰も思いませんでした。


女はそこにいくらかやる瀬ない風情でたたずんでいます。男は悪夢からさめたような気がしました。そして、目も魂も自然に女の美しさに吸いよせられて動かなくなってしまいました。けれども男は不安でした。どういう不安だか、なぜ、不安だか、何が、不安だか、彼には分からぬのです。女が美しすぎて、彼の魂がそこに吸いよせられていたので、胸の不安の波立ちをさして気にせずにいられただけです。


なんだか、似ているようだな、と彼は思いました。似たことが、いつか、あった、それは、と彼は考えました。アア、そうだ、あれだ。気がつくと彼はびっくりしました。


桜の森の満開の下です。あの下を通る時に似ていました。どこか、何が、どんな風に似ているのだか分かりません。けれども、何か、似ていることは、たしかでした。彼にはいつもそれぐらいのことしか分からず、それから先は分からなくても気にならぬたちの男でした。


女は大変なわがまま者でした。


女は櫛だの笄だの簪だの紅だのを大事にしました。彼が泥の手や山の獣の血にぬれた手でかすかに着物にふれただけでも女は彼を叱りました。まるで着物が女のいのちであるように、そしてそれをまもることが自分のつとめであるように、身の廻りを清潔にさせ、家の手入れを命じます。その着物は一枚の小袖と細紐だけでは事足りず、何枚かの着物といくつもの紐と、そしてその紐は妙な形にむすばれ不必要に垂れ流されて、色々の飾り物をつけたすことによって一つの姿が完成されて行くのでした。男は目を見はりました。そして嘆声をもらしました。彼は納得させられたのです。かくして一つの美が成りたち、その美に彼が満たされている、それは疑る余地がない、個としては意味をもたない不完全かつ不可解な断片が集まることによって一つの物を完成する、その物を分解すれば無意味なる断片に帰する、それを彼は彼らしく一つの妙なる魔術として納得させらたのでした。


男は山の木を切りだして女の命じるものを作ります。何物か、そして何用につくられるのか、彼自身それを作りつつあるうちは知ることが出来ないのでした。それは胡床と肱掛でした。胡床はつまり椅子です。お天気の日、女はこれを外へ出させて、日向に、又、木陰に、腰かけて目をつぶります。部屋の中では肱掛にもたれて物思いにふけるような、そしてそれは、それを見る男の目にはすべてが異様な、なまめかしく、なやましい姿に外ならぬのでした。魔術は現実に行われており、彼自らがその魔術の助手でありながら、その行われる魔術の結果に常に訝りそして嘆賞するのでした。


(中略)


彼は模様のある櫛や飾のある笄をいじり廻しました。それは彼が今迄は意味も値打ちもみとめることのできなかったものでしたが、今も尚、物と物との調和や関係、飾りという意味の批判はありません。けれども魔力が分ります。魔力は物のいのちでした。物の中にもいのちがあります。


桜の森は満開でした。一足ふみこむとき、彼は女の苦笑を思いだしました。それは今までに覚えのない鋭さで頭を斬りました。それだけでもう彼は混乱していました。花の下の冷たさは涯のない四方からどっと押し寄せてきました。彼の身体は忽ちその風に吹きさらされて透明になり、四方の風はゴウゴウと吹き通り、すでに風だけがはりつめているのでした。彼の声のみが叫びました。彼は走りました。何という虚空でしょう。彼は泣き、祈り、もがき、ただ逃げ去ろうとしていました。そして、花の下をぬけだしたことが分かったとき、夢の中から我にかえった同じ気持ちを見出しました。夢と違っていることは、本当に息も絶え絶えになっている身の苦しさでありました。


けれども彼は女の欲望にキリがないので、そのことにも退屈していたのでした。


あの女が俺なんだろうか? そして空を無限に直線に飛ぶ鳥が俺自身だったのだろうか? と彼は疑りました。女を殺すと、俺を殺してしまうのだろうか。俺は何を考えているのだろう?


彼はふと女の手が冷たくなっているのに気がつきました。俄に不安になりました。とっさに彼は分かりました女が鬼であることを。突然どッという冷たい風が花の下の四方の涯から吹きよせていました。


男の背中にしがみついているのは、全身が紫色の顔の大きな老婆でした。その口は耳までさけ、ちぢれた髪の毛は緑でした。男は走りました。振り落そうとしました。鬼の手に力がこもり彼の喉にくいこみました。彼の目は見えなくなろうとしました。彼は夢中でした。全身の力をこめて鬼の手をゆるめました。その手の隙間から首をぬくと、背中をすべって、どさりと鬼は落ちました。今度は彼が鬼に組みつく番でした。鬼の首をしめました。そして彼がふと気付いたとき、彼は全身の力をこめて女の首をしめつけ、そして女はすでに息絶えていました。


彼の目は霞んでいました。彼はより大きく目を見開くことを試みましたが、それによって視覚が戻ってきたように感じることができませんでした。なぜなら、彼のしめ殺したのはさっきと変わらず矢張り女で、同じ女の屍体がそこに在るばかりだからでありました。


彼の呼吸はとまりました。彼の力も、彼の思念も、すべてが同時にとまりました。女の死体の上には、すでに幾つかの桜の花びらが落ちてきました。彼は女をゆさぶりました。呼びました。抱きました。徒労でした。彼はワッと泣きふしました。たぶん彼がこの山に住みついてから、この日まで、泣いたことはなかったでしょう。そして彼が自然に我にかえったとき、彼の背には白い花びらがつもっていました。


そこは桜の森のちょうどまんなかのあたりでした。四方の涯は花にかくれて奥が見えませんでした。日頃のような怖れや不安は消えていました。花の涯から吹きよせる冷めたい風もありません。ただひっそりと、そしてひそひそと、花びらが散りつづけているばかりでした。彼は始めて桜の森の満開の下に坐っていました。いつまでもそこに坐っていることができます。彼はもう帰るところがないのですから。


桜の森の満開の下の秘密は誰にも分かりません。あるいは「孤独」というものであったかも知れません。なぜなら、男はもはや孤独を怖れる必要がなかったのです。彼自らが孤独自体でありました。






孤独自体.....





合掌。





合掌というのは、クリスマスとはちょいと違うような気がする。やはり今日読むのは、太宰にしておくべきであったか。




安吾も悪くなかったが、もうちょい、軽やかで、温もりのあるほうがよかったかな 汗。。。





ハロー、メリイ、クリスマアス。













12月16日(日)

ロナウドとエマちゃん






昨晩は仕事で遅くなったので、無理をせずにゴルフの朝練と朝ランをキャンセル。朝は体を休めて、昼から所用を済ませて、夕方からジムのレッスンに参加。ジムでは、モチベーションをあげるためにサッカーのユニフォームを着てる。いわゆる成りすましってやつね。最近のお気に入りは、



C.ロナウドのユーベ・ユニ!



スタジアムの興奮そのままにテンションあがる〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!



ユーベに移籍しても、あいかわらずの活躍っぷり!



あっぱれ!



スタジアムの空気を一瞬で変えてしまう、C.ロナウドのようなスーパースターが、2019年に、我がタイガースにも出現することを願っている!



SIUUUUUU!!!!!!






そうそう、サッカーと言えば、最近、ロナウド以上に、僕に元気をあたえてくれているのが、



スタジアムで歌うエマちゃん!



大観衆をまえに物怖じするどころか、こぶしまできいている 笑






トランプは、アメリカの真のパワーを捉え違えているのではないか?



エマちゃんに、あっぱれ!!!






12月9日(日)

レーニン






土日をフルに休むというのが難しい状況にまたなってきたので、今日まとめてトレーニング。ゴルフ朝練からのジムで朝ラン7km(10km走りたかったが無理だった...)、夕方にもう一度ジムに行って、筋トレ系のレッスンと格闘技系のレッスンに参加。筋トレ系のレッスンだけでもけっこう汗をかいた。この2週間ほど、ほとんど筋肉を使ってないから無理もない。



本当は、以前のように生活のリズムを整えて、朝型に戻して、仕事帰りに週2,3回ほど適度な運動をするようにしたいのだけど、それは、ま、夢のまた夢だな。






キングダム




遅まきながら《キングダム》にはまってます。。。





中国の歴史に興味があって読み始めたのがきっかけだけど、そんな堅苦しいこと関係なく、とても面白い。しかもスマホで読めるから、わざわざ漫画喫茶にこもって読まなくても次々読めてしまう。



不思議なもんで、本は紙じゃないとぜんぜん頭に入らないからダメなのだけど、マンガはスマホの方が断然よみやすい。ま、月末の請求額がおそろしいことになっているというのは疑う余地がないのだが....



これくらいの散財はゆるせ!



でも、ちゃんと元が取れるというか、



《キングダム》の信


《ワンピース》のルフィ


ドラゴンボール》の悟空

自分のなかに冒険王がいるというのは、心理的にプラスになる。



ただただ忙しいだけの単調な毎日で、



「えっ、今年ももう終わるのか! 」



というのをここ数年くり返しているし、人生ってそういうものなのだろうけど、そんな退屈な毎日に活気をもたらしてくれるというか、自分のなかに冒険王がいると、物事に前向きに取り組めるようになる。



コラムニストのブルボン小林氏は云う。



漫画を読むという行為について確実に言えることが一つあって、それは間違いなく読者が平和だということだ。


戦場で銃弾飛び交う中、漫画本をめくる兵士はいない。殺人鬼に追われる最中に漫画をめくる人もいない。漫画を読む姿のイメージは、かぶき揚げでもかじりながら寝転がっている感じだろう。


(『ザ・マンガホニャララ』より)

まったくその通り!



この名言を伊藤潤二作品を紹介する枕にするところが、これまた心憎いのだが、



いやー、まー、マンガを読んでいるときというのは本当に平和なんですよ!



家でも電車のなかでもカフェでも、いつでもどこでも。



ほんとに平和!










しかしながら《キングダム》で、僕にいちばん元気を与えてくれていた麃公さんがさきほどお亡くなりになりました。残念だ(涙)。



いい顔をしていた。ほんとに!





合掌






ザ・マンガホニャララ 21世紀の漫画論

ザ・マンガホニャララ 21世紀の漫画論




12月2日(日)

テキトーが死んでる




仕事がまた忙しくなってきて、体調を崩して喉をやられた。1ヶ月くらい咳がとまらなくなるという例のアレだ。毎年疲れがたまってくると喉が炎症をおこして咳で夜も眠れなくなるので、今回は「またきやがったな!」と咳が出はじめて3日目くらいに、早々に医者に行った。先手必勝という訳である。



医者から薬をもらい、「よし、これでもう大丈夫!」と安心しきっていたのだけど、「あれ?おかしいなー?」、なかなか治らない。とうとう鼻水もとまらなくなってきたので、たまらずもう一度医者に行った。



「あらら、のどが腫れてきちゃったねー、薬よわかったかー、あはは....」



あはは、じゃねーよ。まったくよー



でも、ま、医者の考えもわからなくはない。こちらが早めに仕掛けたものの、医者は「まだまだ症状は軽い、まずは様子を見よう」と思ったのだろう。その後、お互いに意気投合? 予想通り、症状はだんだん悪化してきた。そして、はっきり悪いと分かったところで、「やっぱりダメだったかー」と言わんばかりに、本命の薬を処方してきたのだった。



まんまと医者のペースに嵌められた訳だが、結果的にはこれがベストだったのだと思う。こちらとしては、「1回でガツンとやっつけてくれ」と思ってしまうものだけど、少々時間をかけて、容態を見ながら、対応を判断する。やはり無理して治そうとするのが一番悪い。



今日は、観劇して(iakuよかったです!)、ジムのレッスンにも参加。体調も回復してきて、生活のペースもつかめつつある。





読書





そんなこんなで、時間がかかってしまったけれど、國分功一郎さんの『中動態の世界』を読了。いい本だった。特に最後の2章は、読んでいて行間から國分さんの熱い息遣いが感じられるほどのパワーがあった。



本論では「意志」についての探究からはじまり、最後「本質」を論じるところまでたどり着く。前作『暇と退屈の倫理学』から、僕は「仕事とのキョリの取り方」を学んだ。そして本作『中動態の世界』から、僕は「仕事の質」とは何かを学んだ。とりわけ「コナトゥス」なる概念がすこぶる気に入った!








『中動態の世界』はまだ僕の頭のなかに定着していないので、思考が展開するのはまだまだこれから。「意志=過去との断絶=ゼセッション=近代」、あと石岡良治さんの議論だけれども「意志/意欲=本質=芸術意欲(kunstwollen)=芸術学=ウィーン学派」との関連も調べたいと思う。



ま、これは死ぬまで考えつづけるようなことだから置いといて、この機会に読み返した『暇と退屈の倫理学』について、以前じぶんが書いた原稿がなかなか面白かったので振り返ってみようと思う。









テキトー論(2012年・秋)




昨年書店員をやめて工場員になったのをきっかけに始めたこの日記? 連載?も3回目となりました。初回(『アラザル6号』所収)では、横光利一『機械』に触発されるかたちで工場員としてのモチベーションを確認し、文学としての工場員(カッコイイ!)なる方向性を探っているかに思われました。が、その半年後の2回目(『アラザル7号』所収)では期待に反してというべきか、大方の予想通りというべきか、文学色が日に日に褪せていき、とうとう本を読まなくなり、「いま、TOEICテストにはまっています!」と書きました。そして、さらに半年が過ぎました。



さてさて、3回目です。えーと、まず最初に報告しておきましょう。TOEICの勉強は飽きてやめました(笑)。すると今度は、また小説を読むようになりました。主に読むのは、古典ではなく同時代の作家です。やはり工場で働いていると残業が多く平日はほとんど働いて食べて寝るだけの生活になり、本を読むのは週末のみです。このように時間的な制約がきついのと、あと生活が単調になりがちなので、体というよりも心が、何か別の人生を自分の人生の一部として取り込みたいと要求してくるのです。だから人生の歩調を合わせやすい同時代の作家を好んで読んでいます。言ってみればサプリメントのようなもので、これは本物の読書とは言えないかもしれませんが、心が強く求めてくるのだから仕方ありません。



よく読むのは、保坂和志柴崎友香阿部和重川上未映子古川日出男長嶋有戌井昭人、前田司郎、福永信などなど。他の作家も読みたいし、たまに読むこともあるのですが、最近はどの作家も新刊の出るペースが速いので、あまり手を広げず同じ作家を続けて読むことにしています。彼、彼女らは独自の文体を持っていて、知識云々ではなく、軽い言葉で言えば、空気を僕に運んでくれますし、大げさに言えば、世界を僕に与えてくれます。なかでも長嶋有戌井昭人の小説は、出てくる人や流れている時間、これはもう軽い言葉ではなく、まさに空気が醸し出されていて、あれよあれよという間に僕を包み込んでしまいます。そんな期待を持って、戌井昭人の新作小説『ひっ』を読んだのでした。





鉄割アルバトロスケット




戌井昭人さんは小説家でもありますが、劇作家・俳優としての方が有名かもしれません。《鉄割アルバトロスケット》という劇団?の座長?、なんだか全然わからなくて、もうめちゃくちゃですが、好きです。はい。












○『ひっ』について語る理由




今回、これから『ひっ』について語ろうと思うのですが、それには3つの理由があります。



1つ目は、



『ひっ』の著者である戌井昭人さんと哲学者の國分功一郎さんのトークイベントを実現したい!



からです。「なぜこのふたりなの?」という疑問については、以下を読めば分かってもらえると思います。僕自身は書店員をすでに辞めたのですが、まだ書店員気質が完全には払拭されていないようです。現役の書店員で「なるほど、面白い!」と賛同してくれる方がいらっしゃれば是非開催をお願いします!



2つ目は、『ひっ』を読んだときの意外な第一印象でした。



「あれ? これ、うまく書けてない。僕からみたらテキトー極まりない戌井さんが全然テキトーに書けてない!」



『ひっ』も戌井さんの以前の作品である『まずいスープ』や『ぴんぞろ』と同様に、とある人物の魅力がモチーフとなって、その魅力に戌井さんが惹きつけられるかたちで小説が書かれています。これはもう戌井さんの当初からの一貫した創作スタイルと言えるでしょう。人柄、雰囲気、またその人が巻き起こす、巻き起こしてしまう、あるいは巻き込まれてしまう出来事、もちろんその人の生まれてから死ぬまでが詳細に書かれている訳ではありませんが、実際に書いてあるのがたった1つのエピソードであっても、もうその人の人生そのものと言ってしまってよいくらいの実感を読者に与えてくれます。



しかし、『ひっ』はなんと言うべきか、読んだときの感触がこれまでの戌井さんの小説と決定的に違うのです。確かに話は面白いのですが、真面目に書きすぎているといか、とにかく堅いんです。「どうしてこうなっちゃったんだろう? 」という疑問について考えみようと思ったのが2つ目の理由。



3つ目の理由は、『ひっ』の帯に書かれている



「テキトーに生きろ」




というメッセージが気に入ったからです。書店員の時は「とにかく残業はしないように」と口を酸っぱくして言われましたが、工場員になると今度は残業が当たり前になりました。工場はつくってなんぼですから、工場全体がどうしてもハードワークになっちゃうんですね。そこで働く僕にとって、働くこととどう折り合いをつけるかは目下、最大の悩みです。働きすぎても自分を壊すだろうし、サボったらクビになるだろうし、さて、どうしようか?



そんなとき、『ひっ』を手に取って目に飛び込んできた言葉が、「テキトーに生きろ」でした。「おいおい、滅茶苦茶言うなよ!」と思いつつ、でも、結構いいかもって(笑)。





○『ひっ』について




さてさて前フリはこの程度にして、そろそろ『ひっ』についての話を始めましょう。『ひっ』は俗にいうダメ人間である主人公(おれ)が、どうやって生きようかとダメなりに必死に考えるというお話です。考えるといっても本を読んだり、立ちどまって考えあぐねるという感じではありません。なんとなく生きながら、過ぎてゆく時間のなかで、起こること、出会う人について思いを巡らせながら、体験的に自分の人生を考えていきます。そして、はっきりと目で確認することはできませんが、おれの生き方が少しずつ変わってゆきます。



『ひっ』は、その名の通り、「ひっさん」(名前はヒサシ)という伯父が魅力ある人物として書かれています。ただその魅力というのが一癖も二癖もあって、ま、はっきり言って、魅力的どころか、とても誉められたものではありません。



ひっさんがどのような人生を送ってきたかというと、職人気質の父親とソリが合わず家を出て、ヤクザの見習いのようなことをして、屋台で客といざこざを起こしてフィリピンに逃亡。半年ぐらいで日本に戻るつもりが、そのまま居続け、拳銃の密売にもかかわりだす。そうこうするうちに仕事がヤバいので様々なトラブルに巻き込まれ、何度か殺されそうになり、さすがに見切りをつけて日本に戻る。帰国後エロ雑誌の通信講座の広告がきっかけで、薄っぺらな教則本でハーモニカを練習して半年後には楽譜が読めるようになり、カルチャーセンターのギター教室に通い一年後にはギターの腕も驚くほど上達して、作曲もできるようになる。その後、高級クラブでボーイの仕事をして、店で演奏するバンドが交通事故に遭った際に、急遽交替で演奏し、それが気に入られ、女性歌手の伴奏を毎週やるようになる。作曲のチャンスもものにして、ヒットを連発する。がある事件をきっかけに作曲家をやめて、半島でひとり隠棲して今に至る。そんなひっさんが主人公のおれに一貫して言い続けたのが、「テキトーに生きろ」であったと。



ついでにというか、主人公(おれ)の人生も確認しておきましょう。山登りばかりしていたので大学は一年留年し、卒業後はやりたいことも目的もなかったので、先輩に紹介してもらった油脂を扱う会社に入る。営業部に配属され、外回りでレストランなどの飛び込み営業をしていたが、営業成績は最悪、サボって映画観たり、サウナ行ったり、ピンサロ行ったり、あげく仕事中に酒も飲むようになる。ある日、車に跳ねられ入院する。会社には営業先の店で酒を飲んでいたのがバレてクビになる。退院して、実家に戻り、ぷらぷらして今に至る。ま、典型的なダメ人間ですな。




○『ひっ』の核心




はい、『ひっ』の主要人物であるひっさんと主人公(おれ)をチェックしましたが、いかがでしょうか。ひっさんが良くて、おれがダメという以前の問題というか、はっきり言って、ふたりともダメダメ!



このあたりのことをグダグダ言っていても始まらないし終わらないので、いきなり核心に行きます。『ひっ』の割と早い段階で、おれとひっさんが言い合うシーンが出てきます。ちょっと長くなりますが引用します。



「だいたい、なにやってんだよ毎日、おめえは」


「ぷらぷらしてんだけど」


「ぷらぷらしてるのは構わねえけど、なんにもしねえで家に居るってのは、どうにも良くねえんじゃねぇのか」


「なんにもしてない、わけじゃないけど」


「じゃあ、なにしてるんだよ」


「なにしてるっつうか」


おれは口ごもってしまった。近所に弁当を買いに行ったり、酒を飲みに行ったりしているだけだった。


「ぷらぷらしているったって、近所の野良猫以下だろ。どうせぷらぷらするなら、もっと範囲をデカくしろよ」


ひっさんは一升瓶を片手で持ち、自分の茶碗に注いだ。


「ミミズだって移動するってぇのによ。お前は糞がつまったみてえに同じ場所に居続けて、ミミズにも及ばねえよ」


「悪かったね」


「悪かったねとひらきなおってる前によ、ほら、なんか楽しいことを探せよ」


「探してるつもりなんだけどさ」


「だいたいな、つもり、なんて言ってるから駄目なんだよ。つもりつもりの前に、一歩踏み出せってんだよ」


 ひっさんはあきれた調子で、「どうするんだい本当によ」と言った。


「まあ、なんとなく生きてくつもりだけど」


「なんとなく?」


「テキトーに」


「テキトーでもなんでもねえよ、おめえは」


「ひっさんいつも言ってたろ、テキトーって」


「おれの言ってたのは、そういうテキトーじゃねえよ。生きるためのテキトーさだよ。お前のは、テキトーが死んでる



ひっさんとおれ、ふたりともダメなんじゃないかって思いますけど、このシーンではふたりの生き方(人生観)の違いを読み取ることができます。



あ、ふたりの違いを言う前にまず指摘しておかねばならないのは、ふたりとも出世街道や安定した生活という道はそもそも問題にしていない、論外だってことです。彼らにその資格がないと言えばそれまでですが、いわゆるエリートというか、そういう類いの人が『ひっ』には全くでてきませんし、主人公(おれ)もそういう人を羨ましいとこれっぽっちも思いません。このあたりはあっぱれ! と素直に感心します。



それを確認した上で彼らが言い合っているのはなにかと言えば、「なんとなく生きる」と「テキトーに生きる」の違いです。主人公(おれ)は「テキトーに生きる」ことができず「なんとなく生きている」のに対して、ひっさんは「テキトーに生きている」。ここが『ひっ』の最大のポイントであることは間違いありません。それは理解できるのですが、それでも、「なんとなく生きようが、テキトーに生きようが、どっちもどっちじゃないか?」とやはり思ってしまいます。





なんとなく なんとなく




この原稿を書いているときに、頭に流れていたのが、ザ・スパイダースの『なんとなく なんとなく』でした。





はじめ、はっぴいえんどの曲だとばっかり思い込んでいて、youtubeで探しても見つからなかったのでおかしいなーって思っていたのでした。





ま、ぜんぜん違うかー....






○『ひっ』の見どころ




ちょっと結論を急ぎすぎました。このままでは煮詰まってしまうので違うポイントも見てみましょう。『ひっ』には、おれとひっさんの関係以外にも、たくさんの見どころがあります。先ほども言いましたが、戌井さんは人をじっくり観察して、その人の魅力に取り憑かれたように小説を書きます。『ひっ』のなかには、ひっさんのほかにも重要な人物が出てきます。



○ 気球さん


まずなんと言っても気球さんです。彼は気球に乗ってハワイまで行こうとしたら海に落ちて、気づいたらこの半島に流れ着いていたらしい。家族もあったけど、自分が何処に住んでいたのか記憶がなくなり、帰ることすらできずにいるらしい。以来、本気かどうか疑わしけど漂流物や壊れた部品で気球を作っているらしく、素っ裸のまま半島の洞窟にひとりで暮らしています。気球さんはひっさんに認められていて、おれも気球さんに興味を持っているのですが、世間一般から見れば、頭がおかしい、もう終ってる人となるでしょう。彼の生き方は世間一般の尺度から完全にズレています。しかしながら、ちゃんと生きています。気球さんは気球さんとして成立しているのです。気球さんは謎めいたことや、判断根拠がよく分からないのだけど、物事の本質をついたようなことをさらっと言ったりします。あくまでも主人公(おれ)が見た気球さんなので、気球さん自身ではないので、おれが気球さんをミステリアスな人物に仕立てて、美化し過ぎているきらいもありますが、気球さんが『ひっ』におけるキーパーソンであるのは間違いありません。気球さんは、ひっさんと同じくらいテキトーに生きているという解釈でよいと思います。



○ 風俗店で出会う二人の女性


その他に印象深い人物として風俗店で出会う二人の女性がいます。まずピンサロであった女性については、図書館で働いていそうな感じで、このような店で働いているのがまったくそぐわない雰囲気だったと書かれています。そして、やるべきことはやろうとしてくれるのだけど、おれはまったく用を足せなかったと。このミスマッチを逆説的に肯定することはできそうですが、彼女に対しては否定的なニュアンスで書かれています。「なんとなく生きている」と「テキトーに生きている」の比較で言えば、彼女は「なんとなく生きている」方だと思います。少なくとも「テキトーに生きている」とは言えません。



対して、おれの知り合いがファッションヘルスで働いていて、指名するという後半に出てくる話。このシーンで登場する女性については肯定的に書かれています。作中で唯一おれが恋心を抱くシーンであり、彼女が相手だとおれはすぐに用を足してしまいます。ただ単におれのタイプの女性だったというだけの話かもしれませんが、彼女の自然な身振りや応答がおれにそうさせたのでしょう。ふたりの出会いのシーンが興味深いので引用します。



「ちょっとやだぁ、ビックリした!」


「ビックリするよね」


「そうだよ、ちょっと、やだぁ、なんでぇ?」


「いや本当に偶然で偶然なんだけどさ」


「昨日、あたしここで働いてるって話したっけ?」


「横浜でサービス業ってのは聞いてたけど」


「そうだよね、地元の人には、こういうところで働いてるって話してないもん」


「うん。だから偶然なんだよね」


「そうか偶然か。偶然凄いね」


「偶然凄いです。指名は偶然じゃないけど」

彼女について、また彼女に抱いた恋心については、「なんとなく生きる」と「テキトーに生きる」の比較で言えば、「テキトーに生きる」になると思います。その際に、ふたりの出会いが偶然かなのか? 必然なのか? このあたりが微妙なバランスで絡んできます。



○ミミズ


他にも取り上げたい魅力的な人物がいるのですが、人物についてはこのあたりに留めて、あとは小説の冒頭からでてくる「ミミズ」にまつわるエピソードを紹介したいと思います。一箇所だけ引用します。



切れた状態でもミミズは、両方とも激しくのたうちまわっている。いったいどちらに意思があるのだろうか、どちらが頭で尻なのかわからない。主体性はどっちにあるのか。しばらく眺めていたらもともと二匹だったように思えてきて、勝手ながら二つになってもせめて片方だけでも生き延びて欲しいと両方のミミズを丁寧にシャベルですくい上げ、土と一緒に「エイヤッ」と宙に飛ばした。

ミミズについては、ひっさんが「ミミズは瞬間移動する」など変なことをよく語っていたことから、ひっさんとの関連が強く、「テキトーに生きる」ことの隠喩になっていると思われます。ミミズについてのこの描写で気になるのは「意思」と「主体性」という言葉です。これがやはりキーワードとして「テキトーに生きる」ことにも関わってくるのでしょう。




○自由と自堕落



このように見どころがたくさんあって、いろんな読み方もできますが、やはり今回は、「なんとなく生きる」と「テキトーに生きる」との違いについて、またこれらに加えて、僕が冒頭で書いた『ひっ』を読んだ第一印象「真面目に書きすぎている」についても考えを深めたいと思います。この問題を考える上でヒントとなるフレーズが、なんと『ひっ』の帯に書かれています。引用します。



自由と自堕落、人の生き死にをとことん描く、天衣無縫の傑作長篇






戌井さん本人が書いたのではないと思いますが、核心的な言葉です。この「自由」と「自堕落」というのが、「なんとなく生きる」と「テキトーに生きる」の違いの言い換えとなっています。「なんとなく生きる」=「自堕落」、「テキトーに生きる」=「自由」です。これらに加えて「真面目に生きる」については、「真面目に生きる」=「不自由」と言い換えられると思います。整理します。



なんとなく生きる・・・自堕落


テキトーに生きる・・・自由


真面目に生きる ・・・不自由

こう言い換えるとかなり真っ当な問いになったような気がします。いわゆる自由論です。哲学的なテーマでもありますね。自由をテーマにした書物と言えば、J.S.ミルの『自由論』をはじめ、参考になるものが無数にありますが、ここで私が紹介したいのは、國分功一郎さんの『暇と退屈の倫理学』という本です。




國分功一郎『暇と退屈の倫理学







「えっ、暇と退屈?」という感じで唐突に思うかもしれませんが、これらは自由と強く関わったテーマであり、國分さんの著書は自由について考える上でも示唆に富んでいます。そのなかでもとりわけ興味深いのが、第五章「暇と退屈の哲学」の議論です。




ハイデッガーの退屈論




ここで國分さんは、ハイデッガーの退屈論『形而上学の根本諸概念』を取り上げます。ハイデッガーはまず退屈を二つに分けて考えます。


(1) 何かによって退屈させられること


(2) 何かに際して退屈すること

(1)は受動形であり、はっきりと退屈なものがあって、それが人を退屈という気分のなかに引きずり込んでいる。ハイデッガーはこの事例として、片田舎の小さなローカル線の、ある無趣味な駅舎で腰掛けて4時間後に来る次の列車を待っている時のことを綴っています。



対して(2)は何か特定の退屈なものによって退屈させられるのではなく、何かに立ち会っているとき、よく分からないのだけど、そこで自分が退屈してしまう。事例として、あるパーティーに招待されて参加した時のことが綴られています。料理は美味しいし、趣味もなかなかいい。食卓を囲んで会話もしたし、食事後、楽しく一緒に腰掛け、音楽を聴き、談笑し、面白く愉快であった。このパーティで退屈なものは何もない。にもかかわらず、家に帰って、私は本当は退屈していたと気づいたのだと。つまり私は何かに退屈していたのではなく、パーティに際して退屈していたのだと。



ハイデッガーは、このように「何かによって退屈させられること」と「何かに際して退屈すること」の二つの退屈を挙げ、それぞれを退屈の第一形式、第二形式とします。そして、その後三つ目の退屈、退屈の第三形式について語ります。



(3) なんとなく退屈

これはどういうことかと言えば、日曜日の午後、大都会の大通りを歩いている。するとふと感じる、「なんとなく退屈だ」と。ハイデッガーはこれを(1)や(2)よりも「深い」退屈として重要視します。(1)や(2)は何らかの具体的な状況と関連しています。しかし、最も深い(3)の退屈は状況に関わらず、突発的に現れます。だれがとか、どこでとか、どんなときにといったことに関わりません。ハイデッガーはこのようにより深い方へ(より純粋な方へと言い換えてもよいでしょう)思考を進めてゆきます。



そして第三形式において、ハイデッガーは一つの反転の論理を展開します。「なんとなく退屈だ」と感じる私たちは、あらゆる可能性を拒絶されている。すべてがどうでもよくなっているのだから。だが、むしろあらゆる可能性を拒絶されているが故に、自らが有する可能性に目を向けるよう仕向けられている、とハイデッガーは言うわけです。



ハイデッガーの思考に即して自由について考えれば次のように整理できるでしょう。



退屈の第一形式・・・不自由


退屈の第二形式・・・不自由


退屈の第三形式・・・自由の可能性がある



國分功一郎の退屈論




対して、國分さんの思考はどうか。國分さんはまず第三形式において、人間が決断を強制されることを確認した上で、ハイデッガーの思考の問題点を次のように端的に指摘します。引用します。



決断した者は決断によって「なんとなく退屈だ」の声から逃げることができた。だから彼はいま快適である、やることは決まっていて、ただひたすらそれを実行すればいい。


さて、ここで第一形式のことを思い出そう。第一形式において人間は日常の仕事の奴隷になっていた。なぜわざわざ奴隷になっていたのかと言えば、その方が快適だからだ。「なんとなく退屈だ」という声を聴かなくてすむからだ。


そうすると思いがけない関係がここに現れる。そう、第三形式の退屈を経て決断した人間と、第一形式の退屈のなかにある人間はそっくりなのだ。彼らは何かに絶対的に従うことで、「なんとなく退屈だ」の声から逃れることができているのだから。

國分さんが着目したのが第三形式において決断を下した後の人間についてです。ハイデッガーに即して考えれば、決断を下した人間は何にも束縛されない自由を獲得した人間となります。ニュアンスとしては、他の人間とは違う、人間中の人間という感じで、覚醒したというか、何かを悟った仙人のようなものと言えるでしょう。



このハイデッガーの考え方を國分さんは批判します。我々は例え決断を下したとしても以前と変わらない日常を生きるのだと。決断を下したからと言って、「なんとなく退屈だ」の声から逃れることはできない、日常の煩わしい問題を免除される訳でもない。にもかかわらず、ハイデッガーはこのように決断を下すことを何か一大事のように位置づけて、人間に決断を下すことを強要するのです。対して、國分さんはハイデッガーと異なり、第二形式の特殊性を主張します。引用します。



ハイデッガーが述べていた通り、あの第二形式には「現存在〔人間〕のより大きな均整と安定」がある。それは「正気であることの一種」であった。


付和雷同、周囲に話を合わせること  ハイデッガーは極めて否定的に第二形式の退屈のなかにある人間の有り様を描いていた。だが、第三形式=第一形式に比べるならば、人間の生はそこでは穏やかである。何しろ第三形式=第一形式において人間は奴隷なのだから。


第二形式において何かが心の底から楽しい訳ではない。たしかにぼんやりと退屈してはいる。だが、楽しいこともある。そこにもハイデッガーの言う「自己喪失」はあるかもしれない。だが大切なのは、第二形式では自分に向き合う余裕があるということだ。


ならばこうは言えないか? この第二形式こそは、退屈と切り離せない生を生きる人間の姿そのものである、と。

このように國分さんはハイデッガーが第三形式に自由の可能性を見出したのに対して、第二形式に自由の可能性を見い出します。國分功一郎の思考に即して自由について考えれば次のように整理できるでしょう。



退屈の第一形式・・・不自由


退屈の第二形式・・・自由の可能性がある


退屈の第三形式・・・不自由


○ 退屈論と『ひっ』




さて、國分功一郎さんの『暇と退屈の倫理学』における議論を簡単に紹介しましたが、これだけでも大きなヒントを得ましたね。それでは『ひっ』に話を戻しましょう。



『ひっ』における「なんとなく生きる」と「テキトーに生きる」と「真面目に生きる」は、ハイデッガーの退屈論において、それぞれどう対応するでしょうか。まず「生きる」上で「退屈」は避けられない密接な問題ですから、その違いについては敏感になることなく、そのまま置き換えてしまってよいでしょう。



退屈の第一形式 ⇔ 真面目に生きる


退屈の第二形式 ⇔ テキトーに生きる


退屈の第三形式 ⇔ なんとなく生きる

次に、それぞれの意味付けですが、退屈の第三形式「なんとなく退屈(生きる)」を重要視したハイデッガーに対して、國分さんは退屈の第二形式を重要視しました。戌井さんはどうかと言えば、國分さんのように明確に論じていませんが、「なんとなく生きる」ではダメで、「テキトーに生きる」を重要視しています。なので戌井さんと國分さんを繋いで各形式の性質を整理すると次のようになります。



退屈の第一形式 ⇔ 真面目に生きる(不自由、奴隷)


退屈の第二形式 ⇔ テキトーに生きる(自由の可能性がある)


退屈の第三形式 ⇔ なんとなく生きる(自堕落、奴隷)


ハイデッガーの退屈論の問題点




このように整理してみるとハイデッガーが退屈の第三形式に可能性を見出したことはかなり危険なことだと分かります。『ひっ』において自堕落と捉えられた「なんとなく生きる(退屈)」に可能性を見出すということは、九割九分終っているというか、一縷の望み、火事場のクソ力に賭けるということなので、積極的に求めるものではありません。どうしようもない状況で自らがやるというならまだしも、他人に強要するような方向で利用されると危険極まりない。



また第三形式において決断を下すこと、覚醒すること、何かを悟ることについて、國分さんが肯定しなかったのと同様に、戌井さんも積極的に肯定しようとはしません。



例えば戌井さんは『ひっ』のなかでいくつかのエピソードを語ります。実体験に基づいているのか否かは分かりませんが読んでいて実感が沸く、非常に優れたものです。そのなかに、登山の話とインド・ネパールを旅した話が出てきます。ま、有りがちというか、いかにも「あの時の経験があるから今の自分がいるのだ」とか、「あれで人生が変わった」とか言いそうなエピソードなのですが、それを戌井さんは実感を込めて綴りつつ、「何にも変わらなかった」とさらっと書いて無化してしまうのです。




○結果の良し悪しが問題なのではない




あと一点指摘しておきます。「なんとなく生きて」うまくいく場合もあれば、うまくいかない場合もあります。また「テキトーに生きて」うまくいく場合もあれば、うまくいかない場合もあります。しかし、作中のおれはそのような点を考えるまでもなく、「なんとなく生きて」いて明らかにうまくいっていません。だから「なんとなく生きる」=「自堕落」とすぐに結びつきますが、これが安易だとかそういう批判は不要だと思います。なぜなら「なんとなく生きる」と「テキトーに生きる」の違いとは、結果がうまくいくか否かを判断の基準にしているのではなく、もっと別の理由によるからです。それは何か? 國分さんが『暇と退屈の倫理学』の最後でこのように述べています。



何かおかしいと感じさせるもの、こういうことがあってはいけないと感じさせるもの、そうしたものに人は時折出会う。(中略)何かおかしいと感じさせるものを受け取り、それについて思考し続けることができるかもしれない。そして、そのおかしなことを変えていこうと思うことができるかもしれない。

今回取り上げなかったキーワードを外して引用したので、なんだか抽象的な書き方になってしまいましたが具体的に考えると分かりやすい。例えば、原発問題がそうでしょう。昨年の事故で避難を余儀なくされたり、損害を被った人でなければ、この問題はすぐに忘れ去ってしまうことでしょう。利害関係、損得勘定で考える人が大半でしょうが、それで良いのでしょうか? この問題は「自由とは何か」という問いと深く関わっていると思います。今回はこれ以上突っ込んで書きませんが。




○『ひっ』を読んだ第一印象を再考




最後にもう1点補足します。冒頭で『ひっ』を読んだときの意外な第一印象として、「あれ? これ、うまく書けてない。僕からみたらテキトー極まりない戌井さんが全然テキトーに書けてない!」と書いて、これを「真面目に書きすぎている」→「真面目に生きる」→「不自由」というように論を展開しましたが、これは間違えだったかもしれません。



確かに、今でも「真面目に生きる」ことを僕は肯定しません。不自由だと思っています。何かに縛られているというか、例え「根っからの真面目」ということであったとしても肯定はしません。しかし、『ひっ』がいつもの戌井さんと違って真面目に感じられたことについては考え直そうと思います。



『ひっ』において主人公(おれ)は「なんとなく生きている」のであって、ひっさんのように「テキトーに生きる」ことはできていません。また作中に出てくるひっさんは、ひっさん自身ではなく、あくまでもおれが見たひっさんに過ぎません。また「テキトーに生きるとは何か?」は最後まで分かりません。しかし分からなくとも、ひっさんや気球さんを見つめながら、おれは「テキトーに生きよう」とします。なんせ「テキトー」ですから、ここで必死という言葉が相応しいかどうかは分かりませんが(おそらく不適切なのですが)、ニュアンス的には、おれは必死に「テキトーに生きよう」としています。だから「真面目=不自由」、何かに縛られているというのではなく、力がコントロールしきれず過剰になってしまって、結果として真面目に感じられたのではないかと推測します。



そもそも「テキトーに生きる」というのは目的化すべきものではなく、あくまでも日常と向き合って生きることであり、習慣的に身につけてゆくのです。また「テキトーに生きている」人が悟りを開くように語るというのもおかしい。だから、『ひっ』のように「テキトーに生きよう」とするおれを見ながら、読者も少しずつ「テキトーに生きる」ようになってゆくというのが道理にかなっていると言えるでしょう。『ひっ』を読めば、少なくとも結果がどうだこうだと気にすることはもうありません。



まだまだ話したりませんが、今回はこの辺でお開きとしましょう。自分で言うのも何ですが、充実した話ができたと思います。小説って本当にいいもんですね。ご清読ありがとうございました。





求ム! 《トークイベント》戌井昭人表現者)× 國分功一郎(哲学者)開催







【参考文献】
戌井昭人『ひっ』(新潮社)
國分功一郎『暇と退屈の倫理学』(朝日出版社)→(太田出版






《追記》 幸せな結末




この原稿を書きながら『なんとなく なんとなく』ではなく、『幸せな結末』もいい曲だなと思うようになったのでした。はっぴいえんど つながりで...















 日記Z2018年11月












 阪根Jr.タイガース


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